〈タージマハルと皇妃ムムターズ〉
タージマハルは、ムガール帝国第5代皇帝シャージャーハンが皇妃ムムターズを弔うために造った廟(お墓)です。
(タージマハル)
ムムターズが死んだのは1631年ですが、彼女は戦乱中も討伐する夫にいつも従い、デカン遠征中に産褥のために38歳で死んだと言われます。大変皇帝に愛され、生んだ子供は14人もおり、死んだときには「後世に残る墓を」という遺言でタージマハルは造られたということです(ウェキペディア)。建築狂でもあったシャージャーハンは、世界各地から膨大な量の貴石や職人を集め、22年の歳月をかけて1653年にタージマハルを完成させました。国家財政を傾けるほどの事業だったとガイドブックには書いてあります。
シャージャーハンは自分の墓も、タージと対になるようにヤムナー河の対岸に造ろうとし、それも黒大理石で造り、両廟を橋で結ぶようにしようとしたと言われています。ムムターズに対する愛情が極めて深かったようです。
しかし、権力者の常でしょうか、息子たちの間で争いが起き、その一人によって権力の座から追われ、ヤムナー河を少し下ったところのアグラ城(アグラフォート)の一角、ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)の部屋に幽閉されます。そして死ぬまで7年間、失意の中で、ヤムナー河の遠方に見える白いタージを眺めながら暮らしたと言われています。死後はタージマハルのムムターズの棺の脇に葬られました。
(シャージャハーンと皇妃ムムターズ)
〈庭園の静謐さ〉
二人の棺の置かれた内部を見終わり、 私は正門(大楼門)に戻るため外へ出ました。。
(正門(大楼門)と庭園、ネット写真)
(庭園をリスが走り回っている)
(庭園に咲く花)
芝生の庭園を歩いて行きますと、リスが何匹も走り寄って来ます。インドのこのような庭園には本当にリスが多くいます。また傍には、名前は分からないのですが、赤い小さな花が群れ咲いています。美しい自然が広がっています。
庭園は静謐そのもので、外の喧騒とは全く異質の世界です。自転車で走って来たすぐ傍のスラム街など本当に存在しているのかと思わせるような世界です。同じ日の午後には同じムガール時代の廟であるイティマド・ウッダウラー廟にも行って見たのですが、そこはほとんど観光客もなく、ただただ静謐な時間が流れていました。私は廟が面しているヤムナー河を、誰にも邪魔されず2.30分もぼんやりと眺めることが出来ました。私はこの旅で初めて「安らぎ」というものを感じました。
〈混乱させられるインド〉
廟所の豪壮さと静けさ、それと全く対極にあるのは、何度も書きますが、街の喧騒と猥雑さです。人・人・人・人・・・、ラッシュアワーの電車の中のような人の密集、不衛生な環境、リキシャ・車・荷車・自転車などの地獄のような混雑と交通渋滞、物乞いを始め生きることをこれでもかと見せつける人々、この対極的な存在には頭が混乱します。
(インドのスラムとうごめく人たち、ネット写真)
(物を乞う人たち、ネット写真)
インドは「極端」と言う言葉をそのまま現実にした社会だと、沢木耕太郎は『深夜特急』の中で言っていますが、全くその通りだと思います。貧富の差然り、カーストの差別然り、そしてこのような観光名所の姿然りです。一般の人々、いやもっと貧しい物乞いたちと皇妃ムムターズ、スラムの掘立小屋と美しく豪壮なタージマハルを私は併存するものとしてうまく理解することが出来ません。
私が長年勉強してきた歴史学では「搾取と被搾取の最たるもの」「支配の頂点と被支配の最底辺」「貴種と賎民という身分関係の両極」というような客観的な分析はできますが、実際のものとしてこのように見てしまうと、感覚的な拒否反応が起こってしまうのです。
歴史学では、貧富、身分、差別の問題などは当時の社会を見る切り口であり、研究を進める上で絶えず念頭に置いておかねばならない問題です。インド社会はアジア共通の古いものを残しており、とくに私が専門としている日本中世の在り方を考える場合、非常に参考となる現実モデルなのです。でもこれほどの極端さを見せつけられると、科学的に、合理的に理解しようとする精神そのものが現実に耐えられなくなる、という感じなのです。
今までやって来た研究などは一体何だったんだろう。今度の旅と同じように、一方的興味関心のみの、外から知らないものを見学する「観光旅行」と同じだったのではないか、という危惧を持ちます。
〈インドとどう向き合う?〉
外からだけ他社会を見て分析するのはヨーロッパで発展した博物学や文化人類学の手法ですが、古い時代を研究する歴史学もその方法から抜け出すことが出来ません。内部からのリアリティがなく、心から共感できるものがないのです。
最近見かけたインド本で、バックパッカーとして長くインドを旅した女性が著した『インドノープロブレムへの旅』『インドやっぱりノープロブレムへの旅』(共に2004年、ひのもと由利子著、石風社。改訂版同名ブログも参照)など、内部からインド社会を描いた優れた文明批評もあります。インド社会に感じたものをどう深めていくか、どう自分のものとするか、それは自分の生き方の問題、実践の問題と深く関わるものなのだろうと思います。これからの歴史学もその必要があると思います。
(ひのもと由利子『インドノープロブレムへの旅』)
しかしタージマハルは、貴婦人のようにこの上なく高貴で、街はただただ喧騒と混乱を続けています。沢木耕太郎は先の『深夜特急』の中で、「インドでは事実を事実として見ればいい」「感じるものを感じるままに受け入れればいい」と書いていますが、全くその通りだと思います。
剝き出しの 生死の中に 薔薇のごと タージの白は
永遠に冷たく
(続く)







