イスラム教の印象については、オールドデリーのジャマーマスジッドのところで少しお話ししました。一神教のためか、その礼拝所には立ち寄り難い雰囲気のあったことを述べましたが、アグラを出立する時、イスラム教徒の若者とほんの少しだけ話す機会がありましたので、そのことを最後にお話ししたいと思います。
〈猿軍団と対決〉
昨日の午後は、ヤムナー河対岸のイティマド・ウッダウラ廟まで行き、そこから途中夕食を摂り、7時前にはホテルに戻って、その日のアグラ観光を終えました。
今日は10月26日(水)、旅も4日目に入りました。アグラから午前11時過ぎの列車でベナレス(ヴァラナシ)に向かいます。乗車駅は最寄りのアグラカント駅ではなく、市内から車で1時間ほどのトゥンドラフ駅です。旅行会社の車が送ってくれるということで、ホテルで9時に待ち合わせということになっています。
9時まで時間があるので、朝食前にタージマハルの傍のヤムナー河まで歩いて行って見ることにしました。ガイドブックに、タージマハルはヤムナー河からボートで見る裏側の姿も美しい、それも朝がお勧めだと書いてあったからです。
6時にはホテルを出て、昨日自転車で向かった道を今度は歩いて行くことにしました。まだ薄暗かったのですが、気温も低く、日本の初夏の早朝のような清々しさです。人も少なくこの時間が最高です。タージマハルに近づくと芝生の公園があり、こんな早い時間なのに高校生ぐらいの少年たちがクリケットに興じています。訊いてみると学校へ行く前の一遊びだそうです。ちょっとだけ一緒に遊ばしてもらいました。
(クリケットの少年たちと、私も一緒に遊ぶ)
人間と動物が共存している風景をインドでは至るところで見かけますが、この公園にもリスやサルがいました。下の写真のサルがそれです。家族なのでしょうか、10匹近く遊んでいます。
クリケットをやっている少年たちにサルは襲ってこないのかと訊きますと、危険なのでこちらからは近寄らないようにしていると言います。でも、野生のサルが食べ物を狙って部屋まで入ってくることもしばしばだと言います。私も近づかないようにしていましたが、すぐにこんなことがありました。
(アグラの朝、路上にたむろするサルの一家、これが追いかけてきた)
サルのいた場所は、ちょうどタージの西門入り口と東門入り口とに分岐するところでしたが、ボート乗り場は東門入り口の脇をさらに川辺に下って行った所なので、私はそちらへ進んで行きました。早朝なのでその道には誰一人いません。何気なく後ろを振り返ってみると、先ほどのサルたちが一団となって私を追いかけるように歩いて来るのです。道一杯に広がってこちらに向かってきます。
これには慌てました。デリーでは朝の散歩で最初野犬に怖れを抱きましたが、そ知らぬふりをされてそれは問題ありませんでした。しかし今度はサルです。それも私をじっと見ているのです。人一人いない道で、サル軍団と私が「荒野の決闘」よろしく向かい合ってしまったのです。今度は慌てて逃げました。刺激してはまずいので、走らずに、速足で川辺の方へと一目散に歩いて行きました。今度の旅でも思い出に残っているシーンです。
〈ヤムナー河からタージを見る〉
川辺に着き、一艘だけあったボートに50ルピー出して乗りましたが、すでに先客があり、日本人の若い女性とオーストラリア人の若者2人が乗っています。タージマハルの背後を河から見る形になります。ちょうど朝日が昇って来た時で、朝日でシルエットとなったタージはまた格別の美しい姿を見せます。ガイドブックにタージを見る穴場として紹介されている理由が分かりました。下の写真がそれです。
(ヤムナー河から見た裏側のタージマハル、朝の風景)
ボートを下りた後、その傍にあったヒンズー教のお堂に入り込み、地元の人と朝の勤行を一緒にやり、額に赤いティカを付けてもらったのはその時のことです(その12、「触れて見たヒンズー教」)
(タージマハル傍のヒンズー教のお堂にて。導師にティカを付けてもらった)
〈トゥンドラフ駅に向かう〉
早朝はそのようにして過ごし、ホテルでの朝食後、駅へ送る車をロビーで待ちましたが、来たのは約束より30分遅れての9時半でした。運転手は、11時過ぎの列車だから、この時間でちょうどいいのだと言います。遅れると言う連絡はもちろんなく、やはりインドです。
車は郊外に出ると、90キロを超える猛スピードでトゥンドラフ駅への道を飛ばしていきます。道は混み合っていませんし、両側には人も歩いていません。もしかしたらある種の高速道路なのかもしれませんが、料金所はなく、一方信号待ちはありましたから、バイパスのような新規道路なのかもしれません。
(トゥンドラフ駅へ向かう車の中から)
