最初のインドの旅から今回の旅までの30年間、ほんの一瞬のような気がしますが、自分の個人史として何が在ったか、それはまた日本や世界とどう関わっていたのか、今回の旅で30年間を振り返り、いろいろと考えさせられました。
(大学3回生のとき)
〈インドへ行こうと思ったこと〉
30年前(今から50年前)、インドに行こうと考えたのは大学の3回生(3年生)の時で、1975年のことでした。
私の大学生活はまだまだ学生運動の雰囲気の中にありました。それより5~7年前が大学紛争の頂点の時期で、68年の東大安田講堂の攻防から70年の反安保闘争への一連の動きがありました。しかし70年安保闘争が鎮圧さえて運動は失速し、72年の連合赤軍のリンチ殺人事件が明るみに出て息の根を止められて行きます。ですから私がインドへ行こうと思ったのは大学紛争がほぼ終了した時期です。
(高校3年生の時、友人と山登りで)
でも私は必ずしも「遅れて来た青年」ではありませんでした。私の高校時代、ちょうど1970年の2年生の時でしたが、大学紛争は私の高校にも飛び火し、体育教師の起こした暴力問題から、生徒会をやっていた私たちは学校側に説明を求め、教師退職の運動を起こしたことがありました。そのまま3年生の時には県下最初の制服自由化も成し遂げて行きました(ブログ「高校紛争のころー青春時代の始まりー」)。
インドに行こうとした大学3年の時は、もうかつての学生運動は下火になっていたとはいえ、当時政府が導入しようとしていた小選挙区制や、京都で起こった部落差別問題(八鹿高校事件)、また学内での運動内部の対立もあり、まだキャンパスは騒然とした雰囲気の中にありました。
(立命館大学日本史専攻学生の自主公開講座、1975年7月)
そのような中、大学3年の年は日本中世史の専攻を決めた時期で、たまたま読んだ論文に「日本中世の身分制と卑賤観念」(黒田俊雄『部落問題研究』33号)があり、この論文に触発されてインドに行って見たいと考えるようになったのです。この論文は日本中世の身分制をインドのカースト制度との比較で論じたもので、アジア史との共通項から日本中世を捉えると言う大変魅力的なものでした。
シンパだった学生運動のグループにも今一つ馴染めず、当時主流だったマルクス主義史学にも教条的なところに違和感を感じ、自分なりの視点を作りたいと強く思っていた時期でした。インドに行くことによって何かが変わるのではないかと思っていたのです(ブログ「『二十歳の原点』に想うー立命館大学時代の思い出ー」)。その30年前の旅が忘れがたく鮮烈なものであったことは、何度かお話しした通りです。
〈経済中心主義の時代へ〉
しかし大学を卒業し、高校の教員となり、学生時代に持ったそれらの問題意識を、私は目の前の現実生活の中で急速に忘れ去って行きました。職場の中で社会人として覚えなければならなかったことは山ほどあり、学生時代の私の問題意識は観念的・理想主義的すぎて、目前の教育活動(生徒指導が中心でした)の中では何の接点も持たないものだったのです(ブログ「高校教員時代の思い出ー茨城県立磯原高校ー」)
(磯原高校教員時代、クラス1番の美人のNさんと。1977年、23歳)
(磯原高校教員時代。遠足で生徒たちと、新米教師で、からかわれている。1977年、23歳)
この間、日本は60年代の高度経済成長を助走路として、70年代から本格的な経済中心主義の時代に入ります。ちょうど70年に大阪で開催された大阪万博がそれを象徴しますが、この流れに抗せんとする動きの一つがその前後の学生運動の過激化であったと思います。三島由紀夫が自決したのも70年のことで、伝統的な日本文化の消滅を危惧し抗議したという側面を持っていました。やはり経済主義的な日本の趨勢に抵抗したものであったと言えると思います。
三島は、日本のこの物質主義的・経済主義的趨勢に対し「私はこれからの日本に対して希望をつなぐことができない。『日本』はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう」と予言めいた言葉を残していますが、現在の日本を見ればその通りになったのだろうと思います。
伝統的な日本人の道徳観や倫理意識は、意識するしないに関わらず、急速に崩壊して行きました。経済中心から来る競争社会の広がりがそれを後押しして行きます。前にもお話しした伝統的な「家」の崩壊もそれと結び付くものです。
私は80年代に入り、結婚し、子供が生まれ、私生活や教員生活にも様々な問題があり、生活に追われる日常を繰り返すことになります。
(ヴァラナシで、ヒンズー僧から額にティラクを付けてもらう)
