先ほどネットのヤフーニュースを見ていたら「日刊スポーツ」の記事を配信したものにとても共感できるものがあった。先の大戦や今のイラン戦争への「戦争反対」に関してものであったが、その中にあった俳優・タレントの松尾貴史さんのコメントが印象深かった。

 

 私の父方の伯父は太平洋戦争の末期、昭和20年のフィリピン戦で戦死し(24歳)、残された家族は戦後その喪失と悲しみを背負って生きてきた(ブログ「戦死した伯父の生きた証ー80年前の軍事郵便はがきー」)。松尾さんのコメントはそこに関わっており、まず最初に記事をそのまま挙げてみたい。

(松尾貴史さん)

 

 俳優でタレント松尾貴史(65)が28日、TBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYOナイツのちゃきちゃき大放送」(土曜午前9時)に生出演。1週間を振り返るニュースの中で「戦争反対」の声をあげることについてコメントした。

 

 出水麻衣アナがこの1週間のニュースを読み上げた。「水曜日(3月25日)です。爆笑問題太田光さんの妻で所属事務所タイタンの社長の太田光代さんがXを更新。『戦争反対と声を挙げることがなぜダメになったの』などと訴えると賛否の声があがりました。また反戦を巡っては、ウサギをモチーフにしたイラストで知られる、いなほゆらさんが『世界中から戦争がなくなりますように』というメッセージを添えたウサギのイラストを投稿したところ、批判が殺到。投稿を削除する事態となっております」と伝えた。

 

 このニュースに対して松尾が「これ、戦争反対ですよ。僕らが若いころは当然、誰でもが共通認識で持っていた。それに対してどういうタイプの方たちが、文句をつけてくるかっていうね。だって、戦争をしたら自分だって困るのに、それを避けるっていうのは政治家だけじゃなくて民間も全部やらなきゃいけないですね。たとえば軍事的な仕事に就いている人もみんなそうですけど。戦争反対、っていうのは当たり前です。平和を維持するっていうのが全人類の役割ですよ。それを普通に声に出した途端にいろんなところから難癖とか圧力とか嫌がらせとか来るようになってる。社会全体がすさんだ気持ち悪いムードをまとい始めてる、っていうね」と話した。

 

 さらに松尾は「第2次世界大戦のときに渡辺白泉という人がね、季語のない、銃後俳句というのを詠んだ…戦争が廊下の奥に立っていた…これね名句と呼ばれているんですけど。気づいたら家の一番目立たない日常的なところに、戦争が立っていた、っていうヒタヒタとくるっていうのが、多分こういう『戦争反対』という当たり前のことをいうことで嫌がらせがくる、というような世の中になっているという、そのときのムード、第2次大戦直前のムードに近づいているんじゃないかな。日本は平和憲法があるからそれを守っていくしかないと思いますけど」と私見を展開した。

                      (ヤフーニュース 3月28日配信)

 

 上の松尾さんの発言の中で印象深いのは、まず「(戦争反対」は、僕らが若いころは当然、誰でもが共通認識で持っていた」、「戦争反対っていうのは当たり前です。平和を維持するっていうのが全人類の役割ですよ」というところである。

 最初に書いたように、私の伯父はフィリピンで戦死した。父方の祖父母や女学校に通っていた母は日立大空襲(昭和20年6・7月)の中を逃げまどった経験を持っている。戦争を体験した私の身近な人たちは皆「戦争だけは絶対にダメだ」と常々私たちに言っていた(ブログ「喧嘩をしたことのない夫婦」)。戦後の米ソ冷戦の中、原水爆禁止運動や2度の反安保闘争、ベトナム反戦運動の高まりがその中に在ったが、私も含め、松尾さんなど、戦争体験者の言葉を直接聞いている世代はこのように「戦争反対」は当たり前のものだった。

 

 そのような経験の中で、松尾さんは次に、最近の戦争を肯定する同調圧力の存在を危惧している。いなほゆらさんのように「世界中から戦争が無くなりますように」などと投稿すると、「お花畑」「現実を知らない」「ファンタジー」などと揶揄・批判する人たちの存在である。これが松尾さんの最も危惧する点である。

 

