50代のころ、登山や山歩きは毎日でもしたいと思っていた。元来が体を動かすのが好きな上に、山道の独り歩きが思惟を深めてくれ、また心を慰めてくれる大自然や、山頂に立った時の達成感が何よりも好ましかったからである。
そのころは、夏・秋には独りで北アルプスや八ヶ岳・尾瀬の山々に頻繁に出かけた。またそういう高山だけでなく、近場の低山歩きも、冬・春に行っていた。
(大小山から大坊山を望む。向うに見えるのは足利市街。ネット写真)
(鳴神山から桐生アルプスを縦走し、吾妻山まで来たところ。桐生市街が見える。ネット写真)
私の住んでいる古河(茨城県古河市)の近くには、栃木県足利山塊の、「低山歩き」に絶好な山々が数多くあり、冬・春には毎週のようにそこに出かけていた。とくに、栃木県足利市の大小(だいしょう)山から大坊(だいぼう)山までの起伏に富んだ縦走や、群馬県桐生市の鳴神山から吾妻山までの長距離の縦走(桐生アルプスという)は気に入っていた。それぞれ家から車で1・2時間ほどで行けるところであった。
50代の後半に、自ら望んで、昼間の教頭から夜間定時制高校の教頭に移ったが、それはくだらない管理職の時間と労力を少しでも減らしたいという思いからであった。
学校の教頭というのは、校長と先生方の間に立って苦労ばかりの仕事であった。勤務時間も長く、始業時間の1時間前には行き、終業後も雑務で2・3時間は残っている有様であった。教頭職のほとんどの人は校長を目指しているので、それは平気であったようだが、私は県職員(県立歴史館研究員)から学校現場に戻された立場ゆえに、校長になりたいという気持ちもなく、それよりも拘束されるその勤務時間の長さが何よりも苦痛だった。
夜間定時制高校の勤務時間は、もちろん昼間制と同じように8時間弱であり、その学校では、午後の1時15分から9時までであった。ただ嬉しいことに、教頭としての出勤時間は昼間の様に1時間も前に行く必要はなく(先生方は3時ごろ出勤してきた)、終業も正規の夜9時には帰ることが出来た(実際には仕事が無ければ先生方と一緒に1時間前には帰ってしまった)。これが魅力で定時制教頭を希望したのである。
この時期にはほとんど毎日山歩きに出かけていた。出勤するのが午後の1時ごろでよかったので、午前中に出かけたのである。とくに車で30分ほどで行ける大平(おおひら)山・晃石(てるいし)山(栃木市大平町)から馬不入(うまいらず)山(栃木県岩舟町)までの縦走ルートが中心であった。登山口は主にその中間にある清水寺(せいすいじ)の奥であったが、そこからその日の気分で、大平山方面に向かったり、馬不入山に向かったりした。途中のコンビニで買ったおにぎりを持って大体2時間程度の山歩きであった。
(馬不入山から桜峠を越え晃石山・大平山までの遠景。標高2・300mの低山。縦走できる。ネット写真)
(馬不入山から大平山までの縦走ルート)
(清水寺の観音堂。アジサイの時期。ネット写真)
(清水寺駐車場から見た山桜と菜の花。4月初旬。ネット写真)
(清水寺傍の山ツツジと楓)
(清水寺奥の登山口。桜峠へ至る)
(桜峠。右手の東屋で、東京から来た老婦人に話し掛けられる。先へ行くと晃石山・大平山、手前に行くと馬不入山。ネット写真)
(晃石山山頂から西の日光男体山方面を望む)
(大平山山頂。ネット写真)
(馬不入山山頂。ベンチがある。左側へ下ると岩船駅に向かう。定期券で通っている男性とここで出会う。ネット写真)
11月の紅葉の時期を過ぎると、晩秋の山々の木々は葉を落とし、その間から山肌が見える寒々とした景色となる。2月ごろになると雪が積もることもあった。しかし春になると山桜や山ツツジが目を楽しませてくれ、5月には新緑が鮮やかとなり、6月にはアジサイの大振りの花が迎えてくれた。午前中の低山歩きは不本意な仕事から心を取り戻せる時間だった。
途中で出会ってたわいもない会話をした人のことが思い出される。
清水寺の登山口から稜線の桜峠まで上がり、そこの東屋で休んでいる時、東京から来たという老婦人が「もう間もなく80歳です。まだ歩けるんですよ」と自らに言い聞かせるように私に話しかけてきた。同じように、馬不入山の山頂で休んでいる時に、登って来た70代の男性が「岩船駅まで来て、そこから毎日ここに来ているんですよ」と定期券まで見せてくれた。犬の散歩だと言って犬連れで登って来た60代の男性は「随分北アルプスを歩いたが、こういう平坦な低山歩きも格別だ。十分に満足できる」と言っていた。これらの言葉が今でも記憶に残っている。
退職後の60代半ば、コロナの流行で外出もままならなくなり、またその時期から、家族の病気もあって家を離れられなくなった。年齢も加わり楽しみだった山歩きは止めてしまった。膝も寒くなると痛み始め、頑強であった自分の脚も細くなってしまった。登山靴ももう長い間埃をかぶったままである。
今、この晩秋になっても家庭の状況は変わっていない。教頭職のストレスから逃れようとした低山歩きも、もう懐かしい昔の話となってしまった。50代後半に山で出会った人たちを、その時は「歳をとっても頑張っているな」程度にしか見ず、自分も当然その歳になっても同じように山歩きをしていると思ったが、家族の病気や介護、自身の衰えがあり、そのようにはなっていない。人生とは思うに任せないものである。












