今回の旅では目的を一つ作っていました。最初の方にも書きましたが、30年前(現在から50年前)の旅で親切にしてもらったベナレスの安宿のマネージャーに再会することです。そのため、一緒に撮った古い写真を2枚、アルバムから剥がして持ってきました。
その安宿の名前は、記憶が定かではないのですが、確か「セントラルホテル」と言ったかと思います。沢木耕太郎の『深夜特急』にもその名前が出て来ます。マネージャーの名前は残念ながらもう憶えてはいません。
〈ホテルインディア到着〉
ムガールサライ駅からの車はガンジス河を越え、2日間泊まる予定のホテルインディアに夜中の11時過ぎに到着しました。ホテルインディアは今まで泊ったホテルと同じく中級ホテルです。
(現在のホテルインディア、ネット写真)
ホテルはガンジス河の傍ではなく、距離にして約4キロほど離れたヴァラナシ駅の近くです。ヴァラナシの中上級ホテルはほとんどがこの地域にあります(なお安宿はほとんどがガンジス河岸にあります。目指すセントラルホテルも河のすぐ近くでした)。なお、「ベナレス」は英語式の地名で、現地ではヴァラナシ(ワーラーナシー)が正しい言い方で、これからはそれを使います。
ヴァラナシは2日間の滞在の予定です。ここでの一番の目的はセントラルホテルのマネージャーに会うこと、二番目はガートを見学すること(ガートとはガンジス河の沐浴場のことです)、三番目にはヴァラナシから北東約10キロ離れた仏教遺跡のサールナートへ行って見ることです。30年前にはガート見学のみでとうとうサールナートへは行かなかったのです。
(現地係員のスーレッシュさん)
ホテルに着いたら、係員のスーレッシュさんは、明日からのガンが見学はどうするんだ、手配するぞと言ってきます。ガンガとはインドの人たちがガンジス河を呼ぶ時の言い方です。スーレッシュさんは旅行会社の人ですからその商売もあるわけです。私の本心は独りで行きたかったのですが、ガイドブックには、リキシャの悪質さと、早朝の出歩きの危険なことが書いてあります。ここは現地の旅行会社の人の言う通りにしておいた方がまずは無難だろうと考え、スーレッシュさんの勧める通りにしてみました。
彼は、明日早朝、5時半にはタクシーをホテルに寄越す、ガートを河から見学するボート代を含め500ルピーでOKだと言います。ガイドブックでは、安くはリキシャ代30ルピー、ボート代50ルピーなどとの記事もあるので、かなり高いと思いましたが、最初は安全第一なので、彼の勧めに従うことにしました。
ヴァラナシでのガート見学は早朝を見逃すわけには行きません。ガートは川面に向かって階段状になっています。ヒンズー教徒たちがそこで沐浴しながら朝日に向かって祈る姿は一幅の絵にもなるものです。30年前も早朝に見ましたが、2日間とも是非その時間に見たいと思っていました。
(ダシャージュワメード・ガート、ネット写真)
〈業(カルマ)と輪廻(サンサーラ)〉
ヴァラナシはインドに7つあるヒンズー教の聖地のうち、最大のものです。ヒンズー教徒にとっては生涯に一度は訪れたいと切望する地です。
ヒンズー教徒は一般に業(カルマ)と輪廻(サンサーラ)思想を信じていると言われます。これは、簡単に言えば、人間の魂は前世、現世、来世と転生するもので、現世で善い行いをすれば来世は良く生まれ変われる、悪事を重ねれば人間以下にも生まれ変わってしまう、というものです。
そして、現世の生活は前世の業(カルマ)によるもので、貧困や病気・苦痛は自らの罪が招いたものと考え、それは「来世願望」へとすり替えられます。結果的にはカースト制度など、現実を肯定し支え続ける考え方ともなっています。
前世とか来世とかの輪廻の考え方は、仏教思想や今のスピリチュアルの考え方にも一般にあり、われわれアジア人にはすんなりと理解できるものだろうと思います。
ヒンズー教では、現世での罪を清めることが何より大事です。罪を清めれば良き来世に生まれ変われると信じられています。その一つにガンガでの沐浴があります。
ガンガの水はヒマラヤの奥深くから流れ出し、大河・ガンジス河となり、ヒンドスタン平原を流れ下り、最後はインド洋に流れ出ます。そしてまた大量の雨となり、再びヒマラヤの峰々に降り注ぎます。ガンジス河を通して水の循環を繰り返しているわけですが、それが「輪廻」そのものを象徴しており、そこから「母なるガンガ」「聖なるガンガ」とヒンズー教徒には呼ばれているのです。
