(イタリアの旅、その5)

 

 ゴンドラ巡りをした後、降りたジリオ・ゴンドラ乗り場からサンマルコ寺院を目指して歩いて行った。途中、サンタマリア・デル・ジョッリ教会やサンモイゼ教会の脇を通って行った(地図1)

(地図1)

〈サンモイゼ教会へ向かって〉

 最初、サンタマリア・デル・ジョッリ教会に着く。ここはバロック様式のハザードが有名であるが、それを広場から見ただけで、次に道を右に折れサンモイゼ教会の方へ進んでいった。しばらくすると建物の間からサンモイゼ教会が正面に見えてきた。

 

 サンモイゼ教会の手前に運河があり、橋が架かって、その下がゴンドラ乗り場になっていた。この乗り場を見て3年前に娘と来た時に、この乗り場からゴンドラに乗ったことを思い出した。

 娘と来た時もツアーだったので、どこで乗ったか記憶が曖昧だったのだが、周辺の景色から「ここだったんだ」と思い出した。懐かしかった。

 サンモイゼ教会は橋を渡った正面にあり、ここもバロック建築で有名であるが中には入らず、教会の脇を抜け、そのまま進んでいった。

 

〈サンマルコ広場〉

 しばらくするとサンマルコ広場に入る裏門に到着した。そこから中に入って行ったが、正面奥にはサンマルコ寺院が見え、右奥には鐘楼が聳えていた。「世界で一番美しい広場」と言われ、3年前にも娘と来ていたが、再訪であってもやはり感動めいたものがあった。

 

 

〈上空からの写真。ネットから〉 

 黄色の点線が歩いたルート。ガイドさんから、サンマルコ寺院の説明は後でするので、まず一番奥の「溜息橋」まで行きましょうと言われ、そちらに向かった。

〈溜息橋〉

 この橋は、ヴェネチア総督の館であるドゥカーレ宮殿と牢獄をつなぐ橋で、よく言われるように、投獄される囚人がこの世の見納めと「ため息」をついたからと言われるが、それは後の人が作った話のようである。

 残念ながら、私たちが行ったときには橋は修復中で、橋を描いた絵の大幕で覆われ、見ることは出来なかった。

〈サンマルコ寺院〉

 溜息橋を見た後、またサンマルコ広場に戻ってきて、ガイドさんからサンマルコ寺院についての説明を受けることになった。

 

 ガイドさんは素敵な人だったが、説明する日本語が分かりづらく、ほとんど頭に入ってこなかった。

 

〈ヴェネチアの繁栄〉

 聖マルコは『新約聖書』の中の「マルコの福音書」を記した人物だと言われ、(下左の絵)。その後エジプトのアレクサンドリアの総主教になった。

 9世紀ごろのヴェネチア共和国は地中海交易で発展していたが、長くビザンチン帝国(東ローマ帝国)の属州であり(地図2)、宗教的にはコンスタンティノープルを中心とする後のギリシア正教会の属下にあった。ヴェネチアはそこから自立するため、キリスト教の聖遺物を象徴として保持する必要があり、828年、商人たちがアレキサンドリアの聖マルコの遺骸を密かに盗み取って持ち帰り(下右の絵)、ヴェネチアの守護聖人として祀って、聖マルコ寺院を建立した。ヴェネチアの自立とサンマルコ寺院の成立は一体的なものであった。

 サンマルコ寺院はビザンチン建築を模したものであるが、正面中央上部にはそのマルコの像が掲げられている。また聖マルコを象徴する「有翼のライオン」がその下に配されている。

 

(聖マルコとその聖遺物(遺骸)を盗み出すところ)

 

(地図2)                (地図3)

 13世紀初頭の第4回十字軍はヴェネチア商人の力を借りてのものだったが、経済的問題が絡まり、1204年、エルサレムではなくビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルを攻める結果となった(地図3)。その時の略奪品にサンマルコ寺院の正面の4頭の銅製の馬の像がある(上の写真)。元々はコンスタンティノープルの競馬場の像であったという。地中海世界における、ビザンチン帝国に対するヴェネチアの優位性を象徴する遺物である。

 

(地図4、ヴェネチア商人の地中海での活動)

(17世紀のヴェネチア、1626年のヴェネチア地図)

 

 その後、15世紀の、ビザンチン帝国の跡を継いだオスマン帝国の時代になってもヴェネチア共和国は地中海一帯との交易で栄え続け(地図4)、巨万の富を得ていた。またそれは単に地中海沿岸の商品に止まらず、イスラム商人を介した中東、中国・インドなどのアジア、アフリカ世界の商品を商うものであった(地図5)。その世界的な富の集中は、サンマルコ寺院などのさまざまな建造物が創建・維持されるなど、ヴェネチアの発展の基礎をなすものであった。このような世界へ開かれた特質が、13世紀、ヴェネチアの商人マルコポーロが中国へ赴き、元に仕え、さらにアジア各地を旅した背景にあった。

(地図5、イスラム商人の活動)

 

 ヴェネチアを歩いてみて、サンマルコ寺院などその荘厳さと絢爛豪華さに圧倒されるが、その背景にはヴェネチアが歩んだ歴史とその条件があった。

 私が研究している日本中世の都市や商業と比較して見ると、規模や範囲、富の大きさに雲泥の差があると感じる。極東の閉ざされた島国日本と世界の交易の中心に位置していたヴェネチアの差は歴然である。

 

(続く)