この前の総選挙の結果にはとてつもないダメージを受けています。人権や平和を第一とする「戦後リベラリズム」が足元から一挙に崩れ去ったという、そんな感覚です。

 またそこには、高市早苗やその政権によってというよりも、それを支持した「大衆」によってという点があります。「足元から崩れた」と感じたのはそういうことです。私には、世界恐慌後の不況の中でナチス登場を支えたドイツ「大衆」を彷彿させるものでした。

 

 今まで様々な潮流があっても根底には息づいていた「戦後民主主義」の理念が、その拠って立つ「大衆」の手によって否定されたという、そういう何とも言えない絶望感と虚脱感が心を占めています。

 年老いてしまったこともあって、もうどうにでもなれ、「店仕舞」だと、そんな捨て鉢な思いに駆られているのですが、ただ私事を言えば、今後「強権」露出の世界に生きていかなければならない、障害のある息子や病気を抱えている家族のことがあります。これが唯一の気がかりです。

 

 高市の「軍事費増強」による「福祉切り捨て」の時代は間違いなくやって来ます。それを支持する「大衆」にも、憲法に拠る基本的人権よりも「自己責任」論がより幅を利かせるはずで、それを思うと暗澹たる気持ちになります。

 

 私の今までのブログ(内山俊身のインドの旅)は個人的な思いを述べたものに過ぎないのですが、今回、選挙の結果を家族への思いに重ねて、昨年1月に書いた、障害のある息子と歩んできた生活の一こま(スノーシュートレッキング)を再掲したいと思います。

 

 以下再掲。

 

 いつも2月のこの時期になると、昔息子とよく出かけたスノーシュートレッキングを思い出す。

(息子・祐輔とスノーシュー、八ヶ岳)

(八ヶ岳のスノーシューコース)

 障害を持って生まれた息子には、出来るだけのことをしてやろうと、今まで二人でいろいろなことをやってきた。私の趣味に付き合わせることがしばしばであったが、海外旅行が好きなので、二人でイタリア(ブログ「イタリアの旅」)、スペイン、エジプト(ブログ同名)、アテネ・イスタンブール(ブログ同名)、中国(北京・西安・上海・香港)、台湾などに出かけてきた。

 

 山歩きも趣味なので、安全に歩ける山を選び、夏・秋には、北アルプスでは槍・穂高連峰の涸沢まで、八ヶ岳では硫黄岳や本沢温泉まで、尾瀬では山登り以外のほとんどのコースをトレッキングしてきた(ブログ「夏の尾瀬の思い出」)

 冬もどこかに出かけたいと思い、スノーシュートレッキングを何度もやってきた。主に行ったのは奥日光のコースで、吹雪いている中を戦場ヶ原から小田代ヶ原まで震えながら歩いたこともあった。

 

 スノーシューで一番思い出に残っているのが八ヶ岳である。北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅からロープウェイに乗って山頂駅で下り、そこから周辺を散策するのである。時期は2月から3月初めがよく、景色も素晴らしかった。

(北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅)

(ロープウェイ)

(ロープウェイから眺めた風景)

(山頂駅)

(山頂駅から歩き始めたところ)

 山頂駅から廻ったのは地図のようなコースで、初心者向けである。息子は手足にも少し障害があるのでスノーシューを持ち上げるのがスムーズにいかず、転倒することもしばしばであったが、雪景色の中、遠くに北アルプス・南アルプス・御岳山などが一望できる光景には感動していた。

(山頂駅から散策したコース、黄色い線のところ)

(八ヶ岳からの周囲の眺め)

 最後に行ったのはもう13年も前になる(上の写真)。息子が23歳のときであった。今から4年前にグループホームに入れることになって親としては安堵したが、このような楽しい旅はもうあまりできない。正月や五月の連休、お盆の時期にしか家には帰ってこない。

 一生の思い出にと、海外旅行はじめ一緒に行った旅の記録は動画や写真に撮ってあり、それを編集して、グループホームに入る時にパソコンに入れて持たせてやった。親がいなくなり独りになった時に、少しでも淋くないようにとの、思いである。

 

(転んでいる)

(昼食、持参したバーナーで作る)

(昼食を作った森林展望台にて)

(ここからの景色が素晴らしかった)

(コースの終わり近く、縞枯山荘前で)

 

 歳をとってしまい、もうスノーシューには出かけることはできない。これは、もう二度と行くことはない息子との山旅の思い出である。

 

 以上再掲してみました。

 

 今の危機的な状況に、同じような想いの方がどのように対処しているのか、ブログやフェイスブックを見ていくと、勇気づけられるものが数多く見受けられます。「店仕舞」の前にまだまだやることがあると思っています。