2020年8月1日投稿記事より

 

暑中お見舞い申し上げます。

皆様 本日は朝から暑いですね!

如何お過ごしでしょうか?

今日から八月(葉月)に入りましたね。葉月とは葉が紅葉し落ちる月「葉落(はおち)月」から葉月となったと言われています。

八月の俳句を一句

 夏の蝶 日かげ日なたと 飛びにけり 高浜虚子作

本日の「歩かにゃわからぬ祈りの霊場」(身延山法華経二十八品経石めぐり)第二十一回は 七面山の御神木にあります「如来神力品第二十一」をご紹介致します。

経石に刻まれている言葉は・・・

「日月の光明のよく諸の幽明(ゆうみょう)を除くが如く 

この人世間に行じてよく衆生の闇を滅す」 🙏 

意味として

経を説き弘める者は、太陽や月のごとく人々の闇は滅し、悟りに導くだろう。

二の池を後にし鳥居をくぐり、左に歩を進めると、すぐ右下に御神木への道が分かれます。この道は急な坂道で、細い道ですが、「御神木」までの道のりで楽しみなのが、静寂な空間に広がる苔の絨毯を見る事です。立木や倒木、その間の地にも苔が生息し、上り下りが大変な山道の中、わずかな緑の楽園の様にも思えるのです。

二の池から約二十分で、御神木に着きます。いちいの木の御神木は、高さ二十三メートルで、樹齢は六百年超える巨木です。昔、村のきこりが、立派な木を見つけ、大木に斧を入れると、赤い血が噴き出し、大木に命が宿っていると思い、切るのを止めたと言い伝えられいます。

それ以来この大木は御神木と呼ばれ、大切に祀られてきたそうです。

御神木に右側の少し高い所に「如来神力品第二十一」の経石があり「日月の光明のよく諸の幽明を除くが如く この人世間に行じてよく衆生の闇を滅す」と記されています。

さて、どの様な意味でしょうか?

お釈迦様の入滅後、そのお使いとして上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩が、お釈迦様が説かれたお経のいわれと、その次第を知り、その意味に沿って迷っている人々に説くでありましょう。太陽・月の光が、様々な闇を除く事が出来る様に、地涌の菩薩は世の中に法華経を弘め、人々の心の闇を滅することができるでしょうと説かれています。

そして日蓮聖人は法華経を色読(身命をもって法華経を読み、実践する事)する中で、自らを上行菩薩の再誕であると自覚されたのです。

日蓮聖人は此の経文の「日月」に基づき、自ら「日蓮」と名乗り、「日」は太陽の「日」、「蓮」は「従地涌出品第十五」の「泥水の中の蓮華のように、世間の悪に染まらない」と言う地涌の菩薩に譬えた経文から、「蓮」を頂き、自らの名前にされたのです。闇を照らす日月、泥沼の中にあっても美しい花を咲かせる蓮華。その様に世の中の迷える人々の心の救済の為に、命を懸けて邁進していこうとの決意を込めた改名だったのです。

筆者様も、心の迷いという暗闇に、法華経を信じ、心からお題目を唱えることで光が差し込むという経験があったそうです。

離婚される前後が一番お辛い時期であったようで、元主人が結核で入院の頃、家業の事務仕事をしながら勤め先の会社での仕事、義父の入院と子育て、そして義父の死と葬儀。周囲からは元主人の病気に対し「私はこの前、あの家の人と話したけど、病気が移ってないかな?」と自分の家族の事を言われたり、面白半分に噂されたりした事が自分の耳に入ったり・・・。娘さんは二歳で、病院の先生に「日本で初めて胃の中にカテーテルを入れて、痰をとった最年少の子だと思うよ」と言われ、何でこんなかわいそうな事をさせなければならないのだろう、周囲の目を気にして生きなければならないのだろうと思われたそうです。

そして借金が増え、夫婦の溝は深くなり、離婚前後の6年間が、自分の心は暗闇に覆われ、空も灰色しか見えなかったそうです。

御廟所のお参り、お題目の書写は続けられ、娘さんと二人暮らしなられての春、ご指導頂戴していた法尼様に、「あなたは人様が遊んでいても、法華経を学びなさい」と言われ、夜中のお経へのお誘い頂き、それまでの自分の罪障消滅になればとの思いでお参りされ、その折七面山の登山口にある雄滝にて身を清められました。

ある日、会社での納涼会で自分も含めての新入社員紹介がありましたが、その夜中にお経が重なり、ご自身はお経を優先され、お寺様に出向かれました。お経も大事、でも会社の行事も大事、どちらに行くのが正しいのかと迷われましたが、「救われたい」との一心でお寺様に行かれと時は、まさに暗闇の世界、迷いの世界の中で無我夢中だったのです。

それから心が落ち着いて、3年経過した頃、太陽の光、月や紅葉がとっても美しく見えるようになられたそうです。

この様な修行をさせて頂いた事で、自分の暗闇に日月の光明を感じさせて貰った様に思い、法尼様のお導きがあったからこそ、自分の心の闇を滅して光(光明)を下さったのだと、今は大変感謝しておられ、この日月の光明は自分だけでなく、全ての人々に照らされるものだと信じられておられます。

(みのぶ誌2015年12月号より引用致しました。)

本日も長文を最後までお読みいただきありがとうございます。

感謝 合掌🙏 南無妙法蓮華経