インドの夜の闇の深さは、心底、恐怖を感じるものでした。
30年前の最初の旅で、深夜カルカッタのダムダム空港に到着し、街まで行くタクシーから見えた闇夜は、今でも忘れることができません。空には血のような真っ赤な満月が上っているにも関わらず、月明かりに照らされたスラムでは、貧しい人々がただうごめいており、月の無い闇夜よりももっと暗いものに感じられたことを想い出します。
(インド地図)
〈夜のムガールサライ駅〉
私の乗った寝台列車は、予定時刻から3時間遅れて夜の10時にベナレス(ヴァラナシ)近郊のムガールサライ駅に到着しました。同じコンパートメントのオラフさんや、カルカッタ在住のインド人宝石商の男性(サウジアラビアからの帰りと言っていました)に駅に着いたら教えてくれと頼んでおいたので、乗り過ごすことはありませんでした。オラフさんやその宝石商は、一緒にカルカッタまで行こう、などと冗談を言ってくれていたのですが、丁重にお礼と別れの言葉を述べ、私は列車からホームに降り立ちました。
(現在のムガールサライ駅の夜のホーム、ネット写真)
夜遅くのホームは、黄橙色の薄暗い灯りがぼんやりと灯っているだけで、やっと足元と人の顔が見える程度の明るさです。ホームに居る人たちは、貧しいなりをした人が多く、ターバンを無造作に頭に絡めたり、ドーティと言う腰巻を巻いていて、本当にインドの地方だなと思わせる人が目に付きます。
人々は列車に乗るため急ぎ足で私の前を過ぎて行きます。ホームを寝所としている者もいて、深夜の駅の薄気味悪さは昔と同じです。
(駅で眠る人々、ネット写真)
日本の人にこの駅の雰囲気をどう伝えたらいいのでしょうか。テレビで見たことのある、戦後間もない時期の浮浪者のたむろする上野駅というところでしょうか。
駅の薄明りから外へ目を転じれば、駅の周囲には漆黒の闇が迫り、恐怖感や寂寥感が増し、「さあ、これからどうすればいいんだ」という不安感がいやが応にも心を占めてきます。
ホームでは迎えの係員が待っているはずですが、見当たりません。名前を書いた紙でも持って出迎えているかなと思ったのですが、それらしき人はどこにもいません。
列車が3時間も遅れたので、これは来ていないかもと思いました。何よりもインドの人たちは、管理されていないだけにそういうところはかなりルーズなのです。もしこれが最初のインド旅行だったら、相当に慌てただろうと思います。深夜、この暗い駅に独り取り残されてしまったと思って、途方に暮れたと思います。
ここからベナレスの街までは車で4・50分の距離です。自分でタクシーを拾い、ホテルまで行かねばなりません。深夜の駅前は悪質な客引きやドライバーが居て、外国人にはとくに危険であることは言うまでもありません。経験があるとはいえ、やはり私も慌て始めていました。
〈出迎えのスーレッシュさん〉
5分ほどホームに立って待ちましたが、来ないものは仕方ありません。ガイドブックには、ホームの右側の跨線橋を左に下りたところがベナレス行きのロータリーだと書いてあったので、そちらの方に向かってリックを肩にして歩き始めました(インドの駅には日本の駅のように改札口というのはありません。切符は車内で検札を受けるだけです)
(現地係員のスーレッシュさん)
跨線橋の階段を上り始めた時、中年の男性が声をかけてきます。「アー ユー ア ジャパニー? ミスターウチヤマ?」。係員のようです。列車が遅れたので、外でのんびり待っていたらこうなってしまった、と言います。彼は私を連れて跨線橋を渡り、駅前に待たせてあった車まで案内します。
(現在のムガールサライ駅・ロータリー、ネット写真。当時はこのような小奇麗な場所ではなかった)
まずは助かりました。駅前の薄暗いロータリーにはリキシャ、タクシーが数多く停まり、運ちゃんや客引きがたむろしています。「ああ夜のインドだ」。暗闇の中に黒々とたむろする人々。初日、オールドデリーに車で入って来た時と同じ得体の知れない恐怖感が湧き上がって来ます。
