(イタリアの旅、その12)

 

 旅も6日目となり、今日はまず最初にオプションでヴァチカン美術館とシスティーナ礼拝堂を見学することになっていた。いくつかの他のツアーの希望者とともに私たちを乗せたバスは9時にはヴァチカン美術館の入り口に到着した。ここは昨日見学したサンピエトロ大聖堂に接した場所である(図1)

 

(図1、ヴァチカン美術館俯瞰図)

 ヴァチカン美術館は、それ自体は一つの美術館ではなく、25もの美術館の総称であり、主に歴代ローマ教皇の収集品やラファエロなどの作品の展示室から成っている。見どころは、ラファエロとその弟子に描かせた「ラファエロの間」や、ミケランジェロの描いた「天地創造」や「最後の審判」のある「システィーナ礼拝堂」であるが、そのほかに、教皇の膨大な収集品のうち古代ギリシア・ローマの彫刻作品を展示している古代彫刻美術館も見どころとなっている。すべてを見て歩くと7キロにもなるという。

 ヴァチカン美術館の入り口は2つあり、予約なしの来館者は城門の入り口から一定の待ち時間を経て入るが、予約者は左側の通用口から予約時間に入ることが出来る。私たちはツアーの予約者なので左側の通用口から入って行った。

 まずガイドさんに連れていかれたのは、入り口に近い「ピーニャの中庭」と呼ばれる広い中庭であった。ここでは、ガイドさんから説明板を前にシスティーナ礼拝堂の説明を受けた。美術館と隣り合うシスティーナ礼拝堂だけは宗教施設のためガイドさんの説明も禁止されており、ここで説明することになっているのだと言っていた。

 ピーニャの中庭で話を聞いた後、私たちはガイドさんに導かれて入り口側の建物の背後にある古代彫刻美術館に入って行った(図1、下の写真の青点線)。そこはまず「八角の中庭」というスペースがあり、次いで「円形の間」「ギリシア十字の間」と呼ばれる展示室があった。

 「八角の中庭」の見どころの一つは「ラオコーン」像である。16世紀初頭にローマのブドウ畑から見つかったもので、時の教皇ユリウス2世が当時ヴァチカンに勤めていたミケランジェロなどに発掘させ、直後にすぐに展示されて、それがこの美術館の始まりとなったと言われる。他にも「円形の間」にはやはり歴代教皇の収集品となる「ヘラクレス像」、「ギリシア十字の間」には「コンスタンティヌス帝の母の棺」などが展示してあったが、いずれも世界史の教科書・図録にも載る著名なものである。

 つぎに私たちは2階に上がり、縦方向に通路を進み、そこに飾られている「タペストリーの間」と呼ばれるギャラリーを見て行った(地図1)。タペストリーというのは織物のことで、ここはラファエロの弟子たちの下絵を元にブリュッセルの工房で織らせたイエスの全生涯の織物画が展示されている。そこをさらに進んで行くと、つぎには「地図の間」があり、16世紀後半のローマ教皇領やイタリア各地を描いたフレスコ画の地図がいくつも展示されていた。

(タペストリーの間と地図の間)

(ラファエロの間とシスティーナ礼拝堂の位置)

 「地図の間」のギャラリーを見終わってつぎに通路を左に折れて行った所が「ラファエロの間」であった(上の写真)。ここはかつての教皇たちの居室の場所で、壁面や天井がラファエロとその弟子たちの絵で一面装飾されていた。

 ラファエロの間は4つの部屋から成っているが、その装飾画は息をのむほど豪華なものであった。ラファエロの才能と共に、自らの居室にそれを描かせたローマ教皇の権力とその富には感嘆の思いがした。撮影したのは「コンスタンティヌスの間」と「署名の間」だけだったので、下にその時の写真を載せておく。

(コンスタンティヌスの間)

(署名の間)

