今度の旅では、一人のイギリス人青年と話をする機会がありました。今回はそのお話をしてみたいと思います。
〈イギリス人青年オルフさん〉
列車の旅では相席になった人たちと結構いろいろな話をしました。アグラへの特急列車で隣に座ったコンピューターエンジニアのカヤルさんもそうでしたが、トゥンドラフ駅からベナレス(ヴァラナシ)へ向かう列車の中で向かいに座ったイギリス人青年オルフさんもその一人です。
トゥンドラフ駅では、車の運転手氏とアイスクリーム売りのカーンさんと話ししながら列車の到着を待ちましたが、列車がホームに入って来たのは発車時刻より1時間遅れの12時過ぎでした。その間、列車が何分遅れるのかどころか、遅れている事実すらアナウンスの1本もありません。でもインドでは1時間の遅れは遅れの内に入りません。25年前の旅では中部インドのジャルガオンという町でボンベイ行きの2等列車を待っている時は3時間、何のアナウンスもない中、真っ暗闇のホームでただじっと列車の到着を待っていました。それを思えば1時間の遅れは予想の内です。
(トゥンドラフ駅に入ってきた列車。寝台列車のコーチ)
やっと乗車した列車は、デリー発カルカッタ行きの寝台列車で、エアコン付き2段式寝台のコーチです。デリー・アグラ間は最上級の特急列車でしたが、これはその次のランクの列車です。ベナレスまでの所要時間は8時間で、このままでいけば夜8時ごろには到着することになります。
寝台列車ですから座席は対となり、乗客は向かい合わせに座ります。この一つの単位をコンパートメントといいますが、座席は1列2人掛けで、とくにゆっくりしています。夜になると上下2段の席が寝台になるのですが、昼間は下の段に皆座って過ごします。また通路を挟んだ隣に、通路に沿って縦に座席がもう一つ2段にあります。こちらは通路に沿っていますので対になった席ではありません。
私の席はコンパートメント側で、向かいに座っていたのがオルフさんでした。下の写真のヨーロッパ人が彼です。オルフさんは歳は28歳で、住んでいるところはロンドンのすぐ近くの町だということでした。仕事はコンピュータエンジニアで、2週間の休暇でインドを旅しているということです。
(イギリス人青年、オルフさん)
彼は、幼いころ数年間インドに家族で住んでいたと言います。父親は名門オックスフォード大学出身の地質学者で、世界中を廻って研究を続けてきたそうで、彼の幼い時期のインド在住もそのためだったそうです。
彼はカルカッタに向かう途中で、始発のデリーから乗車したと言います。カルカッタに向かう目的は、子供時代の友人を訪ねること、それともう一つがマザーテレサハウスを訪ねることだと言います。なぜマザーテレサなのかは、彼とその後いろいろと込み合った話をしているうちに分かってきました。
彼と話すきっかけになったのは、駅弁を買うことからでした。乗車して間もなく、駅弁売りが通路を通り、彼のところに駅弁を置いて行きます。特急列車では無料サービスを受けていましたので、私はてっきりこれもサービスなのだろうと思い、なぜ私のところには置いて行かないのか、それを彼に言いますと、これは有料で、前もって駅弁売りに注文しておくのだと言います。
ちょうど午後1時ごろで、お腹が空きだし、もう駅弁売りは廻ってこないのかなと残念に思っていますと、彼が自分の弁当の一部を私に分けてくれます。駅弁と言っても下の写真のように、アルミパックされた3つのカレーとライスとチャパティ(インド式パン)という簡単なものです。その内の1つのカレーとライスを私に分けてくれたのです。ありがたく頂きました。そうしたら駅弁売りが(私が欲しがっていた素振りを覚えていて)私の分も持って来てくれます。オルフさんからの分と私のカレーを全部食べることになりました。それが彼と話し始めたきっかけでした。
(駅弁、3種類のカレーとチャパティ、ライス)
彼との会話は大変でした。彼は生粋のイギリス人で、英語はもちろんキングスイングリッシュです。私が学んだのはアメリカンイングリッシュですので、ちょっと感じが違います。もちろん私の語学力では込み入った会話などはできないのですが、簡単な単語でも発音が違って理解できないのです。とうとう筆談することになりました。
まずつぎのような会話がありました。。
「 Why did you go to Tandalf when it is not famous and there is nothing special to see there ? 」