運転手は寡黙な人で、自分からは話しかけてきません。歳を訊きますと28歳と言い、結婚しており、小さな子供が一人いると言っていました(彼の名前は訊いたのですが、メモし忘れました)。下にある二人の男性の写っている写真の右側の人物です。ガイドもするのかと訊きますと、自分は車の運転をするだけで、それで会社に雇われているんだと言います。
駅に着いてから列車を待つ間、ガイドブックを見せながら訊いたのですが、地図の中で今までに行ったことのある場所はアグラに近いデリーとジャイプールだけだと言います。ガイドブックの観光名所の写真の中では、ベナレスの沐浴風景は知っているが、他はよく知らず、アジャンタ、エローラの遺跡は初めて見たと言います。これが日々の生活に追われるインド庶民の一面なのだろうと思います。リキシャの運ちゃんなどはとくにそうなのではないでしょうか。そういえば私の祖母も、貧しい農家の主婦で働くだけの人でしたが、とうとう奈良や京都に行くこともなく一生を終えました。
(トゥンドルフ駅のポーターが私のバックパックを運ぶ)
車は予定通り10時半にはトゥンドラフ駅に到着しました。運転手の彼は運転だけでなく、列車が発車するまで付いていると言います。現地係員の役目も任されているようです。彼の案内で乗車するホームまで行き、列車を待ちますが、発車時刻の11時10分になっても列車はホームに入ってきません、インドの列車の時間のルーズさは前の2度の旅でよく知っていましたので、そんなもんだろうとベンチに座り、運転手の彼と世間話をしながら時間を潰します。そのホームには、やはり物乞いの4・5歳ぐらいの子供と老婆がいて、私にぴったりとくっついてきます。
〈アイス売りのムスリム青年〉
運転手の彼は物静かで実直な印象を受けます。リキシャの運ちゃんのような嫌味なところはありません。屋台のアイスクリーム売りがホームに居たので、彼にも買ってあげようと言いますと、要らないと即座に言います。外国人と見ると言い寄ってくるリキシャ連中とは雰囲気が全く違います。やはり地元の旅行会社に雇われている立場なのだなと感じます。私は自分の分だけアイスクリームを買い求めました。その時の売り子が運転手と一緒に写っている左側の青年です。
(右側が運転手、左側がアイス売り子のカーンさん。薬学部の学生、イスラム教徒)
列車がまだ入ってくる気配もないので、アイスクリームを買ったことをきっかけに、その売り子の青年とも話すようになりました。彼も列車が来ないので商売にならないようで、ベンチの私の隣に座り、いろいろと話してきます。彼も、売り子の割には物静かな印象です。
話してみるとその理由が分かりました。名前はリャジ・カーンさんと言いましたが、年齢は21歳で、大学の薬学部の学生だそうです。アイスクリーム売りはアルバイトだと言います。雰囲気がその辺の物売りのお兄ちゃんとは確かに違います。彼は、私が外国人なのでやはり話してみたかったと言います。
彼はとても真面目な印象を受けます、21歳の若者ですから、私はいつもの世間話の調子で「彼女はいるのか」と訊きますと、いない、興味ないとそっけなく返してきます。普通は大体そこで打ち解けて来るのですが、ちょっと感じが違います。また薬学部の学生と言いますから、そこそこの家庭の息子かと思い、なぜ売り子などやっているのかと訊きますと、母子家庭で裕福ではなく、その日を暮らしていくのが精いっぱいで、アルバイトでどうにか凌いでいると言います。
パキスタン地震の直後でもあったので、被害の話などもしたのですが、パキスタンの話からイスラム教の話になりますと、彼は自分はムスリム(イスラム教徒)だと言います。カーンと言う名前は確かにムスリムの名前です。
(ビン・ラディン、ネット写真)
(9.11、ネット写真)
拙い会話の中で印象に残っているのは、彼が「アメリカは大嫌いだ。自分はビンラディンを尊敬している」と言ったことです。当時はまだビンラディンが殺害される前でしたが、彼は9.11ではテロを支持し、原因となったアメリカの中東政策を批判しているようです。英語が拙いので、ビンラディンを尊敬する理由やイスラム過激派に同調する理由までは訊くことはできませんでしたが、インドに来てからの会話の中で、初めてインドの若者、とくにムスリムの青年の置かれている政治的立場に話題が及んだことは強く印象に残りました。私の会話は旅行用会話程度のものであるし、それもいつも下世話な話ばかりしかしないので、この会話は少し身を糺してくれるものでもありました。
そうしているうちに、1時間ほど遅れて列車がホームに入ってきました。いよいよ次の目的地、この旅の最大の目的地のベナレスへ向けての旅となります。
その場面 人なき道に 猿10匹 家族でこちらへ 「な
んだ、何だあ!」
嘉(よ)きものは ビン・ラディンとう 売り子ゐて
アイスの味は 「現代」なりき
(続く)