 ところで、彼らに共通するのは何であろうか。

 それは、端的に言ってしまえば、米ソ冷戦構造崩壊後の、核武装化した北朝鮮を含めた軍事大国ロシア・中国の「脅威」論である。別に言えば、力には力で対応しなければ平和は維持できないという平和=軍事力抑止論である。したがって彼らは、現在高市内閣が進めんとする憲法第9条改定や防衛費増強、軍備拡大を基本的に支持している。

 

 しかし、私が見落としてならないと思うのは、戦争の背後にアメリカ国内の基幹産業の一つであるロッキード社やボーイング社などの独占的な防衛関連企業(軍需産業)が存在し、それが軍産複合体として政府・国防総省と深い関係を結び、その活動が国内経済と連動していることである。

 今度のイラン戦争の性格には、イスラエルのイランに対する憎悪感情にトランプが乗ったという政治的側面とともに、背後にはトランプが、トランプ関税に加え、これら軍需産業を梃子として国内製造業の活性化を図ると言う経済的側面のあることが指摘されている(田村耕太郎「中露イランも震えた米軍新兵器の実践力」PIVOTニュース)

(イラスト、利益のために世界各地で戦争や紛争を引き起こすアメリカの軍需産業資本家、ネットより)

 この戦争では、軍需産業によって開発されたAI搭載の自爆型ドローン(ルーカス)や新型の大型地下貫通弾(バンカーバスター)、それを搭載したステルス型戦闘機等の新兵器が使われているが、それは中国・ロシア・北朝鮮への軍事的な「脅し」とともに、同盟国側への実戦を通した見本市ともなっている(田村同上)。日本も近い将来にはそれを購入しなければならない状況を生んでいる。

 この、戦争をビジネスとし国内経済とも連動するアメリカの世界的な経済戦略が戦争を起こしていることの理由の一つなのである。そして、我々の税金がその購入に使用され、結果我々は加害者となり、イランのみならずガザやウクライナの罪なき民衆に対して多大な犠牲を強いる存在となっている。それが今回のイラン戦争の本質の一面であり、日本が置かれている経済的位置なのである。

(バンカーバスターを投下する新型ステルス戦闘機)

 このような戦争の「裏」の部分ー経済的構造ーを知らずに、多くの人は、ただただロシア・中国・北朝鮮「脅威」論に踊らされて軍備拡張に同意し、結果「戦争反対」を唱える者への同調圧力となっている。権力に踊らされて敵性国への憎悪を募らせるという点では、戦時中の狂信的な「鬼畜米英」感情や「欲しがりません、勝つまでは」の盲目的な愛国スローガンと通底するものなのである。

(マルティン・ニーメラー牧師)

 松尾さんが指摘するような同調圧力の増大の中で、私は、それに抗って責任ある意思決定をする場合、忸怩たる反省を持ってナチスドイツの弾圧を振り返ったマルティン・ニーメラー牧師の告白・『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』という詩を思い出す。

 

  ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。

  私は共産主義者ではなかったから。

  

  彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。

  私は社会民主主義者ではなかったから。

 

  彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。

  私は労働組合員ではなかったから。

 

  彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかっ

  た。

 

 この詩には、最初ナチスに協力し、後に対立して強制収容所に入れられたニーメラーの悔恨が述べられているが、当時のドイツ民衆の軍備拡張・戦争容認への同調圧力はニーメラーのような知識人・宗教者においても例外ではなかった。民衆を扇動した権力の横暴に、自らの問題ではないと声を上げなかったこと、結果的には同調圧力になったことが社会を悲劇に導いていったのである。権力はいつも「無批判」を自らの正当化の根拠とするのである。このような過去の反省を顧みれば、「戦争反対」の声を上げることがいかに重要であるかは、容易に理解できるであろう。

 

 「平和」を叫ぶこと、「戦争反対」を叫ぶことは決して「お花畑」などではない。軍需産業資本家に利されていることを知らずに、「戦争反対」の声を批判する無知で愚かな人々こそが「お花畑」なのであり、自らを滅ぼすものなのだ、と思う。「現実を知らない」「ファンタジー」と言われても「戦争反対」の声こそが平和に通ずる唯一の道なのだ、と思う。皆さん、そう思いませんか。