なぜトゥンドルフなどに行ったのか、そこには特別何も見るところはないはずだが、ということです。私は、アグラの観光をしてきて、そこからベナレスに行くためトゥンドルフ駅から乗車したのだと言いました。
〈車中での宗教論争〉
彼は写真からも感じられるように生真面目な若者でした。話していてだんだん分かって来たのですが、彼は熱心なキリスト教徒で、やがて話は宗教の話に及びました。彼はイギリス人ですからおそらくイギリス国教会の信者と思いますが、特別何かの宗教団体に入っているようで、、その関係の雑誌と、それから何よりも聖書を手元に持っていました。
彼が質問してきたことは、まずお前の宗教は何だと言うことです。この手の質問はインドの旅では頻繁で、インドの人たちも親しく話をするようになると必ず質問してきます。でも一番困る質問です。実家には仏壇もあり仏式の墓もありますが、心底では仏教の世界観や来世館は信じていません(今は少し違います)。信じていないのだから信者ではなく、自分は「無宗教」だと答えなければならないのですが、「信仰」の反義語としての、いわゆる「無宗教」「無信仰」でもないのです。おそらく皆さんの中にも同感される方がいると思いますが、「信仰の意識」そのものがない、いわば「非宗教」「非信仰」と言うところなのです。しかしその辺の説明は、私の語学力では難しいので、とりあえず「ブッディスト」(仏教徒)と答えておきました。
つぎに彼は、仏教をどのようなものと考えるか、と質問してきます。そんなこと言われてもと困りましたが、教員時代に教えていた倫理社会の授業を思い出し、拙い英語に直して話しました。
「仏教と言っても時代により地域により性格は異なり、一様には説明できないが、ただ釈迦の説いた原始仏教を仏教の真髄とするならば、それは、死後の世界を説明したり奇跡を説いたりする、いわゆる「宗教」とは異なるものであり、「哲学」の一つと考えた方がいい」とまず説明しました。
また釈迦は、人間が必然的に持つ内面の苦しみ(四苦八苦)から離れるために八つの正しい生活態度(八正道)の必要性を説き、その実践を勧めたことを話し、また死後の世界については、在るか無いか分からないと弟子たちには話していた、ということも話しました。
(寝台列車の私、オルフさんに撮ってもらう)
オルフさんはそれなりには聞いていましたが、でも彼は自身が熱烈なキリスト教信者です。相手の考えを受け入れて自分の糧にしようとする姿勢ではないのです。極端に言えば、自分の信仰の正しさを主張し、またキリスト教徒でない私を正しい信仰に導こうと言う雰囲気なのです。戦国時代のイエズス会宣教師・ザビエルの日本布教をイメージすればよいかと思います。
つぎに彼は、自分の考える世界の宗教の比較検討とランク付けを始めます。まずヒンズー教は汎神論、多神教であり、野蛮で無知蒙昧な人々の信仰である、とても「信仰」などと言えるものではないと言います。仏教についても一神教ではないので同じようなものだと言います。
私はイスラム教はどうなのか、同じ一神教でも低く見ているのかと質問すると、いやイスラム教はグレードが高いと言います。その理由は、イスラム教も、ユダヤ教やキリスト教と同じく旧約聖書の世界を共有するので、兄弟のような立場の宗教だ、もちろんキリスト教が何にもまして正しい宗教だが、それと同格か一段下ぐらいに位置すると言います。そして低位に位置するのがヒンズー教や仏教だと言うのです。
(左上からキリスト教(イエス)、イスラム教(マホメット)、下左からヒンズー教(破壊神カーリー)、仏教(密教曼荼羅の中台八葉院諸仏)
私は無信仰ですから、仏教を低く見られても別に構わなかったのですが、自信たっぷりにキリスト教の優位性や絶対性を主張されると、何とも言えない抵抗感を感じます。彼は続いて手元にある「新約聖書」の一節を私に読み聞かせながら、キリスト教の正しさや素晴らしさを説いてくれます。
私はひねくれものですから、現代の宇宙論や大脳生理学の研究を根拠に、あなたのいう「神」は否定されたのではないか、ヨーロッパ社会の中でも、マルクス以後、現代まで無神論は大きな潮流になっているのではないか、と少し意地悪に反論してみました。そして神が存在すると言うならば証明できるのか、と訊ねてみたのです。