係員の車は旧式の車で、インドタタ財閥製の「アンバサダー」です。リックをトランクに入れ、車はベナレスの街の方に向かって走り始めます。
(インド車、アンバサダー。ネット写真)
30年前(50年前)は、インドの車は輸入規制があったため、ほとんどがこの「アンバサダー」でした。今回気付いたことは外国車の氾濫で、欧米の車はもちろん、トヨタ、ニッサン、スズキなど日本車も数多く走っています。アンバサダーは数えるほどでしたが、乗り心地も欧米・日本車に比べれば落ち、その時は道路の酷さが原因でしたが、ゆったりとシートに腰掛けるなどとはいかず、前座席をしっかりと掴んでいなければ、体が何処かへ飛んで行ってしまうほどの揺れでした。
車中、係員の男性は自己紹介をします。名前をスーレッシュさんと言い、歳は58歳で、優し気でとても感じの良い人です。
ベナレスは初めてかと訊きますから、2度目だ、30年前に来たと言うと、ほーという顔をします。私が若く見えたのでしょう、子供の時に親に連れられて来たのかと訊きます。日本人は本当に若く見られます。彼は、40分ほどでベナレスに着くと言います。
ヒンズー教の聖地ベナレスの旅行会社に勤めている人だからでしょうか、すぐにヒンズー教、とくに彼が信仰しているシヴァ神の話を、若い?私に諭すように、分かりやすく話し始めます。
「シヴァの功徳を教えてあげます。5つあります。シヴァ神は様々な神に化身しますが、功徳はそれぞれの神となります。それらの神は、真実、愛、助け、○○、○○を象徴してます」(○○は聞いたときには覚えていたのですが、メモする時には忘れてしまった言葉です)。
スーレッシュさんは自分の信仰に強い誇りを持っているようで、その言葉の響きは確信に満ちています。また人柄も感じさせ、子供に大事なことを伝えるような慈愛深さを感じさせるものでした。
しかし、ベナレスまでの道すがら、車窓から見える外の様子はとても言葉では言い尽くせるものではありませんでした。新月の時期で月明かりの無い全くの闇夜だったこともありますが、本当に漆黒の闇です。道路は修復などされていないようで、幾度となく車の天井に頭をぶつける様でした。
〈インドの深い闇〉
車のライトの作る光の環の先に人影が現れては消えていきます。色褪せた粗末なサリーを纏った女たちや、ボロ布のような服を着た男たちです。ライトに照らされ、一瞬の間その黒い顔と光る眼が現れ、消えていく。何とも言えない恐怖を感じるものです。
(夜のスラム街にうごめく人々、ネット写真)
道の脇には、スラム街なのでしょうか、細い柱に覆い屋を掛けただけのバラックが点々と見えます。見えると言っても、そのバラックで灯している粗末な灯りが漏れてくるだけで、寂寥感などと言えるものをはるかに超える侘しさです。そこでは、何をしているわけでもなく、貧しい人々がただ突っ立っています。背後の漆黒の闇はこのバラックの灯りを覆い尽くし、いやがうえにもその闇を深くしています。
沢木耕太郎の『深夜特急』でも、最初カルカッタに入った時の夜の街が強烈な印象だったようで、スラムの街が「無声映画の中の光景のように静まり返っていた」と形容しています。私が30年前に見た光景も同じでした。そして今見ている光景も同じです。底知れぬ暗闇の中で貧しい人々の暮らし、いやうごめきが見えます。私たち日本人が想像できる世界ではなく、全くの別世界がそこにあるのです。
しばらく走っていると、漆黒の闇の中に薄く白く光る帯が見えます。車は長い橋のような箇所を通り過ぎました。闇夜の薄い光は川面の光でした。スーレッシュさんに「イズ ジィス ア リバー」(これは川か)と訊くと、「イエス ガンガ」(そうだ、ガンジス河だ)と答えます。いよいよ旅の目的地ベナレスに到着したようです。
漆黒の 闇にまた闇 重ねゐる 夜のヒンドゥ 奈落の
夜祭り
(続く)






