2020年5月2日FB投稿記事より

 

今月五月(皐月₋早苗月/稲の穂を作る月)に入りまたね、

今日から連休も後半に入りましたが、如何お過ごしでしょうか?緊急事態宣言発令の中、色々工夫をされて生活されているのではないでしょうか?今は”慌てず”・”焦らず”・諦めず”で生活して行くのが大切の様に思われます。

皐月、五月の俳句を一句

機関車のいかにも黒き五月かな  山口誓子作

本日の「歩かにゃわからぬ祈りの霊場」(身延山法華経二十八品経石めぐり)第十八回は 身延山晴雲坊にあります「随喜功徳品第十八」をご紹介致します。

経石に刻まれている言葉は・・・

「是(かく)の如く第五十人の展転(てんでん)して法華経を聞いて 随喜(ずいき)せん功徳尚(こうどくな)を無量無辺阿僧祇(むりょう むへん あそぎ)なり」 🙏 

要約・・・教えを聞いて喜び伝えていき、五十番目の人の歓喜する功徳は大きい。法を説くことは無量の功徳である。

筆者様は平成27年7月19日に、お一人で二回目の七面山に登詣されました。神力坊からの道のりを、想い出として書かれています。

神力坊を後に、ご自身は一丁一丁の灯籠に手を合わせ、登れた事に感謝し「ありがとうございます」と、お題目を三唱してから登られました。

登られた日は梅雨明けし、鳥のさえずりや合唱するかのようなセミの声、流れる汗が一つ一つ我が身のけがれを落としてくれる様にも思われたそうです。

40分程歩いて十三丁「肝心坊」に到着します。ここは天明七年日行法師の開祖と言われる所です。

少しその場で休息をとられていると、ご自身の十二年前の記憶がよみがえったそうで、その頃離婚されたばかりで、リンパセラピストの資格を持っておられたので、ご友人の紹介で、リンパセラピーに十三丁のお宅に何回か行かれていた頃、ある日、小雨降る寒い中、小学生の娘さんとお二人で十三丁の前奥様の所に行く途中に、どこからともなく「温かい物を頂きなさい」という声が聞こえ、「何事だろう?」と思い、肝心坊に着きセラピーが終わると奥様が「お腹すいたでしょう」と仰り、筆者様と娘さんにざるうどん出されました。お昼を頂戴するつもりもなく、「早く帰りた」との娘さんの思いも分かっていたので、すぐに下山する予定でしたが、ご厚意に甘えました。頂戴しながら、「温かい物を頂きなさい」と聞こえたのですが?冷たいざるうどん?どうゆう事だろうと考えられ、しばらく娘さんと頂きながら「もしかしたら、温かい物とは前奥様の優しく温かい気持ちのことなのかもしれない」と思い、離婚し、借金からのスタートした私達親子に真心で出して下さった「心温まる冷たいうどん」と感謝の気持ちで涙がこぼれた事を思い出されたそうです。🙏

肝心坊に手お合わせ、二十三丁目を過ぎ、一時間位で三十六丁目「晴雲坊」に着きます。文化元年善心日修法師開創と言われるお堂から少し登った所に「随喜功徳品第十八」の経石があります。「是の如く第五十人の展転して法華経を聞いて随喜せん功徳尚を無量無辺阿僧祇なり」と、どの様な意味なのでしょうか?

随喜功徳品の随喜とは、仏様の教えを非常にありがたいと思い、またその教えを実行する事を自分の喜びとすることです。

五十転とは、もし人が法華経を聞いて随喜し人に伝え、次から次へと伝わって五十人目の人が喜びの心を起こしたとします。

その聞いた教えの内容は第一番目の人が聞いたものより減じていたとしても、法華経の教えは深く広大であるが故に、その功徳の大きさは計り知れない程大きく、一番目の人が得た喜び、功徳は何ら変わらない尊いものであるということです。ましてや、法華経の説法の場所で最初に聞いて喜びの心起こした人の功徳はいっそう大きく、尊いものであることは言うまでもありません。そして随喜功徳品の最後では「一人の人を誘って法華経を聞かせるだけでも、大きな功徳があり、ましてや一心に聞き、読み、誦し、大衆の為に分かり易く説き、教えのとうりに修行する者は、なおさらのことです」と伝えられました。

私達在家の者は何をさせて頂いたら良いかを考えていた時、職場で目が見えず車椅子に乗っていおられた今は亡き女性利用者さんが「開経偈」を唱えていおられる姿が思い出されました。独特のリズムでお経を唱えるこの方は、持ち前の人柄も伴い、職員皆が「○○さん無上甚深・・・・・・」と開経偈を聞きたいと言うと、必ずこの続き唱えて下さいました。今に思えば、無理に何を言おうとして出たものではないけれど、職員が無上甚深を一生懸命覚えようとして、一緒に唱えている場の空気はとても温かく和やかに感じ、法華経にご縁がない方にも縁を結ぶ事が出来ることを、この利用者様さんから教えられました。開経偈の意味は分からなくとも、その利用者さんのお顔と無上甚深は、職員の心の中で生きている様にも思います。

「一心に聞き、読む」という善行に、その人の側にいると穏やかになれ、人が寄って来るという人徳を得て、他の人が現世、来世に幸福をもたらすもとになる善根を施したようにも感じ、その利用者さんは大いなる功徳を来世に頂けるようにも思えました。

(みのぶ誌2015年9月号より引用致しました。)

(参考資料)

開経偈(かいきょうげ)とは

お経を読む前に拝読する偈文です。法華経に出会えた奇跡と、何度生まれ変わっても出会えますようにと願う内容となっております。🙏

無上甚深微妙の法は 百千万劫にも遭い奉ること難し 我今見聞し 受持することを得たり 願わくは如来の第一義を解せん 至極の大乗思議すべからず見聞触知皆菩提に近づく 能詮は報身 所詮は法身 色相の文字は 即ち是れ応身なり 無量の功徳 皆この経に集まれリ 是故に自在に冥に薫じ密に益す 有智無智罪を滅し善を生ず 若しは信 若しは謗 共に仏道を成ず 三世の諸仏 甚深の妙典なり 生生世世 値遇し頂戴せん🙏

本日も長文を最後までお読みいただきありがとうございます。

感謝 合掌 南無妙法蓮華経🙏