〈「死」と直結した街・ヴァラナシ〉
とくに沐浴する場としてはこのヴァラナシが太古よりの聖地で、現在でも毎年百万人以上の巡礼者が訪れると言います。またここを死に場所として辿りつく者も多いのです。そのためヴァラナシには貧しい人々の宿泊所の他に、死を待つ人々の、ちょうど日本のホスピスのような場所もあります。
(ダシャージュワメード・ガートの沐浴風景)
ヴァラナシは一言で言うならば「死」と直結した街とでも言えるでしょうか。そういう性格がありますので、日本の文学作品にもこの地を舞台にしたものがいくつかあります。代表的なものでは、遠藤周作の『深い河』と三島由紀夫の『豊饒の海』第三部の「暁の寺」があります。
『深い河』では、ヨーロッパ生まれのキリスト教が如何に普遍的な宗教になり得るのか、遠藤周作の生涯の問題意識が根底にありますが、ヒンズー教の輪廻思想や仏教思想などアジア社会の伝統的宗教意識との融合を、この場を借りて登場人物に語らせています。
三島由紀夫の「暁の寺」では、死体焼き場と沐浴のガートを見た主人公に、「印度のベナレスの幻が浮かんで来ると、どんな壮烈な栄光も色あせて、(中略)心を萎えさせ、勇気を奪い、あらゆる行動の無効を・・・」「さるにても恐るべき印度だった」と語らせ、ヴァラナシと連動する三島のニヒリズムの極致を言外に表現しています。この一文からは、三島にとっては、死と生、人生の価値観を否が応でも考えさせられた場であったのだろうと思います。
30年前の私の滞在は3・4日程度だったかと思います。
今思い出すのは、死体焼き場のあるマニカルニカー・ガートです。薪の上で焼かれる幾多の死体を眺め、実際に肉が焼け、黒くすすけた骨が見えてきたのを目の当たりにして、私は強烈な恐怖感を感じていました。その時のことは今でも鮮明に思い出します。
また、さらに思い出すのは、ガートへ向かう迷路のような路地で、これから焼くための死体を載せた担架にすれ違った時のことです。死体を包む白布が死体に似つかわしくない夥しい花で飾られていたこと、担架を担ぐ男たちがあまりに明調な歌を謡いながら、練り歩くように運んでいたことが鮮烈に記憶に残りました。その混乱した恐怖感はその当時も夢に見るほどでした。
(マニカルニカー・ガート、ネット写真)
(遺体を担架に乗せて運ぶ人たち、ネット写真)
私の鮮烈な記憶は、日本での「死」のイメージとあまりにかけ離れていたことにあります。恐怖感のみでなく、「嫌悪感」に近い感情も抱かせるものでした。それは、日本人の感覚からはかけ離れたヒンズー神の異様さや、あまりに強烈なインド人の生命力に怖れをなしたことと深く結びついた感情でした。旅から帰り、その後30年間、心の裡に潜んでいるインドへの恐怖感をこの街が象徴していました。
(ヴァラナシ地図)
〈30年ぶりにガンガに立つ〉
10月27日(木)。朝の4時半には目が覚め、準備をし、5時半にはホテルをタクシーで出発しました。まだ暗い通りをガートの方角をめざして車は走ります。
この時間はまだ人は少なく、街は静けさの中にありました。車は日中は入ることの出来ないガート近くまで入って行きます。ガートはヴァラナシで最も賑わうダシャージュワメード・ガートです。30年前にも訪れたガートです。
(ガート近くの野菜市場付近で)
車を降り、若い運転手は私をボートを仲介する男のところまで連れて行きます。もうガート近くです。
「ああ、この辺に来たな」。何となく憶えています。朝早くから準備の始まっている野菜市場や両脇の古びた建物、これも何となく憶えています。
(21歳の時、ベナレスの野菜市場付近で、上の写真と同じ場所)
ボートを仲介する男に会い、ガートの方へ向かうと、老婆や盲目の物乞いたちの手が両脇からぬっと出てきます。「あれっ、これも憶えている」。30年前の記憶が瞬間的に甦ってきます。
そして前を見ると、通路の前方が急に開けます。まだ薄暗い中、ちょうど映画館で上映が始まる時のように、そこには白く光る川面が眼前に大きく広がっています。
(ガートから眺めたガンジス河の夜明け)
「ああっ、これだ、ガンジス河だ」と、30年前、ここに立っていた記憶が鮮烈に甦ってきました。
「ここに居たんだ・・」。
薄暗がりの中で、30年前と現在が交差し合っていて、私は、とても言葉では表現できない感情の中に入っていました。
わが生(せい)の 舞台となるや 眼前に ガンガは開
け 時空静止す
(続く)









