2020年3月3日FB投稿記事より

 

三月に入り五日は啓蟄(二十四節気の一つで、冬眠していた虫たちが地上へ出てくる頃のことをいいます。)ですね!

一月、二月と余り世間的には良い話題がない様ですが?

春の花々が開花する様に、世の中が明るく、華やかになります事をお祈りしております。

春弥生、三月の俳句を一句 

「啓蟄や たゞ一疋の 青蛙」原 石鼎作

本日の「歩かにゃわからぬ祈りの霊場」(身延山法華経二十八品経石めぐり)第十六回は 白糸の滝にあります「如来壽量品第十六」をご紹介致します。

経石に刻まれている言葉は・・・

「是の好き良薬を今留めて此に在く」 🙏 

要約・・・迷いの世界にいる私達の為に、仏様は良薬(お題目:南無妙法蓮華経)を授けられた。

 

赤沢集落を後に、途中で左右に分かれる道を下りますと、50分程で羽衣橋に着きます。橋を右にして、階段を下ると「お万の方の像」と「白糸の滝」があります。この白糸の滝は、羽衣の滝とも言われ、昔より七面山登詣する前には、この滝にて身を清めた後、お山に登ったと言われ、現在もその風習が残っています。七面山は、かっては女人禁制のお山でしたが、江戸時代にお万の方は「七面大明神は法華経の守護神であり、女人成仏を説く法華経を信じる人を守護すると言われるのだから、七面山に女性も登れるはず・・・」と思われ、この滝で身を浄めて、お山に登詣され、このことから「七面山女人踏みわけの祖」と言われています。今までに誰もが成し得なかった、女人禁制のお山に登詣しようと思われたのには、よほどの覚悟と、自身の命を惜しまずに法華経とお釈迦様、日蓮大聖人様を信じて登る決意をされたのだと思うのです。🙏

来た階段を登ると、すぐ右側に「是の好き良薬を今留めて此に在く」と彫られた、「如来壽量品第十六」の経石があります。

その意味はどの様な意味なのでしょうか?

ここで説かれているのは「良医治子の喩え」・・・

昔、ある国に、優秀なお医者様がいました。そのお医者様には多くの子供がいて、愛情を持って育てていました。

有る時、父であるお医者様が長旅から帰って来ると、子供達は毒薬を誤って飲んでしまい、もがき苦しんでいました。

この状況を見た父であるお医者様は驚き、早速薬を調合して子供たちに飲むように勧めました。毒薬を少しだけ含んだ子供達は、父の勧めに従い解毒剤を飲み本心を取り戻したのですが、

毒薬を多量に飲んでしまった子供達は服用しようとはせず、もがき苦しみました。本心を失っている子供達を見て、父のお医者様は家を出て遠い国へと出発し、遠方の地から使者を遣わして子供達に「君たちの愛する父は、遠くの国で死んでしまったぞ!」と告げました。使者の言葉を聞いた子供達は、父が死んだことにびっくりして悲しみ、正気に返り父の言葉を思い出して解毒剤を飲み、しばらくすると、子供達はみるみる回復し、本心を取り戻すことが出来たと言うお話しです。🙏

ある年の三月半ば頃、筆者様はお一人の女性とのお出会いがあり、その女性を日蓮大聖人の御廟所に案内される事となり、駐車場から御廟所に向かわれる途中で、筆者様がお釈迦様とインドの霊鷲山のお話しをされた折、この女性は涙ぐまれご子息様のご供養でインドに行かれ、日本に戻り、この身延山にお参りされている事お聞きになられまいた。

おばあ様が身延山を信仰されお土産にお釈迦様の本等を頂かれたご子息様は、ご自宅から見える仏舎利塔を眺め、いつかはインドに行ってみたいとの憧れが強くなり、大学生の時に親御様に心配を掛けたくないからと、内緒でインドへ行かれたそうです。しかし二度目の訪印の時、誰かに命を奪われ帰らぬ人となられました。

その折お母さまが怒りと悲しみの中で苦しんでおられた時、仏様がお遣わしなられたのか!見知らずの整体師さんから「貴女様のご子息様が、お母さん泣かないで、僕は自分の命を奪った人を恨んではいないよ。だからお母さん、インドを相手に戦わないで、って言われてますよ」とその方がお話しして下さったそうです。

それからその女性は、ご子息様にお線香を手向けてご供養し、お題目を唱えられてうちに心が穏やかになり、恨む心はなくなり、許す心が生まれたそうです。

法華経大講座では「悲しみによる覚悟」とあります。

何か身に沁みて悲しみごとに出合った時に、初めて道を求め教えを求める心持ちになると書かれています。

先程の女性(お母さん)もおばあ様を通してお題目というお薬を用意されてましたが、心から飲む事が出来ずにいられました。しかしご子息様の死を通じて、大切なご子息の命奪った人を怒り、憎んでで迷いの世界に入られ、整体師さんが仏様の遣いの人となり、御子息様のメッセージを受け止められた事で、ご供養されなが心穏やかになられたのです。

苦しみや悲しみは、できれば私達の人生のおいて経験したくないものです。

しかし、その様な時こそ仏様が私達に必ずや留め置いてくださっている"良薬"に気付き、そして信じるキッカケとなる時なのです。

(みのぶ誌2015年7月号より引用致しました。)

 

(参考資料)

(如来壽量品第十六)より

我今当設方便。令服此薬。即作是言。汝等当知。我今衰老。死時已至。『是好良薬。今留在此。汝可取服。勿憂不差。』作是教已。復至他国。遣使還告。汝父已死。🙏

『是の好き良薬を今留めて此に在く 汝取って服すべし 差えじと憂うること勿れ』🙏

本日も長文を最後までお読みいただきありがとうございます。

感謝 合掌🙏南無妙法蓮華経