2021年12月13日FB投稿記事より

 

お友達の皆々様おはようございます。

朝から寒いですね!今日は!

本日から新しい投稿を少しずつと思っています。

妻の死去に際し、沢山の皆様から私どもに対しお悔やみ、お励ましのお言葉を頂戴致しました事、誠に有難く深く感謝しております。今後とも宜しくご指導、ご鞭撻賜ります様によろしくお願い申し上げます。🙏

さて本日は毎月月始めに連載投稿しております。「御朱印・法華経二十八品の心」の法華経【授学無学人記品第九】をご紹介いたします。

今年も師走12月に入りましたね!師匠といえども趨走(すうそう:意味は走り回る事)する月なんですね!。

光陰矢の如し 私共の様な年々歳を重ねてまいりました人間には時の流れは誰しも同じですが、本当に一日、一週間、一か月、一年と早く感じられてなりません。

皆様方は如何感じられておられましょうや?

それでは今月の俳句を

「妻はまだ 何かしてをり 除夜の鐘」 日野草城 作

さて本題法華経【授学無学人記品第九】に入ります。

五百の阿羅漢の衣裏宝珠(えりほうじゅ)の喩えによる領解(りょうげ)の後、阿難尊者(あなんそんじゃ)*①と羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)*②の二人がお釈迦様から成仏の予言を受ける授記を請うところから、この授学無学人記品は始まります。

この品では、阿難、羅睺羅、とそして学・無学の声聞の弟子2,000人も仏前に進み出て、黙して授記を請うた。学とは有学ともいい、見惑(肉体を中心とする唯物的な見方)を断じて四諦(苦・集・滅・道)の真理を悟っているものの、未だ思惑(わがままな感情や欲望)の残っている者。これに対し、無学とは見惑思惑を共に断じ尽くして、阿羅漢の位に達している者である。お釈迦様はこれらの学無学の声聞の仏弟子2,000人にみな同じく宝相如来の記別を与えられました。

そして新発意(しんぼっち)の菩薩とは悟りを求める発心をして間もない菩薩を言いますが、彼らにすれば先輩の大菩薩でもこのような記別を得ることを聞いたことがないのに、声聞である阿難尊者が特別に記別を授かるのを目の当たりにして心に疑いを懐きました。菩薩達の疑念を知られたお釈迦様は、阿難尊者の過去世の本地(ほんじ)を説かれたのです。

経文より・・・ 🙏

「我阿難等と空王仏の所に於いて、同時に阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心を発しき。阿難は常に多聞をねがい、我は常に勤め精進す。この故に我はすでに阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。しかるに阿難は我が法を護持し、また将来の諸仏の法蔵を護って、諸の菩薩衆を教化し成就せん。その本願かくの如し。故にこの記を獲(う)」

 このように久しく菩薩としての行を積んでいるからこそ、いま成仏の記が授けられたということなのです。

声聞である2千人の学無学とは、学(有学)という学修すべきことがある人と、無学という学修すべきことがない人で、いずれも凡夫の段階を越えた聖者です。

これら声聞の修行者にも授記(将来の成仏の保証)されましたが、これは声聞が「菩薩」であることを示すためでした。

そして、「菩薩」はお釈迦様の法の継承者という重要な役割を担っており、次の法師品以降はその菩薩の活動が詳しく説かれて行くのです。

*①阿難尊者とは・・・お釈迦様55歳の時からご入滅される80歳までの25年間、侍者を勤め、お釈迦様が仏陀になられた日に誕生し、それを祝してアーナンダ(梵語で歓喜という意味)と名付けられました。お釈迦様とは従兄弟の関係にあり、十大弟子の中の多聞第一(たもんだいいち)の仏弟子と称せられた人です。

*②羅睺羅尊者とは・・・お釈迦様が出家される前に耶輸陀羅妃との間にもうけた男子で、お釈迦様が悟りを開き仏陀となってからは、母子ともに出家してお釈迦様の弟子になりました人です。

今月の教えは・・・🙏

       所 願 具 足。

       心 大 歓 喜。

    (所願具足し、心大に歓喜す)

法華経では仏さまが多くの人に仏になれますよと成仏の約束を与えられます。

皆様も法華経に出会えたことで、必ずや仏となることが出来ます。

まさにこの事が、仏教徒として一番の願う所です。その願いが叶い、大きな喜びを得られますように♪

   妙法蓮華経授学無学人記品第九 抜粋

爾時阿難。羅羅。而作是念。我等毎自思惟。設得授記。不亦快乎。即従座起。到於仏前。頭面礼足。倶白仏言。

(訳) 爾の時に阿難・羅・羅、而も是の念を作さく、

 我等毎に自ら思惟すらく、設し授記を得ば亦快からずや。

 即ち座より起って仏前に到り頭面に足を礼し、倶に仏に

 白して言さく、

世尊。我等於此。亦応有分。唯有如来。我等所帰。又我等為一切世間。天人阿修羅。所見知識。阿難常侍者。護持法蔵。羅羅。是仏之子。若仏見授。阿耨多羅三藐三菩提記者。我願既満。衆望亦足。

(訳) 世尊、我等此に於て亦分あるべし。唯如来のみましまして我等が帰する所なり。又我等はこれ一切世間の天・人・阿修羅に知識せらる。阿難は常に侍者となって法蔵を護持す。羅・羅は是れ仏の子なり。若し仏阿耨多羅三藐三菩提の記を授けられば、我が願既に満じて衆の望亦足りなん。

