上高地から梓川沿いに歩いて行って、穂高連峰への横尾大橋を渡ると、そこは「異界」だと、いつも感じる。横尾はその登山口だが、梓川に架かる横尾大橋は、この世とあの世に架かる「境界の橋」に思える。
私の毎年のささやかな行事は、そこの川べりに座って、ウイスキーを飲むことだ。川面に立つ靄(もや)の向こう側に、父母など亡くなった身内が居るような気がするのである。
(地図の一番右上の所が横尾、赤線は横尾までの道。青いところが梓川)
(息子と二人で梓川の川べりでウィスキーを飲む)
(梓川にかかる横尾大橋。向うの山は穂高に連なる屏風岩)
家に病人がおり、とくにコロナが流行ってからは、山へ行かなくなったが、それまでは、時間を作っては、この北アルプスの山々や、近くの尾瀬、八ヶ岳などに頻繁に通っていた。他人と交わるのが苦手なため、息子と行く他は、ほとんどが単独行であり、山小屋へは泊らず、テント泊がもっぱらであった。
(穂高・涸沢に向かう途中の筆者)
(涸沢でテント泊の息子)
最も印象深い山旅は、北アルプスの深部、黒部川源流一帯を縦走してゆく3泊4日の旅である。前日に富山市内のホテルに泊まり、翌朝、折立登山口までバスで向かい、薬師岳(太郎平、1泊)、薬師沢、雲ノ平(1泊)、水晶岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳、双六岳(1泊)などをまわり、最後は岐阜県の新穂高温泉まで抜けるルートである。薬師沢から雲ノ平へ登る有名な急登は2時間ほどかかり、テントを背負った身にはとくにきつかった。
(折立から新穂高温泉までの縦走地図、ネット地図)
(太郎平から薬師岳へ向かう木道)
(太郎平のテント場。手前のテントが自分のもの)
山では不思議なことが起こるのだと、その手の本には怪異譚が面白おかしく載せられている。しかし、私にはほとんどそのような経験はない。
(雲ノ平山荘と水晶岳、ネット写真)
(三俣山荘の傍の三俣蓮華岳山頂にて)
このルート上には、日本の秘境と言われる、溶岩台地の「雲ノ平」がある。ここや、黒部川源流を挟んだ三俣山荘には、いくつか不思議な話がある。『黒部の山賊』という、三俣山荘を始めた伊藤正一さんが書いたこの本には、薬師沢小屋近くの「カベッケが原」に河童が出た話や、三俣山荘では、狸に化かされた話し、また雲ノ平山荘では、遭難者が、あたかも異空間に紛れ込んで、2・3日行方不明であった話しなどが書かれている。
雲ノ平のテント場に泊まったときは、私は密かに夜中に起き出して、怪異が起こるのを待っていたが、何事も起こらなかった。私は常識的過ぎて、異界に入り込めないタイプなのだと諦めた。
(’雲ノ平のテント場、向うは黒部五郎岳。ネット写真)
でも唯一、不思議な体験がある。
これは八ヶ岳での話だが、頻繁に通っていた10年ほど前のことである。そのときは、南八ヶ岳の行者小屋のテント場から、赤岳に登り、そのまま北八ヶ岳方面へ縦走し、黒百合平でテント泊をした。そして翌日、西天狗岳・中山峠から稲子岳先のニューへ向かい、そこから東側の稲子湯に下りるルートをとったが、その時の話しである。
(八ヶ岳・行者小屋)
(西天狗岳)
(稲子湯周辺の地図、「白駒池方面分岐」と白字で書いてあるすぐ右側の尾根のところが子供2人と出会った場所。この地図では山道すら描かれていない)
このニューからは、登山者はほとんどが西の白駒池へ下山する。稲子湯への道は、普通の登山者はあまり利用しない。登山道としては整備されておらず、道も細く、藪漕ぎをしなければならない箇所もある。他の登山者に全く会わないそのルートをひとり進んでいったが、ほぼ中途に来た時である。
前方に人影が見えた。「あれ、こんなところに人がいる」とちょっと驚き、訝しく思って、よく見ると、それは7・8歳前後の小綺麗ななりをした、子供二人であった。ともに半ズボンをはいており、山登りする恰好などではなかった。街角で見かける少年のそれである。
あまりに場にふさわしくないので、すれ違う時に声をかけた。「どうしてここにいるの?」と訊くと、きょとんとした顔をし、キノコ採りにお父さんと来ているんだとの答えが返って来た。
しかし父親など、どこを見回してもいない。また、こんな人も来ない山道で、親と離れて行動する子供などいるはずもない。それにあまりに小綺麗な恰好をしており、険しい道を登ってきたにしては、どこにも汚れなどなかった。靴も街中で履くシューズで、汚れてもいない。
会話はそれだけで、私は稲子湯に向かって、また藪漕ぎのような道を下っていった。
稲子湯の温泉に浸かりながら、あの子供たちは、一体何だったのだ、と、不思議な想いになった。その感情は、車で家に帰り着くまで続いていた。
あれはいったい何だったんだろう。
(福島県裏磐梯、檜原湖、ネット写真)
これは聞いた話だが、もう一つ山(里)の不思議な話がある。教員時代の夏の宿泊学習で、クラスの生徒たちと福島県裏磐梯の檜原湖の民宿に泊まったときの話しである。その民宿の奥さんが我々の就寝前に、部屋まで来て話してくれたのである。
奥さんが言うには、数年前の話で、自分が、湖岸に接する畑で野菜を採っていたら、巨大なマスが、背負っていた背負子に飛び込んできたという。そして不思議なことに、それと同時に一帯は濃霧に覆われ、彼女はどうしても目と鼻の先の家にまで帰りつくことが出来なくなったという。30分ほど散々歩き回ったが、その魚を湖に放り出すと、一挙に霧ははれ、目の前には家があったというのである。奥さんは田舎の純朴な女性であり、とても作り話をするような人には見えなかった。「檜原湖の主」だろうと言っていたが、そういうことはあるんだろうなと、今でも思っている。
山は、民俗学でも各地の「山中異界」の話が紹介されるが、横尾などで実際に穂高連峰の前に佇むと、その感を強くする。梓川の向こう側に亡き父母がいる実感は、不思議な安堵感を与えてくれる。
















