(「胡同(フートン)へ行く(①)」から続く)

 

〈中国の伝統的建物・四合院(しごういん)〉

(私たちが行った四合院の家の前の路地の風景。ゴミが至る所にあり、これが胡同の実際の生活なのだと感じます)

 しばらく路地を走っていて、私たちの自転車タクシーはある一軒の大門の前で停まりました。大門から先へは、路地に沿って家壁が続いています。どうやらこれが目的の「四合院」(しごういん)の建物のようです。

 

 この一角は上の写真にあるように、周囲にはゴミが散乱しており、正直「汚いな」「昔の中国だな」と感じるような場所でした。四合院の場所とは言っても、どうやら外国人観光客向けに整備された地域ではないようです。下の写真にあるように、朱塗りの大門の色も随分剥げ落ちており、一般の民家に連れてきたようです。

(ある家の前に到着。中国北部の伝統的家屋「四合院」の大門の前で説明するガイドさん)

(説明を聞く息子)

 ガイドさんはまず大門の前で説明を始めます。それは「胡同に見られる多くの四合院は清代のものだが、この四合院は古く元の時代の様相を残しているんだ」と言うことで、特徴の大門の箇所を指し示して説明していました。ただどこがそうなのかは今となっては覚えていません。

 

〈四合院の中へ〉

 次に屋敷の中に入って行きます。まず「四合院」についてですが、その手の本ではつぎのように説明しています。

(四合院の俯瞰図、ネット図に加筆)

「「四合院」建築とは、3千年の歴史を持つ中国の伝統的な住宅様式のことで、北京四合院が最も代表的なものです。中国を舞台とする創作物には必ずと言ってよいほど登場します。「四合院」の基本構造は中庭である「院子」(いんし)を中心に、4つの建物が左右対称に配置されています。北が母屋の「正房」(せいぼう)で主人夫婦とその両親が居住します。東西の両脇が「西廂房」と「東廂房」で子女が居住します。通りに面した南側が「倒座房」(とうざぼう)で使用人の住居、倉庫などに利用されました。ここには、大きさや装飾などで主客・長幼などの儒教的な価値観が色濃く反映されています」(『中華後宮大事典』など)。

というものです。

(中庭(院子)で説明するガイドさんとそれを聞いている息子)

 屋敷の中庭(院子)でガイドさんの説明を受けていると、北側の建物である「正房」(母屋)から、ドアを開けて一人の老人が出て来ました(下の写真)。おそらくこの屋敷の主人かその父親だろうと思います。観光箇所であっても日常生活を営んでいる場所なのです。「すいません、勝手におじゃましています」と中国語で言えばよかったのですが・・。でもこういう生活感があるのがいいですね。

(正房(母屋)から出て来たご主人(あるいは父親)

(四合院を上から見たところ。中庭を真ん中に四棟の建物が建つ。ネット写真)

 

〈自転車タクシーのオジサンの親切〉

 四合院の見学が終わり、また路地で待っていた自転車タクシーのところまで戻って来ると、運転手のオジサンが「写真を撮ってあげるよ」と、両手でカメラのポーズを作って座席に座った私たちに言ってきました(下の写真)

 何でもない普通の出来事なのですが、実は、私にはこれがこの旅行で一番心に残っている事なのです。

(カメラのポーズをして「撮ってあげるよ」とオジサン)

(その時の写真)

 実は、私は人力車というものが本当は好きではありません。昔行ったインドでは、まさに人が曳く「リキシャ」、今回のような自転車で曳く「サイクルリキシャ」、原動付きの「オートリキシャ」の3種類のリキシャに乗りましたが、人曳きの「リキシャ」、次いで「サイクルリキシャ」には微妙な抵抗感がありました。それは「人に曳かせて(走らせて)そこにふんぞり返っている」点にあったのです。

 

 とくに人曳きの「リキシャ」は、今から50年前、ガヤと言う駅から仏教聖地のブッダガヤまで初めて乗った時の思い出があります。田舎道を2時間も走らせたのですが、粗末ななりのその年配の車夫は、両脚の皮膚が象の足のように膨れ上がる「像皮病」という病気でした。その痛々しい脚を21歳の若造が高い座席から偉そうに眺めながら乗っていたわけです。相応の料金を払っているとはいえ、日本の経済力の賜物であり、あたかもかつての植民地支配者が現地人を使役しているようで、何とも言えない複雑な思いを抱いたことを憶えています。

 

 今回は観光地巡りの自転車タクシーに過ぎませんでしたが、一生懸命自転車を漕いでいる年配のオジサンの背中を見ていると、やはり微妙な抵抗感があります。

 加えて心に浮かんだのは「中国人が日本人を運んでいる」という構図でした。50代後半には見えたそのオジサンですので、「反日」感情が戦争の次世代として現実性に裏付けられているのではないか、と思ったことです。「憎い日本人を乗せるのはイヤだけど商売だから仕方ない」と心の中で呟いているのではないか、と感じていました。私がそのオジサンの背中を見ていて「中国人と日本人」の関係性を真っ先に想像したのはそういうことなのです。

 

 この胡同めぐりは、内心ではそんな感情を持ってのものだったのですが、しかし帰路となって座席に座った時、(カメラなど手にしていなかったのですが)、「写真を撮ってあげるよ」とでも言うように手をカメラの形にしてにっこりと話しかけてきたのです。オジサンにとってはいつもやっているサービスの一つだったのでしょうが、その穏やかな顔つきと仕草に私は驚き、内心の複雑な感情が一挙に溶け去って行くという思いでした。些細な出来事でしたが、この親切がこの旅の一番の思い出になっています。

 

〈夕食を食べに街の飯屋さんへ〉

 オプショナルツアー最後の胡同めぐりが終わり、私たちはホテルまで戻って来ました。今晩の夕食は初めてフリーです。ツアーで用意された豪華な中華料理はもう十分堪能しましたので、二人でホテルからブラブラと歩いて、一般の人たちが入っている飯屋さんへ行ってみることにしました。ホテルから歩いて10分ほどのところに「華必和」という名前の飯屋さんがあり、ネットでも北京在住の日本人の紹介があったので、そこに入って見ることにしました。

(ご飯屋「華必和」の表と店内)

 その店はカウンターのケースの中の品を選んで、最後に料金を支払うものですが、取って来たのは下の写真のようなものでした。

 こういう普通の食堂での食事が一番したかったのです。それも一般の人たちに交じって・・。この食事は、用意された宴席料理のどれよりも美味しく、印象に残りました。これが私にとって旅行の何よりもの醍醐味なのです。

(ご飯屋「華必和」での食事)

 夕食を終え、ホテルに戻る途中に見かけたのは胡同の路地ですれ違ったのと同じような荷台付き自転車で、そのまま露店を開いているものでした。オバサンの野菜売りの露店と、もう一つはオジサンの本屋露店です(下の写真)。「おぉ」っと思わずカメラを向けてしまいました。必死に生きている庶民の生活だな、なんか中国らしいなと思った次第です。

(自転車荷台の露店商)

 今日の午後は、ツアーであっても印象に残るものでした。普通の人たちの日々の暮らしの一こまを見たことは、それだけで旅に来た甲斐があったというものです。自転車タクシーのオジサンのさりげない親切も旅の「宝物」になっています。

 

 

(続く)