 なお、「署名の間」にある「アテナイの学堂」のフレスコ画は世界史の教科書に必ず載せられるほどの著名な絵である。ラファエロ22歳の時の作品で、最高傑作の一つと言われている。ラファエロがミケランジェロをモデルにしたと言われる左下の書記の男の箇所には、ガイドさんの説明もあって息子は見入ってしまっていた。

 つぎに行ったのはサンピエトロ大聖堂に附属するシスティーナ礼拝堂である。

(システィーナ礼拝堂の内部と装飾画の構造。この写真は区別のため色を付けてある。ネット写真)

 システィーナ礼拝堂は15世紀後半にシクストゥス4世によって創建されたものであるが、ミケランジェロの天井画「天地創造」(16世紀初)と祭壇聖画「最後の審判」(16世紀前半)のあることで世界的に有名である。また両側のキリストとモーゼの生涯を描いた壁画もボッティチェリらが作成に当たっている。なお歴代教皇の選出である「コンクラーベ」がここで行われることもよく知られている。ここは写真・動画の撮影は禁止であり、その時の記録は撮ることが出来なかった。

 システィーナ礼拝堂を見終わった後、私たちは解散となり、息子と二人でこれも有名な螺旋階段のある通路を経て出口に出ることになった。これでヴァチカン美術館の見学は終わりとなった。時間は11時近くになっていた。

 ヴァチカン美術館の作品群にはやはり圧倒されるものがあった。すでに見学したフィレンツェのウフィツィ美術館やピティ宮殿のパラティーノ美術館もそうであったが、このうちの1点でも日本で公開されるとなったら大きな話題となるものばかりである。イタリアの美術館の展示品の「凄さ」は刮目するばかりであった。

 

 ただヴァチカン美術館で一番思ったことは、膨大な展示物のほとんどが教皇のコレクションになるものであり、さらに自らの居室・宗教施設にも経済的に支援したラファエロ・ミケランジェロなどの画家に描かせている点である。その財力は如何ばかりであったろうか、と思う。

(免罪符の販売)

 ローマ教皇の富は、中世には、教皇領という物質的基盤の上に、カトリック信者の頂点に立つ宗教的絶対性からの収益があったが、その実態は「免罪符」の販売に見られるように、教皇が、神の代理者として、人々の現世での罪の許しや来世での昇天を「財」(金・かね)と引き換えに約束すると言う構造にあった。それこそがヴァチカン美術館のコレクションの背景にあるものである(事実、サンピエトロ大聖堂自体が免罪符の収益で造られている)。ラファエロやミケランジェロの絵画作品はその権威を視覚化し正当化する性格を基本的に持っていたのである。ウフィツィ美術館やパラティーノ美術館の名品がメディチ家の権威を高め、現世の支配者の富を正当化するものであったのに対し、ヴァチカン美術館のそれは、ローマ教皇と言う来世の支配者の富を正当化するものであったのである。

 

 政治闘争のように現世を不当に支配する者に対しては誰しも抵抗を試みられるが、現世を超越する存在には多くの民衆は抵抗の術がない。カルバンやルターの宗教改革運動はそこに根拠を与えるものであったが、以後幾多の改革があっても来世での救いを「財」と引き換えに与えようとする宗教者の在り方は、人間が本質的に持つ存在不安と相俟っていつの時代にも存在してきた。 

 日本でも、某教会の霊感商法などは論外であるが、一般的にも、現在の葬式仏教が1時間程度の読経と簡単な説教を以て相当なお布施を求めるのはその典型であろう。院号・居士号など「戒名」の違いでお布施(葬儀料)にランクを付ける寺のあり方などは現代の「免罪符」である。人々は諾々としてそれに従っている。来世を支配する寺院は、そこから得た富で新たに堂舎や仏像を造立し(ときには美術品も購入し)、こけおどしの荘厳を以て檀家に形ばかりの安寧を与え、さらなる「財」収奪の循環構造を作り出している。中世のヴァチカンの構造と同じである。

 

 ヴァチカン美術館の美術品は継承すベき「世界の宝」であるが、それが存在してきた意味について無知であっては、おめでたい観光客に止まってしまうのではなかろうか。

 

(続く)