朝食の時、テレビをつけたら火野正平さんの「にっぽん縦断こころ旅」の再放送をしていた。一昨年亡くなった時には本当に驚いたが、また昔懐かしい火野さんに会うことが出来た。学生時代に京都で偶然火野さんを見かけたこともあったが、週刊誌の記事では女に甘え上手で・・、そうなりたいものだと密かに思っていた。50年も前の話である。

 

 亡くなったあとにちょっとブログに書いたことがあったので、再掲したいと思います。

 

 以下再掲。

 

(日本縦断こころ旅)

 火野正平さんの訃報には多くの人が驚いていると思う。NHK番組「こころ旅」であれほど元気に愛車・チャリオを漕いでいたのに、なぜ急にという思いだ。最近腰を痛めて休んでいて、田中美佐子さんなどが代理を務めていたが、まさか亡くなるとは誰も思っていなかったのではないか。70代で亡くなるのは、同年齢に入った私にとっては驚きだけではなく、ショックなことだった。

(手紙を読む火野さん)

 「こころ旅」は、手紙に書かれた視聴者の「思い出の風景」を火野さんが替わってめぐるもので、手紙には、嬉しかった出来事よりも、苦労や哀しみ、一方では受けた励ましなど、一筋縄ではいかなかったそれぞれの人生の哀歓が綴られている。老境に入った自分には、これまでの人生と重ねてウルウルとさせられるものばかりだった。私と同じ年齢以上の人は、皆さん似たような気持ちではないかと思う。


 手紙には、親への不孝や恋人との別れ話もあった。そこでは、傷つけた人たちへの贖罪の思いが切なく語られていた。私には、手紙を書くこと自体が、今は傍にいない人に詫び、罪深い「こころ」をまとめ、それなりに納得出来るものとする、そういう心の浄化作業なのだとも感じられた。浄化作業は「こころ」の深い処を振幅させており、手紙は、単なる思い出話ではなく、これは人生の「物語」なのだ、それを紡いでいるのだ、とも感じられた。

 

(荒井由実「十二月の雨」)

 荒井由実の「十二月の雨」という歌に、「時はいつの日にも親切な友達、過ぎていく昨日を物語に変える」というフレーズがある。若い女性の、失恋の傷を癒してくれる「時間」のありがたさを歌ったものだが、同時に作られて行く「物語」とは、失恋を過去のものとして整理し、これから新しく生きようとする、少なくともそういう前向きの部分を含んだものだろうと思う。それが、若い時の「物語」なのだと思う。

 

 未来に生きるためでもあり、老いの贖罪のためでもある「物語」を編んで、みんなそれぞれ辛い人生を、何とか生き抜いていく、納得してゆく、人生とはそんな「物語」の積み重ねなのだろう、と思う。

(映画「老人と海」)

 火野さんは自力で自転車を漕いでいて、感じるものが多かったのではないか。「老い」に逆らう「自力」は、ヘミングウェイの「老人と海」の老漁師サンチャゴのことを想い起こさせる。ハードボイルドのヘミングウェイが「老い」の物語を作ったように、プレイボーイの火野さんにも語るべき「物語」があった(ある)はずで、そんな架空の手紙を読んでみたいと思う。

 

 以上再掲でした。

(あの人は今どうしているのだろうか・・、などと想ってしまいます)