この80年代は、70年代から続く経済至上主義的、物質主義的指向性がさらに進みます。バブルの時代がそれで、日本では狂乱的な経済の繁栄とその対極としての精神的荒廃や環境破壊が進んだことは、私たち年代のものには忸怩たる反省として思い返されるものです。この時期、家庭の教育機能は急速に衰え、学校でも過度の進学競争が顕著となり、一方では「校内暴力」や「いじめ」が顕在化して社会問題となって行きます。
(バブル景気の時代、ネット写真)
当時私が勤務していた女子高でも、校内暴力こそありませんでしたが、家が家庭の体をなしていない生徒も一定数いて、私のクラスでも異性交遊から非行に走ったり、退学して行く生徒が何人もいました。また次に移った、進学校では、年を経るごとに進学率をめぐる教員間、学年間の競争が激しくなり、教員間の関係もぎくしゃくしたものとなって行きました。最初に勤めた穏やかでのんびりした学校とは全くの逆の職場環境となっていました(ブログ「高校教員時代の思い出ー茨城県立磯原高校ー」)。
(オウム真理教事件、修行の様子。ネット写真)
バブルは90年代になり崩壊し、リストラ、フリーターの大領出現など雇用不安が日常化し、自殺も年間3万人を超えるのが常態となりました。停滞した社会に、構造改革の名の下、それぞれの組織で管理化が強まります。1990年代半ばのオウム真理教事件は、1970年前後の学生運動と同質の、日本の経済一辺倒、物質至上主義への反発が生んだ社会的事件ーカルトが、精神性に救いを求める若者を取り込み、洗脳した事件ーと評価できると思います。そしてその後、2000年代に入っての小泉構造改革の中、規制緩和による市場原理の積極的導入が社会全体の競争を激化させていきます。
その前から学校でも「いじめ」問題は深刻化し、子供達を蝕む精神的荒廃が広く顕在化していったことは神戸の酒鬼薔薇事件を象徴としてよく理解できると思います。学校組織においても管理化が進み、若い先生たちが管理職に従順になりました。そのような中、教育の国家統制が進んで行ったことは、式典における君が代・日の丸の強制を見ればよく分かります。
(日の丸・君が代強制反対、ネット写真)
私がその後移った今の博物館でも、当初は研究職として比較的自由な職務が認められていましたが、予算削減を契機に、住民サービスが全てに優先され、具体的には入館者増が至上命題となり、成果主義的発想がごく普通の感覚となりました。そのため管理体制も適正以上の規制を強いるようになり、地道な基礎研究や学門的視点は軽視され、様々な制約を受けるようになっています。
〈自身の「再生」を考えて〉
今回インドへ旅しようと考えた契機の一つは、管理が強まって、無味乾燥化した職場の人間関係に疲れたことがありますが、それ以上に、管理されることに慣れ、与えられたことのみを上手に処理する若い人たちに付いて行けないという疲労感がありました。この職場に本来必要な、先人たちが有した専門的能力を継承し、その上で創造的な仕事をなそうとする意識を欠いた、従順な集団への強い違和感です。
(茨城県立歴史館時代。旅から帰った後、職場を変えようとして行った学術シンポジウムの開催、2007年)
旅への契機は、無意識ではありましたが、若い時に見た強烈なインドを再び体験することで若い時の自分を確認して見ること、そして大袈裟に言えばそれによって「自身の再生」を考えていたのかもしれません。
日本のこの30年間の変化は、今までの歴史上においてもかなり大きな変化であるように思えます。奇しくも三島由紀夫が言っていたような、古くからの文化的伝統を喪失し、経済至上主義的で、無機質なものへの変化、いわば、今までになかった「異質な社会」への転化なのかも知れません。人々は管理され家畜化し、自らの機軸を失って、強いもの、権力のあるものへ巻き込まれて行くだけに見えます。
インド社会は日本を映すよい鏡です。根のしっかりした文化的伝統を感じます。今までお話ししてきた通りです。でも近視眼的に見れば、30年前と比べて、変わったなと思うことも数多くあることは何度も触れました。とくに子供たちの変化について、サールナートの後藤恵照師から伺ったお話は、心に食い込んでくるものがあって、「やはりインドも・・」という、危惧にも近い思いを抱かせるものでした。
(ヴァラナシのガート近くの野菜市場付近にて。この後デリーに戻る)
旅も6日目、夕方6時45分のヴァラナシ発の夜行寝台列車でデリーに戻ります。この列車のコンパートメントでは、インドでも比較的富裕な層に属すると思われる人たちと同席しました。デリーの大学で英語を教えるムガシーさんとそのお弟子さんのスィンさん、デリーの女性服飾デザイナーのビブハさん、会社員のリテッシュさんです。
彼らと夜語らったことは、30年前と比べて変わったなと思えるインド、そしてやはり変わらないなと思えるインドを考える大きなきっかけとなりました。次回はそのお話をしたいと思います。
神の子の アトミック・ボムを 吊るしゐて われら
≪管理≫す 魂の骸を
(続く)










