過日、沖縄よりもっと南の島に行ってきました。

 

 飛行機を降り、空港からバスで一旦市街地へ向かったのですが、私は千円札と小銭を大量に用意していました。その地元のバスは市街地まで5百円以上かかり、かつ千円札までしか両替できないとネットにあったからです。

 

 水着を買おうと思って行ったその市街地で目に飛び込んできたのは、あの大手チェーンの「丸亀製麺」の看板でした。これには驚きました。もうここは台湾にも近い島で、あの「八重山そば」の本場です。そこへ全国どこにでも見られる大手資本の進出があり、異国情緒への「侵略」があったのです。

 

 途中バス停で現金で降りる人たちは皆無でした。地元の人と見えた人たちもみんな「ピッ、ピッ」とカードをかざして降りていきます。

 「こんな日本のはずれの南の島でも、私のようなアナログ人間はもういないのだ」と、ここ10年近く市バスに乗ることのなかった私は、後ろの人を気遣いながら大量の小銭を投入口に入れてバスを降りました。

 

 今回は、もう20年も昔になってしまったインドのバスの思い出を再掲してみたいと思います(ブログ「30年ぶりのインドひとり旅」)。南の島のバスからの思い出話です。少し長くなりますが、お付き合いください。

 

 

(以下再掲です)

 

 今回は、たわいもない話なのですが、7日目、デリーで乗った市バスのことをお話ししたいと思います。「へえー、インドの市バスはこんななのか」と、驚いたり、面白がったりした話です。

 

(デリー地図、グーグルマップから)

 

〈クトゥブ・ミナールへ〉

 ヴァラナシからの夜行列車を降り、朝の9時過ぎにホテルに入り、朝食を摂りながらガイドブックを広げて見ていると、デリーの観光名所がいくつかあります。人に惹かれて行き当たりばったりの旅ばかりしている私でも、もう帰国間近。今日は真面目に観光地巡りでもしてみようか、と考えました。

 

 ホテルから歩いて行けるところに、建国の父ガンジーの火葬の場であるラージ・ガートや記念博物館があり、まずそこに行って見ることにしました。この場所についてはガイドブックその他で詳しい説明がありますので、ここでは省略します。

(ラージ・ガートで)

  

(ラージ・ガート博物館前のガンジー像)

 博物館を出たのはお昼少し前の11時半ごろでした。さて次は何処へ行こうか、ガイドブックにはデリーでは絶対見逃せない名所として、郊外15キロ離れたところにあるクトゥブ・ミナールという遺跡が載っています(上記地図)。イスラム教徒のインド最初のモスクらしく、とくに高さ72.5メートルの赤砂岩と大理石の塔が有名だそうです。

(クトゥプミナール、ネット写真)

 「見逃せない名所」ならば行かねばなるまいと思い、さて行く方法はと考えました。オートリキシャもいいが、ガイドブックには、郊外だから安く行くには乗り合いの市バスがある、ニューデリー駅から505番のバスに乗ればよいと書いてあります。

 

〈市バスに乗る〉

 バスに乗ってみようか、と考えました。ただ別の本では、デリーの市バスは市民の脚として愛用されているが、外国人旅行者の場合、降りる場所が分かりづらく、そして何よりも車体が傾ぐほどの異常な混み様と、バス停ではスピードを緩めるだけで、乗る人がいないと見るやそのまま行ってしまうこともあると書いてあります。「普通の旅行者にはとても無理」ともあります。

 でもこれも経験です。一般の市民が利用するものならば、トラブルが起こっても今日の内にはホテルに戻れるだろうと思い、バスに乗ってみることにしました。

 

 ただ505番のバスがこの博物館近くを通るかどうかは分かりません。まずは何処か近くのバス停を探し、そこにいる人に訊いてみようと考えました。何人かに訊き、どうにかバス停までたどり着き、そこにいた人に訊くと、クトゥブ・ミナールに行くには533番のバスに乗ればよいということです。

(デリーの市バス、ネット写真)

