長月に入り、まだ少し残暑が続いておりますが、皆様方には季節の変わり目の時期、お体の不調などはございませんでしょうか?風邪をひかれている皆様も多いとか?十分にお気をつけくださいませ。🙏🙏

九月の俳句を一句
すれ違ひゆける客車の九月かな  山西雅子作

本日は「歩かにゃわからぬ祈りの霊場」(身延山法華経二十八品経石めぐり)第十回 身延山の東照宮にあります「法師品第十」をご紹介致します。

経石に刻まれている言葉は・・・
「則ち変化(へんげ)の人を遣わして之が為に衛護(えご)と作さん(なさん)」 🙏 
要約・・・法華経を説く者の為に、石を投げられたり棒でなぐられたり、脅迫や非難が加えられたり困難に遭った時、神通力によって出現した者が衛護(えご)するであろう。

大光坊を後にすると、車止めの看板があり、程なく行くと、常唱堂跡(甲州和泉豪族無安日養建立)があり、題目塔、墓石等が当時を偲ばせてくれます。もう少し歩めば「法明坊」に着きます。ここには”お水屋”(日蓮聖人の喉の渇き潤うため弟子日朗上人が山頂より、清水を汲んでご給仕したと伝わる井戸「日朗上人井戸」と言われています。)があります。そこから急な上り坂が行くと、眼前には彫刻が素晴らしい「東照宮」が見えます。1616年徳川家康没時、側室のお万の方が身延山に詣で、法会を営みました。お祀りされているお位牌はその時のもので、家康供養の為にこの地に祠が建立され、文政二年に再建され、お万の方様の主君家康公への「愛」と信仰の篤さを感じる事が出来ます。
(参考資料)
東照宮とは総じて東照大権現たる徳川家康を祀る神社である。

その東照左側に「法師品第十」の経石があります。
経石に書かれている文言の意味はと申しますと。
法華経大講座には「若しその経を説く者を刃物で切るとか、石で打つとか、杖で殴るとかいうようなことをする者があるならば変化の人を遣わして、すなわち特別な人の姿となった者をそこへ遣って、その法華経を弘める者に害が加わらないように守護させよう」と書かれています。🙏
日蓮聖人も伊豆の流罪の時の船守弥三郎夫妻、佐渡流刑の時の阿仏房、千日尼ご夫妻の事を御遺文にて変化の人とされています。「私達は困難の遭遇した時、物心両面から面倒を見てくれた人の事を”人生の恩人”として崇めるでありましょう。ところが、法華経を身体をもって行じている人にとっては、同じ人生の恩人であっても、その人はお釈迦様が遣わされた”変化の人”として受けとめるのだ」と法華経二十八章講義に記されています。
筆者様も十数年前の十二月に「明日は離婚届けを出すので印を押す」と元ご主人と約束されて、安心されていたのですが、
息子様からの電話で「お父さんがいなくなった、どうしよう」
色々手分けし探され、日蓮聖人御廟所にも日参され「どうか主人を見つけて下さい。」と懇願されている中、ご主人が見つかりましたが、ご主人は正気の沙汰ではないようでした。身延山関連のお仕事をされている友人に相談され、「法華の子は法華経でしか救われないよ」とアドバイスされ、自分が出来る事は何だろう?と考えられた結果「そうだ、お題目を書こう」と
決心され、子供様の寝顔を見ながら、半紙にお題目を心を込めて、祈りを捧げて、翌朝までお題目を半紙48枚分に書かれていたのです。その朝、日頃御指導を頂戴されている法尼様か来られご主人の為に、お経を頂戴され、その結果以前の様に正気になられたのです。
この時、お題目にはこんなにすごい「力」があるのだと感じ取られたそうです。🙏
私のお釈迦様が遣わして下さった”変化の人”とは私の友人で、お題目を書く修行をさせて頂けたと感謝されています。
(みのぶ誌2015年1月号より引用致しました。)

本日も最後までお読みいただきありがとうござい。
ご旅行、行楽に適したシーズンとなりますね!
身延山にも足を向けて頂けらばと思い次第です。

感謝 合掌🙏