旅の醍醐味は「見る」ことよりも、やはり「感じる」ことではないかと思っています。
今までの多くの旅を振り返ってみても、思い出すのは心の深いところで触れたり、感じたりしたものだけでした。そしてその多くは、庶民のごく普通の暮らしを垣間見たり、人と親しく接したときのものでした。
今回の旅はツアーだったため思い出すことがあまりありません。ツアーは「旅」ではなく「旅行」なのです。唯一「あー良かったな」という気分になったのは、胡同(フートン)でちょっと見かけた北京の人たちの日常生活と、そこへ行くとき乗った自転車タクシーのオジサンのことです。あとで書きたいと思います。
〈北京の銀座・王府井(ワンフーチン)へ〉
旅の三日目、午前中に故宮を見終わり(前回のブログ)、昼に北京家庭料理を食べ、午後はオプションで半日観光です。それは北京動物園と王府井(ワンフーチン)散策、胡同巡りという定番のもので、まず王府井の散策から始まりました。王府井は故宮のすぐ東側の一帯にあり、ショッピング街で、東京なら銀座・渋谷のような繁華街です。
(北京市街図、王府井と北京動物園の位置)
(王府井界隈、ネット写真)
ここは自由散策だったので、初めてツアーを離れて気楽に歩き回ることが出来ました。普段の暮らしぶりを見たいと地元の中華料理店に入ってみましたが、でもメニューが読めず、漢字から「酢豚」かと思って注文したものが「ニラレバ」のようなものだったりして・・、味もちょっと・・でした。
〈パンダに会いに北京動物園へ〉
王府井のつぎに向かったのが北京動物園です。この歳になって動物園でもないのですが、オプションに入っているので仕方ありません。パンダと対面することになります。
(北京動物園)
上の写真の右上のものが北京動物園の入り口です。中国でも人気はやはりパンダです。入り口から中へ入って行くとすぐに「大熊猫(ジャイアントパンダ)館」(上の右下の写真)があり、そこへ入って行きます。
(パンダを見る)
ガイドさんからは6・7頭飼育していると説明されていましたが、「大熊猫館」ではパンダは皆寝っ転がって動かず、唯一動いていたのはクマザサを食べていた一頭だけでした。私の目には、社会に適応できない「引きこもり」のように映り、とても「もの悲しい」ものに感じてしまいました。
昔、北八ヶ岳の深い森の中を歩いていたときに突然野生の若いシカが目の前に飛び出し、そのまま対峙していたことがあったのですが、このパンダの状況はその対極にあります。「動物園」という、「野生」から切り離された「見世物の無残さ」をより感じさせるものでした。「だから動物園には行きたくなかったんだ」「これでパンダは見たぞ」「ちゃんと観光したぞ」というところでした。
〈ノスタルジーの胡同(フートン)へ〉
(観光地となっている胡同の位置)
つぎに行ったのは胡同(フートン)です。「胡同」とは一般には旧北京城内に点在する「細い路地」のことを言いますが、特定の場所が観光地となっているようです。そこには「四合院」(しごういん)という伝統的家屋がそのまま残されており、古い北京を体感できる場所だと言います。北京オリンピックの時の都市再開発でこうした風景も次第に姿を消しつつあるようですが、外国人観光客が増える中、名所として新たに整備されている箇所もあるようです。私たちが行ったのは結構日常生活が垣間見えるところで、整備された場所という感じはしませんでした。
(自転車タクシーに乗る)
私たちのバスは故宮の北西一帯の「胡同」に着きました。まずガイドさんに自転車タクシーのたむろするところまで連れて行かれます。自転車タクシーとは観光者向けの自転車付き人力車のことで、私たちに宛てがわれたのは50代ほどのオジサンの引く車でした。
(胡同の狭い路地を走る自転車タクシー)
(何かを商っているお店の前でTシャツをまくり上げた主人らしき人が立っている)
(店の中から奥さんらしき女性が出て来た)
(路地の角では子供達が遊んでいた)
自転車タクシーは列をなして細い路地を走って行きます。車の左右に見えるのは灰色を基調とした粗末な街並みと、背後から枝を伸ばした青々とした街路樹です。通りではバイクや自転車が乱雑に停められ、粗末な商店の軒先ではTシャツをまくり上げた主人らしき男の人が立っています。店の中からは奥さんらしき女の人が手に鍋を持って出て来ます。角を曲がると子供たちが立っており、なにやら遊ぶ相談でもしているようです。日常の生活感がありありと感じられる場所で、昭和の中盤生まれの私には時間が止まったようなノスタルジーを感じさせるものです。
(すれ違った荷台自転車を漕ぐ女性)
(同じく荷台自転車を漕ぐ男性)
狭い路地のため、人も自転車もすれすれに行き交います。とくに憶えているのは荷台を付けた自転車です。中年の女性が野菜をその上に載せ、私と同年齢ほどの男の人が仕事道具らしきものを入れて私たちの自転車タクシーの脇を通り過ぎて行きます。仕事に向かう途中なのでしょうが、「暮らしぶりはどういうものなんだろうか」、「みんな一生懸命生きているな」などという、「感慨」にも近い特別な感情が起こって来ます。私の少年時代、父親が朝早く市場に出す野菜を原付バイクの荷台に積み、出かけて行ったことなどが懐かしく思い返されます。
(自転車タクシーの上から眺める息子)
(路に面して四合院建物の門があり、その前で井戸端会議をしている人たち)
通りには家の門の前に座り込んで何やら話をしている人たちも見かけます。開いた門扉から中がちらっと見えましたが、これが後で行く「四合院」建築の家なのでしょう。こういう門構えの家がいくつも在りました。門前で話しているのは近所の人たちとの井戸端会議でしょうが、生活の音が聞こえて来るようです。この風景は古くからの中国の人々の日常を思い起こさせるものでした。
(「胡同(フートン)へ行く(②)」へ続く)













