(エジプトの旅、その6)

 

 ギザの三大ピラミッドを見終わって、つぎに行ったのは、それより古い、ピラミッドの始まりの場所でもあるザッカラとダハシュール、そしてこれらのピラミッドが造られた古王国時代の王都であったメンフィスである。

(ギザから今回行ったダハシュールまでは「メンフィスネクロポリス」(死者の都)と呼ばれるピラミッドの造成された古王国の墓地地帯(都がメンフィス))

(三大ピラミッドのギザからダハシュールを目指していった道筋。古王国時代の都メンフィスとピラミッド発祥の地ザッカラにも立ち寄る)

 

 時間は午後になっていたが、昼食の後、ガブリさんの車でまずダハシュールへ向かった。途中の車窓から見えてきた農村風景は、古代エジプトの農業も斯くやと思わせるものだった。「これがナイルの灌漑農耕か」と、高校で教えていたことの実際を見た気がした。道路の脇を流れる水路で畑は潤され、そこではナツメ椰子や小麦が栽培されていた。

(ガブリさんの車でダハシュールを目指す)

(路の脇には水路が続く)

(灌漑用の水路で、ナツメヤシ畑や小麦畑がずっと続く)

(古代には、ナイル川の定期的氾濫で川の両側は肥沃な土壌が形成され、川から水路で水を引き入れ、小麦・ナツメヤシなどを栽培していた)

(ナイル川から水を汲み入れる古代の灌漑農業、ネット写真)

 

 初期王朝が、ナイルを治水し、灌漑網を整備して、それまでの小国家ノモス集団をまとめ上げ、最初の統一国家を作り上げたのは紀元前3000年ごろと言われる。そこには、民衆を労働編成して治水・利水・灌漑工事を行う強大な専制的権力が必要であった。続く古王国時代には、その権力を以て中央集権化を進め、太陽神ラーの化身であるファラオとして王墓兼祭祀施設のピラミッド造成を行ったのである。道路わきに見える水路とナツメヤシ畑を見て、確かに「エジプトはナイルの賜物」だな、と得心した。

(ダハシュールに到着。右手の砂漠に入っていくとピラミッドが見えてきた。左側の盛り上がりは赤のピラミッドの裾部。正面に小さく屈折のピラミッドが見える)

 

 車はギザから1時間ほどして、クフ王の父スネフェルが造成した2基のピラミッドがあるダハシュールに到着した。道路から右手の荒涼たる砂漠に入っていくと、まず赤のピラミッドが見えた。そこの砂漠に車を止めると、南に屈折した外縁のピラミッド、東に崩落した黒のピラミッドが遠くに見えた。

 この時は観光客は私たち以外にはいなかった。物売りもいなかった。ギザの三大ピラミッドに比べ、さほど多くの観光客は来ないのかもしれない。

(赤のピラミッド、クフ王の父スネフェルが造った。底辺の1辺は220m、高さは105m。ギザのピラミッドより少し小さい。角度も43度で、57度の絶壁のようなクフ王のピラミッドより緩やか。立方錐体のピラミッドはここから始まる。ギザの三大ピラミッドの前身である)

(赤のピラミッドを眺める息子、下の方は岩が風化して崩れている)

(赤のピラミッドの斜面。傾斜は三大ピラミッドより緩く、石灰岩の石も比較的小さく、赤みがかった岩色なので、赤のピラミッドと呼ばれる。王スネフェルが埋葬される)

(赤のピラミッドに近づく息子。石の摩耗も進んでいる)

(逆(南側)を見ると、屈折のピラミッドが小さく見える。赤のピラミッド同様、クフ王の父スネフェルが造った)

(同上。建設途中に、構造上の問題から傾斜角度を小さくしたため、屈折状の形になったと言われる。スネフェルはこれを放棄して、赤のピラミッドを造る)

(東側を見ると、黒のピラミッドが見える。遠くにポツンと見えるのがそれ)

(黒のピラミッド近景、中王国時代のアメンエムハト3世が造ったと言われる。2つのピラミッドより750年ほど後のもの。崩落が進んでいる)

(3つのピラミッドの位置関係。赤のピラミッドと屈折のピラミッドは2キロほどの距離がある)

(息子に屈折のピラミッドまで走ってこいと命じる)

(屈折のピラミッドまで砂漠を走り出す息子)

(同上)

(途中で嫌になり引き返してくる)

(一生涯忘れられない砂漠マラソンでした)

 

 有名なギザの三大ピラミッドよりも前身となるこちらのピラミッドの方が印象に残った。他に観光客もなく、砂漠の荒涼感もあって、思い出深い。

 

(続く)