 そこでは20分ほど待ちましたが、その間に来るバスを見ますと、日本人の感覚ではほとんどが使い古したおんぼろバスです。バスの番号は運転手席の上の方に出ています。

 ほかに気付いたことは、停車中のバスがあると、次に来たバスはスピードを緩めるだけでそのまま行ってしまうことです。これはガイドブックにある通りでした。でもよく見ていますと、車掌らしき少年がバスから身を乗り出して大きな声を掛けています。それで反応が無ければ行ってしまうと言うようでした。おそらく大声で「〇〇行きだ、乗る人はいるか」と言っているようです。人力に頼るインドらしい風景です。

 

 533番のバスがやって来ました。混んではいないようです。手を挙げましたのでバスが停まります。乗車口は後方で、前方は降りる時に使うようです。席が空いていたので座れましたが、すぐに切符売りの車掌の少年がやって来ました。クトゥブ・ミナールまでは10ルピー(24円)です。オートリキシャですとこの距離は150ルピーぐらいになりますので、安いものです。車掌は前と後ろに2人いましたが、2人とも10代後半ぐらいの少年で、制服はなく、粗末ななりをしたその辺のあんちゃんと言う風情です。

(乗車した市バスの中)

(市バスの中の私)

 乗っていますと、すぐに「ドンドン、ドンドン」という音がします。最初は何なんだろう、不思議な音がするな、バスの調子でも悪いのかなと思いましたが、そのうちに理由が分かって来ました。前の方の車掌がバスの側面を叩いているのです。どうして叩いているのかと言うと、運転手への停車や発車の合図なのです。先ほど車掌が大声でバス停に向かって声を掛けていると言いましたが、バス停に乗る人が居そうな場合には、前の車掌が窓から手を出し、側面を叩くのです。これが停発車の合図なのです。

 デリーの市バスは日本のようなワンマンバスではなく、このように運転手と2人の車掌で運行し、車掌にはそれぞれ役割分担があり、かなり人力に頼ったものなのです。

 

 また降りる時はどうするかということですが、もちろん日本のバスのようなプッシュボタンなどはありません。前の車掌のところに行き、降りる旨を言うようです。また次のバス停を告げるようなアナウンスなどはありませんので、乗客はいつも自分の降りる場所を確認していなければなりません。ですから見ず知らずの外国人旅行者には利用しづらいわけです。

 

 また車掌の仕事については面白いものを見ました。

 これはクトゥブ・ミナールから市内へ戻る時の経験でしたが、クトゥブ・ミナールのバス停から乗車した時、座席を見ると、左側のみに乗客が座っているのです。一瞬何故なんだと思いました。空いている側は予約席にでもなっているのか、それとも日差しを避けて片側のみに座っているのかと思いましたが、市バスで予約席などあるはずはなく、座っているのは日差し側です。私は気にせず、空いている側に一人で座りましたが、そうすると後ろの車掌が寄って来て、皆の座っている側へ移れと言います。その理由は後で分かったのですが、混み方が尋常ではないため、効率よくバスに人を詰め込む方法だったのです。混み方は朝の山手線の通勤ラッシュ並みでした。

(市バスの混み様。ネット写真)

 とくにインドらしいと思ったことが他にもあります。

 これはクトゥブ・ミナールへ向かう時の出来事でしたが、乗ってしばらくして停車すると、普通は乗車の時には利用しない前方の降り口の方から二人の男性が乗り込んできます。

 一人は警察官でした。切符売りの車掌は料金を取りに行きません。サールナートからヴァラナシ市内への私の借り切ったオートリキシャに勝手に乗り込んで来たのと同じです。無賃乗車は役得なのでしょうが、そういう社会なんだと思いました。

 

〈インドの寅さんー車内テキヤの可笑しさー〉

 もう一人は車内販売人です。これは本当に面白いものでした。車内販売人というか、車内行商人、いやもっと平たく言うと、日本映画『フーテンの寅さん』のあの寅さんのような「テキヤ」でした。

