3月に入り、毎年楽しみにしているメジャーリーグも間もなく始まりますが、昨年のちょうど同じ3月1日に投稿した「大谷選手、ベッツ選手、競輪の話」を再掲したいと思います。ただベースボールは枕の話で、もう30年以上も前に亡くなった、昔の同僚で競輪仲間だったKさんとの思い出話です。

 

 

(以下、再掲)

 大谷選手は野球でストレスを感じない唯一の選手だと、ユーチューブでベッツ選手が言っていた。ベッツ選手は家にボーリングのレーンやホームバーを持っていて、それでストレス発散をしているのだと言う。どんなに好きな仕事でも、やり続けていればストレスが溜まると思うが、どうやら大谷選手はそうではないらしい。

(場外売り場の大画面。静岡競輪のオッズが出ている)

 

 大谷選手やベッツ選手を引き合いに出しては気が引けるが、ストレス発散にときどき競輪場に出かける。競輪場と言っても大画面で見る場外売り場なのであるが、若い時分に、後に書く同僚のKさんから教えてもらって、もう40年の競輪歴を持っている。しかし儲ける気はさらさらなく、その日の「運試し」でやっている。

(場外売り場で大画面を前にしたお客さん)

(一緒に行った息子)

 先週も近くの館林場外売り場に息子と行ってきた。

 ケチな性分なので、上限金額を決め(1レース500円まで)、3・4レースやって負ければそこでお仕舞にする。勝てばその金を全部次のレースにつぎ込み、だいたい4・5レースでオケラになって終わる。

(他の競輪場のレースを賭けることも出来る)

 

 車券はいつも、1着・2着をそのまま当てる「2車単」という買い方をする。その時、オッズ(賭け率)が10倍以下の固い組み合わせは買わない。博打なのだから、夢があった方がいい。かといって30倍以上となるとまずは来ない。来る可能性があってそこそこ楽しめるのは10倍から20倍までの間なので、そこに絞って1レース3・4枚買っている。

(静岡競輪の第9レースの出走者。3ー4の茨城ラインが一番人気)

 

 先週の静岡競輪の9レース目は面白かった。一番人気は3番(赤)の吉田有希選手と4番(青)松崎広太選手の、同じ茨城ラインの3-4であったが、オッズは当然低く4倍程度でこれは買わない。ただ吉田選手は強いのでこれを1着としたうえで、「流し」と言って、10倍台になる組み合わせで3枚買った。

(出走前の選手)

(レースが始まる)

(ゴール少し前の展開。この後落車があった)

(買った車券。3組買い、3-1が来た)

 

 レースの展開は、それぞれのライン(同県や近県の選手で組む)で走るのだが、そのレースは最後の1周でも吉田ー松崎選手のラインは崩れず、そのままゴールしてしまった。3着には買っていた1番(白)の坂口晃輔選手が入ったが、2着に入らなければ意味がない。「あーこれはつまらない。ラインのままだ、鉄板だ」とがっかりしたが、しかし何と、そのゴール少し前で落車があったのである。どの選手かが接触を受けて倒れてしまった。もしかして1・2着にゴールした選手が接触したのかも、と再放映のレースを見ていたら、接触したのは2着の松崎選手であった。すぐに場内放送で「審議」のアナウンスがあり、もしかしたら「失格」かもと、期待し私はそれを心の中で強く念じた。幸運にも間もなく松崎選手は「失格」となった。3着に入った1番(白)の坂口晃輔選手は2着に繰り上がり、私の車券3-1は当たったのである。

(払戻金の発表。2車単では3-1は1530円ついた)

 

 まもなく払戻金の発表があり、100円の車券で1530円が付いた。

 

 博打でも、私は競輪以外は全くやらない。パチンコもやらない。もともと賭け事は私の体質には合わないのである。競輪をやるのはゴールに入る瞬間が面白いからである。競輪は最後の最後でどんでん返しがある。競馬にはあまりこれがない。ゴールの瞬間に目を凝らせねばならず、「頭が真白」になるのである。これがストレス発散になる。

(左側がKさん。修学旅行の山口錦帯橋で、右が私、1984年)

 

 競輪を教えてくれた同僚はKさんと言って、新採で入って来た国語の教師であった。私よりも7歳ほど若い人であったが、気が合って職場が変わってもよく二人で出かけた。遊び人だが優しい奴で、儲かるといつも私の子供にとお菓子を買ってくれた。ある年の暮れに行った時には、競輪場の特観席で私の年賀状書きまで手伝ってくれた。

 

 もう30年以上も経ってしまったが、その年の3月30日に宇都宮競輪場に一緒に出掛け、その夜は妻を入れて3人で家の近くの小料理屋で一杯やった。離婚してしばらく経っていた彼は、「内山さん、誰かいないかな」と私と妻に向かって寂しげに言っていた。

 

 その翌々日に彼は心筋梗塞を起こして突然に死んでしまった。4月から新1年生の学年主任になると張り切っていたが、その日にである。私も妻も驚きを通り越して、ただただ呆然とするだけであった。お母さんを独り残しての30代半ばの死であった。

 

 競輪に行くといつも彼のことを思い出す。

 

 教員という人種は、職業柄、大方真面目である。無能な私は多くの優秀な同僚に助けられてきたが、彼は別人種であった。

 「博打は運だ。人生と同じだ」「このレースはこういう展開だ、間違いなくこれで決まりだ」「来れば〇万円になる。取ったら〇〇に繰り出そうぜ」と無邪気に言っていた。常識的な同僚ばかりの中で、彼は博打打ちの能天気さとそれと表裏の「刹那」「虚無」を持っていた。私は心の奥底で「同類」だと感じていた。こういう無頼な友は長年の畏友・村上慈朗以外にはいなかった。

 

 「人生はこんなもんだ、じゃ、さようなら」と彼は最期に言っていたのだ。今はそれがよく分かる。何も残さず早く去っていった者にはかなわない。

(以上、再掲)

 

 

 人生の虚無は博打の比ではない。彼の魂は何処へ行ってしまったのか、何をしているのか、と思っています。