するとオルフさんは私のメモ帳に「神の存在」を証明する図を描いてくれたのです。そしていろいろと説明を加えてくれるのです。しかしその辺になるともう私の拙い語学力では全く理解できません。分かりませんから頷くほかありません。
彼はその私を見てどう思ったでしょうか。理解してくれたと思ったのでしょうか、それともどうにもこの男は頭が悪いな、分からないから頷いているだけだと正確に理解してくれたでしょうか。インドの車内での宗教論争はそこでやっと終わりを告げましたが、でも何と3時間も話していたのです。
無信仰の人も多いのでしょうが、一神教のキリスト教を伝統とするヨーロッパやアメリカ社会では、神や聖なるものが現実感を持って「存在」すると確信している人が多いような気がします。日本でもキリスト教を信仰する人は個々にはそうでしょうが、社会全体として見た場合には、その点では大きく異なっているように思えます。汎神論的なところや非信仰的なところが社会の質を特徴付けているような気がします。
日本の歴史には「宗教戦争」らしきものが存在しなかったことがそれを示しているように思います。インドでは、ヒンズー教とイスラム教徒との対立が、インド独立の時のパキスタンとの分離問題にも象徴的に示されるように現在まで長く続いていますが、やはり国内では共存していることにヒンズー教の寛容さがあるように思います。
オルフさんの強い信仰心や、他の宗教、とくにヒンズー教や仏教に対する優越意識は、一神教という「信仰の質」の問題だけでなく、イギリス植民地支配に見られるような、ヨーロッパ世界のアジア世界に対する長い優位性がその背景の一つにあることは間違いないと思います。さらに宗教は心の問題ですから、寛容や共存がなかなか困難な問題です。かつて「非暴力」を説いたガンジーのような、インドの伝統文化から来る融和的精神がなかなか根付かないことを想います。
〈いつもの下世話な話〉
この宗教論争はお互いに疲れたので、その後は私のいつもの下世話な話です。「彼女はいるのか」と訊いてみました。そうしたら彼は急に悲しそうな顔をするのです。彼は気の良い人物なので、その辺の今の悩みを包み隠さず私に打ち明けてきます。何でも付き合っていた彼女とは1年前にうまく行かなくなり、彼女はロンドンから故郷のアイルランドに帰ってしまったというのです。今でも好きで好きでたまらないので、毎日悲しく暮らしているのだと言うのです。若い時を思い出せば私も同じでしたから、「そういうことはよくあることだ。時間が解決するんだよ」と年長者の教訓を垂れ、慰めてやりました。
信仰、信仰と言っても若者です。彼女の問題は別で、切実な問題です。彼の悲し気な顔を見ていて、「ああ、こいつも生身の人間だな」と安心した次第です。でも彼は私の慰めの言葉を少し誤解したようです。彼が次に私に言ったのは「旅が終わってイギリスに戻ったらまた彼女に会って気持ちを伝えるよ。きっと時間が解決してくれるよ」でした。ちょっと違うのにな、というところでした。
〈自らを省みる〉
彼に感心したことの一つは、車内のゴミ集めをする5・6歳ほどの子供が私たちのコンパートメントに入り込んで来た時のことです。小さな箒を持って、這いずり回るようにその子供は足元を掃除します。私はぼろ服のその子供を、隙を見て列車に入り込んできた物乞いと思い込み「チャロ。チャロ」と追い出そうとしました。彼はすぐに掃除だと理解し、その子供に1ルピーを与えたのです。もちろんその子供は鉄道に雇われたものではなく、自分で勝手に乗り込んできて金を取るアウトカーストの子供です。
彼は、その子供が私たちのコンパートメントを出て行った後、「サッドスィング」(悲しいことだ)とため息をつき、私の顔を見つめました。
(ゴミ場を漁る子供、コンパートメントに入り込んできたのはこのような子供だった。ネット写真)
私は、物乞いと見ると何の感情もなく追い払う行為をしてしまったわけですが、彼の行為と言葉を聞いて、何とも恥ずかしくなりました。5・6歳の貧しい子供がコンパートメントの中を這いずり廻っている姿を見て、「サッドスィング」と感じるのは通常の感覚です。彼の言葉は全うな人間的な感情を示しています。彼にキリスト教徒のある種の傲岸さを感じたことは先に述べましたが、私の無感覚さはそれ以前の話です。ただただ恥じ入るところでした。
〈存在〉を 証明できると 紙に書く 青年の存在 西洋
の壁
(続く)