 30代の男性でしたが、前から乗り込んできて、何をするのかと思ったら、自分の商っている商品の口上を述べ始めるのです。その商品は「簡単便利なレモン絞り機」と言ったところでしたが、通路の前方に立ち、乗客に向かって「さあさお立合い、ここに取り出したるは、簡単便利なレモン絞り機、こうすればあっという間にレモンジュースの出来上がり!」と口上を述べながら、手にした絞り機でレモンを絞って見せます。本当に数秒間であの硬いレモンがジュースになって行きます。下の写真がそれです。

(レモン絞り器の口上を述べるテキヤの男性とそれを聞く乗客)

 残念ながらそのテキヤの男性は日本の寅さんのようなキャラクターではなく、真面目そうな人物でしたが、この車内テキヤの出現に、私は、面白いやら可笑しいやらで、半ば口を開けたまましばらく見惚れていました。乗客たちも別に無視する風でもなく、口上に聞き入り、手さばきの良さを眺めています。その間2・3分ほどでしたが、お客の間を一人ひとり廻っても残念ながら「簡単便利なレモン絞り機」を求める乗客は現れず、そのテキヤの男性は次のバス停で降りて行きました。また別のバスを狙うのだろうと思います。

(フーテンの寅さん、ネット写真)

 市バス体験は本当に面白いものでした。日本のワンマンバスと比べて見ると、インドらしさをふんだんに持っています。2人の車掌の所作といい、車内テキヤといい、人間臭さが一杯です。インドらしさをつくづく感じます。

 

 日本の乗り合いバスにも昔はこういう風景はあったのでしょうか。いやこれはなかったと思います。ワンマンバス以前の、女性車掌一人がいる乗り合いバスの経験はありますが、側面を叩いてバスを発車させるなどなかった、歌謡曲にもあるように「発車オーライ」の掛け声だけだったはずです。まして車内テキヤなど何処にもいませんでした。

 

 でもこの女性車掌も、私の子供時代を最後に消えていきます。正確な時期は分かりませんが、自分の記憶では日本のバスがワンマン化するのは1960年代後半ごろではなかったかと思います。テクノロジーの発達とバス会社の経営合理化が理由ですが、あのプッシュボタンと運転手のマイクの声、料金表示と料金投入箱の風景が始まります。

(女性車掌の時代、ネット写真)

(水戸市の私立中学へ通っていた1968年当時(14歳)。この頃からワンマンバスになり、毎日、水戸駅から学校まで利用していた。学校行事のサマーキャンプで)

 将来はインドでも日本と同じようにワンマンバスに代わって行くでしょうか。私はそのようなことはないような気がします。経営合理化・機械化を止める大きな理由があります。それは何よりも安価な労働力です。11憶にも達する膨大な人口を持ち、多くの貧困層を抱えるインドでは、労働力が極めて安いのです。ワンマンバスを購入するなど設備投資するよりも、安価な労働力を大量に使用し続ける方が、利潤の効率がいいのです。やはり貧困がインドの風景を決定付けているように思えます。車内テキヤも、どこでも稼ごうとする貧困の現れだろうと思います。

 

 でも不思議なものです。貧困が原因でありながら、この風景には、どこか人間らしさ、面白さをを感じてしまうのです。「生きる逞しさ」とでも言うようなものを見せ付けられるのです。「貧困は悪だ」と言いますが、「いやいや少し待てよ」、という気にさせられます。面白いものです。

 

 

  口上の 滑らかな唇(くち) 見つめれば 寅さんの声

  生きくるインド

 

 

(以上、再掲でした)

 

 でも、ここ南の島でも懐かしい風景がありました。

 帰りの便に乗るためのバスで、私は表示板の金額を間違え倍近くの小銭を投入箱に入れ降りてしまったのですが、発車した後気付いた運転手さんが、バスを止め私を追ってきて「お客さん、払い過ぎですよ」とにこやかな顔をして余分な額を手渡してくれたのです。東京ではあり得ない話です。

 

 また、途中の観光名所の湾のバス停では、別々の方向にでも別れて行くのか、老年の男女が互いに見えなくなるまで手を振っていました。そんな切なさのある光景もありました。別れを惜しむ寅さんとさくらのようでした。

 

 まだまだ暑い南国の日差しの中で、やはり寅さんの時代はここには残っているのだと思った出来事でした。