爾時学無学。声聞弟子二千人。皆従座起。偏袒右肩。到於仏前。一心合掌。瞻仰世尊。如阿難。羅羅所願。住立一面。

(訳) 爾の時に学無学の声聞の弟子二千人、皆座より起って

 偏に右の肩を袒にし、仏前に到り一心に合掌し世尊を

 瞻仰して、阿難・羅・羅の所願の如くにして一面に住立せり。

爾時仏告。阿難。汝於来世。当得作仏。号山海慧自在通王如来。応供。正知。明行足。善逝。世間解。無上士。調御丈夫。天人師。仏。世尊。当供養。六十二億諸仏。護持法蔵。然後得阿耨多羅三藐三菩提。教化二十千万億。恒河沙諸菩薩等。令成阿耨多羅三藐三菩提。国名常立勝幡。其土清浄。瑠璃為地。劫名妙音満。其仏寿命。無量千万億。阿僧祇劫。若人於千万億。無量阿僧祇劫中。算数校計。不能得知。正法住世。倍於寿命。像法住世。復倍正法。阿難。是山海慧自在通王仏。為十方。無量千万億。恒河沙等。諸仏如来。所共讃歎。称其功徳。

(訳) 爾の時に仏、阿難に告げたまわく、

 汝来世に於て当に作仏することを得べし。山海慧自在通王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けん。当に六十二億の諸仏を供養し法蔵を護持して、然して後に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。二十千万億恒河沙の諸の菩薩等を教化して、阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめん。国を常立勝幡と名け、其の土清浄にして瑠璃を地とせん。劫を妙音遍満と名けん。其の仏の寿命無量千万億阿僧祇劫ならん。若し人千万億無量阿僧祇劫の中に於て算数校計すとも知ること得ること能わじ。正法世に住すること寿命に倍し、像法世に住すること復正法に倍せん。阿難、是の山海慧自在通王仏は、十方の無量千万億恒河沙等の諸仏如来に、共に其の功徳を讃歎し称せらるることを為ん。

爾時世尊。知諸菩薩。心之所念。而告之曰。

諸善男子。我与阿難等。於空王仏所。同時発阿耨多羅三藐三菩提心。阿難。常楽多聞。我常勤精進。是故我已。得成阿耨多羅三藐三菩提。而阿難。護持我法。亦護将来。諸仏法蔵。教化成就諸菩薩衆。其本願如是。故獲斯記。

(訳) 爾の時に世尊、諸の菩薩の心の所念を知しめして、

 之に告げて曰く、諸の善男子、我阿難等と空王仏の所に於て、同時に阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。阿難は常に多聞を楽い、我は常に勤め精進す。是の故に我は已に阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。而るに阿難は我が法を護持し、亦将来の諸仏の法蔵を護って、諸の菩薩衆を教化し成就せん。其の本願是の如し、故に斯の記を獲。

阿難。面於仏前。自聞授記。及国土荘厳。

【所願具足。心大歓喜。】得未曾有。即時憶念。

過去無量千万億。諸仏法蔵。通達無碍。如今所聞。亦識本願。

(訳)阿難面り仏前に於て、自ら授記及び国土の荘厳を聞いて【所願具足し、心大に歓喜して】未曾有なることを得たり。

即時に過去の無量千万億の諸仏の法蔵を憶念するに、

通達無碍なること今聞くところの如し。亦本願を識んぬ。

爾時阿難。而説偈言

世尊甚希有 令我念過去 無種諸仏法 如今日所聞

我今無復疑 安住於仏道 方便為侍者 護持諸仏法

(訳)爾の時に阿難、偈を説いて言さく、

 世尊は甚だ希有なり 我をして過去の

 無種の諸仏の法を念ぜしめたもう 今日聞く所の如し

 我今復疑なくして 仏道に安住しぬ

 方便をもって侍者となって 諸仏の法を護持せん

爾時世尊。見学無学二千人。其意柔軟。寂然清浄。一心観仏。仏告阿難。汝見是学無学。二千人不。唯然已見。阿難是諸人等。当供養。五十世界微塵数。諸仏如来。恭敬尊重護持法蔵。末後同時。於十方国。各得成仏。皆同一号。名曰宝相如来。応供。正知。明行足。善逝。世間解。無上士。調御丈夫。天人師。

仏。世尊。寿命一劫。国土荘厳。声聞菩薩。正法像法。皆悉同等。

(訳)爾の時に世尊、学無学の二千人を見たもうに、其の意柔軟に寂然清浄にして一心に仏を観たてまつる。仏阿難に告げたまわく、汝是の学無学の二千人を見るや不や。唯然已に見る。阿難、是の諸人等は当に五十世界微塵数の諸仏如来を供養し、恭敬尊重し法蔵を護持して、末後に同時に十方の国に於て各成仏することを得べし。皆同じく一号にして名けて宝相如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。寿命一劫ならん。国土の荘厳・声聞・菩薩・正法・像法、皆悉く同等ならん。

爾時。学無学二千人。聞仏授記。歓喜踊躍。而説偈言

世尊慧燈明 我聞授記音 心歓喜充満 如甘露見潅

(訳)爾時に学無学の二千人、仏の授記を聞きたてまつりて

  歓喜踊躍して、偈を説いて言さく、

  世尊は慧の燈明なり 我授記の音を聞きたてまつりて

  心に歓喜充満せること 甘露をもって潅がるるが如し

本日も長文を最後までお読みいただきありがとうございます。

私どもが皆様方に向けて投稿させて頂きます事が、妻へのご供養になればと思っております。

感謝 合掌🙏南無妙法蓮華経

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