新年も明けて早や2日が経ちましたが、皆様方は神社・仏閣への初参りはされましたでしょうかね!
私は昨日、お墓にお参りし、今年の家族皆の無事息災をお願いして参りました。
そして本日2日私事ですが、私は72歳の誕生日をお蔭様無事に迎える事が出来ました。お誕生日に際し、お友達の皆様方から沢山のお祝い、励ましのお言葉を賜り、厚く、深くこの場をお借りして御礼申し上げますと共に、今後ともよろしくお願い申し上げます。

お正月の俳句を一句
「去年(こぞ)今年 貫く棒の 如きもの」高浜虚子作
(古い年が去り、新しい年が始まると、去った年が遠い昔のように感じられることがあります。しかし実際は、時間はお正月の祝いとは関係なく静かに過ぎて行くだけであり、一本の棒で貫かれたように一続きの時間なのです。)と言う意味です。

本日の「歩かにゃわからぬ祈りの霊場」(身延山法華経二十八品経石めぐり)第十四回 身延山の宗説坊にあります「安楽行品第十四」をご紹介致します。

経石に刻まれている言葉は・・・
「遊行(ゆぎょう)するに畏れなきこと獅子王の如く 知恵の光明日の照らすが如くならん」 🙏 
要約・・・信じて安定した心で法を説くと、諸天善神が常に守護する。その人は畏れもない獅子のようで、知恵の光は日光のようである。

十万部寺を下ると、すぐ右に夏原方面への道が分かれます。更に歩くと右側に、甲府盆地等が見え、とても良い眺めです。
そして右に進むと、かって七面山遥拝所があった所があります。七面山は、かって女人禁制であった為、ここが女性にとっての七面様を拝む場所でした。その後、お万の方の登詣により、女性にも開かれたお山となりました。それから雑木林を抜けると、宗説坊に着きます。この坊は文政年間の妙宣尼が父宗説の願いを受けて建立されました。堂内には江戸の信徒が寄進した仏具等が安置され、江戸の人々の七面山信仰の姿を残しています。宗説坊は皮膚病の神様"妙正大明神”をお祀りしていますが、今は妙福寺に安置されています。
お堂の手前に「安楽行品第十四」の経石があります。書かれている意味は?
「遊行というのは、どんな境遇にも屈せずして、自由自在の身でいることで、その境遇に制せられることはない。お金があっても無くても、身分が高くても低くても、その境遇において自分のすべき所に全力を注げばよい。どんなものをも畏れないで、ゆうゆうとして歩いて行く獅子王のような態度をもって、この世の中に立ち、あらゆる人に接することが出来る。そしてその人の智慧の光がおのずから周囲を照らして、その周囲が自然に明るくなる。それは日の光が闇を照らすのと同じである。」と、法華経大講座には書かれていました。
安楽行品では「髻中明珠(けいちゅう みょうしゅ)の譬え」が説かれています。

昔、昔、武力により覇王となった王さまがいました。その王さまが小国の王さまに従う様に呼びかけましたが、反抗する王さまもいました。王さまは兵を起こして小国を制圧してしまいました。この戦いで、勇敢に抜群の功績を残した兵に対し、王さまは数多くの褒美を与えました。田んぼや土地、あるいは着物。金や銀、瑠璃等の財宝、象や馬、車等をその軍功に応じて授けたのでした。ところが、王さまの髻(たぶさ)の中にある宝石は決して与えようとはしませんでした。王さまにとってかけがえのない宝石。もし、それを軍功だとして誰かに与えたならば、王族の人々は大いに怪しむから与えなかったというのです。この話しと同様に、お釈迦様が法華経を説く時の有様も同じであると説かれているのです。
様々なお釈迦様の教え、仏法が存在するけれども、最上の教えというものは、説くべき時に、説くべき対象が整はなければそう軽々しく説いてはならない。また、受け取た者も自身の機根にかなっているからといって軽んじて扱ってはいけないと教示されています。他者を攻め、打ち破るのではなく、自分自身の中にある様々な魔を破り、身心共に整った時こそ最高の教え、法華経を受け容れる態勢にあると「法華経二十八講義」に書かれておりました。
この文章を読まれた、筆者様はかって、自分には大きな反省があると気ずかれました。数年前に法華経を学ばれていた頃、ご自身の人間関係に問題があった時、今苦しんでいる同僚の為に学んだことを伝えたいと、伝えれば少しは楽になるから、お題目を唱えてもらう事を話して、自分の話を受け取ってほしい・・・、と一所懸命努力されたそうですが、いつもの様に車中で「はじめての法華経」なるCDをお聞きになっていると「人の過ちをみるなかれ、人のなさざるを攻めるなかれ、己が何をえせしか自らに問うべし」と言う言葉に教えれたそうです。
「周囲の同僚の失敗や出来ていない所を見てはいけないよ。他人の仕事をやらない、やれない所を攻めてはいけないよ。自分が出来てない、出来ない所もあるのに相手ばかりを攻めてはいけないよ。」と言われている様に思われたそうです。同僚に仕事でも、人間関係の問題でも、良くなって欲しいと思っておられた筆者様は、自分の心の中が、まだまだ未熟であったと反省され、心を改められたそうです。
日蓮聖人様も「慢の旗を倒し、怒りの杖を捨てよ」とご教示くださっています。常にこの言葉を心の中に置いて日々生活されております。
(みのぶ誌2015年5月号より引用致しました。)

(参考資料)
「髻中明珠の喩え」は
「法華七喩」の第六に当り、転輪聖王は束ねた髪の中に隠した宝珠を大きな功績がある者にだけ与えたとされ。隠された奥義のたとえ事であり、「髻」は束ねた髪の事をいいます。
お釈尊様が文殊師利菩薩に語られる形で話は進行して行きます。
また、平安朝末期の歌僧として有名な西行法師は、
「今ぞ知る たふとき玉をえしことは こころをみがく 髻なりけり 」
と和歌にて、"髻中の明珠"の仏意を詠んでいます。

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝 合掌🙏