再掲のその2になります。

 

 

(義母が生きたこと、その2)

 

 義母の小学校教員としての後半の約20年間は、家にも近い都市部の学校での勤務であった。

 小学校の教員と言うのは、基本的には担任したクラスの全ての授業を受け持つものであるが、しかしそれでも専門とする分野があり、高学年などの授業では、体育など、科目によっては他の先生が受け持つこともあった。

(学習発表会で指導する義母)

 義母の専門は図工であった。中高校ならば美術担当ということであろうか。

 都市部の学校に移る前の30代前半の頃、当時勤めていた学校が県から図工の研究指定校になり、学校全体が授業研究に取り組んだのであるが、義母はその中心となり、その後は図工が専門となって行った。

 

 義母がよく自慢げに話していたことの一つに、都市部の学校に移った30代後半の時期に、県の「造形大会」というものを自分が中心となって実施したことがあった。「造形大会」というのは、県の図工教師が集まって行う研究大会で、小学校図工教育の花形の大会であった。これは県の図工指導教員の中から優秀な教員が選ばれて行うものだったが、義母が選ばれ、勤務していた当時の学校を会場に開かれたものであった。義母の教員人生のハイライトの一つであったのである。

 

 教え子との縁も深い。

 教え子の中に、現在市議会の議員さんをされている方がおり、小学校の2年生の時に受けもたれたその方は、何十年と、毎年盆暮れには自分で作った野菜を持って訪ねてきてくれていた。「優しい先生だった」と、先日焼香に来てくれた時にしみじみと仰っていた。昨年は30年ぶりに孫を連れて訪ねて来られた方もいた。

(教え子の樋口真嗣さん)

 教え子の中で有名になった方に『シン・ゴジラ』『進撃の巨人』『シン・ウルトラマン』などの特撮監督・映画監督で日本的に著名な樋口真嗣さんがいらっしゃる。古河の都市部の2番目に勤めた学校で、6年生の時に担任をしたということである。

 

 樋口さんのことはよく話していた。義母は、最初に驚いたことはその描いた絵の見事さであったと言っていた。伸び伸びとした表現力とセンスの良さはまったく別種であったと言っていた。義母は図工(美術)を専門としていたのでその凄さがすぐ分かり、「何だ、この絵は」「この子の絵はレベルが全然違う」と、驚きを通り越してただ感嘆したそうである。

 

(樋口真嗣さんの絵。工事現場)

(樋口真嗣さんの絵。古河駅前の風景。これが全国コンクールに入賞した)

 

 義母はその絵を全国コンクールに出品させたそうであるが、もちろん見事に入賞したのである。最初に絵の才能を見出し、指導したことが思い出に残って居り、その後の樋口さんの活躍をいつも嬉しく思っていた。

 そういうこともあり、樋口さんのお母さんとは樋口さんの卒業後も個人的に親交があり、お母さんが亡くなるまでお互いの家を訪ね合う関係にあった。

(退職後の夫哲夫とのフルムーン旅行)

 義母は退職後、義父との生活を楽しんでいたが、人生の大きな出来事・変化の3つ目は、私たち夫婦に平成元年に障害のある息子・祐輔が生まれたことであろうと思う。

 

 生まれて間もなく専門の病院に連れて行ったとき、医師から「将来障害が出てきますよ」と言われ、私はショックで貧血を起こし、その場に倒れ込んでしまったが、一緒に来てくれていた義母は、動ずることなくその話を聞いていたことを昨日のことのように思い出す。家に戻ったのち、「私たちがしっかり守ってやるから心配なくやりなさい」と義父と一緒になって励ましてくれたことを憶えている。

(娘(妻)・孫2人と一緒に)

(家族でハワイ旅行へ行ったとき)

(大雪の後、家の前の道路の雪かき。義父・孫の祐輔と)

 しかし一方では義母は退職後も、普段通り、お友達とのお付き合いも深いものがあった。元来が何事に対しても積極的で、他人との縁を大切にし、他人と交わる事が大好きであったので、友達が多かった。生まれが深川の下町娘であったからか、明朗で裏表がなく、傍にいて「とても楽しい」人だと皆さん仰っていた。そのお友達の皆さんと何十年と「お茶」の稽古事を楽しみ、着付けを習っていた。

 

(お茶を立てている義母)

(孫・倫子のお点前を見守る義母)

 妻(長女)には「人が喜んでくれるのが嬉しいの」と言っていたといい、若い時には8人兄弟の長女として弟妹の面倒を見、一人前に育て上げた。結婚してからは夫と二人の娘を育てながら仕事に励み、温かい家庭を作ってきた。義母はどんな大変な時も「ありがとう」の言葉で応えて来た。そういう人生だった。

(夫哲夫の国からの叙勲の時、赤坂プリンスホテルでの伝達式で、2008年)

 

 亡くなる少し前には妻へ向かって「いい人生だったわ」と言っていたという。見送った家族としてはこれに過ぎる慰めはない。頂いた戒名は「善導院喜誉大姉」という。みなさん、その通りのいい戒名だと仰って下さっている。

 

 

 以上、初彼岸なので、昨年11月に亡くなった義母のことを再掲してみました。