長い人生の中には、どうしてこんな不運なことをと思うことがありますが、結果として幸運であったとしみじみと想うこともあります。今回はそれに似たような話をしたいと思います。
(屋台の果物売りの少年と。ジャマーマスジッド近く)
〈路地の面白さ〉
ムスリムマーケットを見終わり、次にジャマーマスジッドの北側の方へ行って見ることにしました。地図を見ると、北側500mほどのところに東西の通りに沿ってチャンドニーチョウクがあります。ここはオールドデリーでは最も賑わいのあるところで、東京ならば浅草のような場所だとガイドブックには書いてあります。ここもバザールで、ぜひ行って見たいと考えていました。でもマスジッドの北側の私のいる場所からは地図では直接行ける通りはありません。細い路地がその方角に延びているだけだったのですが、私はその路地を行って見ることにしました。
そこは人が2・3人すれ違える程度の狭い路地で、両側には古びた高い建物が連なっています。当然昼間でも薄暗く、不安を感じます。イタリアのヴェネチアでもこのような路地が網の目にように走っていましたが、こちらの方は何が待っているのか、不安が先に立ちます。
入って見ると、すぐにT字路になって突き当ってしまい、チャンドニーチョウクの方角には行けません。でも気にしないで人のいる方へどんどん進んで行くことにしました。狭い路地と言っても店もあり人もかなりいます。ヒンズーの寺院もあります。途中に在ったブダルデスライという寺院では中に入ることができ、賛歌を歌っていたお婆さんたちに写真を撮らせてもらい、親切にしてもらいました。
(ブダルデスライ寺院の老婆たち、親しく話をした)
路地は迷路のように入り組んでいます。方角は大体分かっていたのですが、やはりチャンドニーチョウクの方には進んでいないようです。でも次第に不安感は無くなり、路地をウロウロするのが面白くなってきました。人がいる方を目指してさらに進んで行きますと、揚げ物屋や床屋があり、カメラを向けるとポーズを取ってくれます。「ここも撮ってけ」と隣の店のオヤジさんも言います。
(路地の床屋、ポーズをとってくれた)
こんな細い路地でも生ジュースを売る屋台が出ています。見ている前でオレンジを絞ってくれます。1杯10ルピー(24円)です。
当然、牛もいます。すれ違う時は脇にへばりつかなければなりません。牛は、他人様のことなど気にせず路地の真ん中を通りますから、人様の方が脇に寄るのです。
路地を抜けるとやや広い通りになり、そこを進むとイスラム寺院のファティブリーモスクがありました。チャンドニーチョウクの西のはずれに出たようです。
(ファティブリーモスクにて、そこにいた兄弟と)
モスクを見学し、チャンドニーチョウクは別の機会にしようと考え、次に南の方へ向かってみました。そこはラルクアンバザールの通りです。ジャマーマスジッド前の参道と同じ雰囲気です。
〈パハールガンジへ〉
ここまでもう1時間以上歩いています。時間は11時を回っており、昼はどうしようかと考え、ニューデリー側の有名なバザールのパハールガンジへ行って見ることにしました。そこには冷たいビールを出すレストラン「メトロポリス」があるとガイドブックには書いてあったからです。
(パハールガンジの通り、ネット写真)
ニューデリー駅に近いアジメリー門を目指し、また路地に入り込み、門まで来て、そこからニューデリー駅の跨線橋を越えました。そこがパハールガンジでした。パハールガンジも通りに面して多くの商店、露店、屋台が並ぶ繁華街です、デリーでは最大の商業地域と言ってよいでしょう。東京ならさしずめ新宿と言ったところでしょうか。
オールドデリーを歩いていた時は全く外国人には出会わなかったのに、ここではかなり見かけます。外国人相手の安宿も沢山あるのです。日本人旅行者の姿も見かけます。
パハールガンジを歩くのは、オールドデリーのバザールを歩くのと比べてかなり疲れます。人混みは同じなのですが 、外国人相手の客引きがものすごくいるからです。2・3分に1回程度は声をかけられます。「宿を紹介するよ」「いい土産物屋に連れて行ってやるよ」「街を案内するよ」と言い寄ってきます。ほとんどが若者ですが、彼らは宿や店 を紹介すればマージンが貰えるのです。
(レストラン・メトロポリス)
(レストラン・メトロポリスで食事する)
〈恐るべき「スチューデント」君〉
レストラン・メトロポリスで昼食を摂った後、日本への葉書を出そうとポストオフィスを捜したのですが、その時、「私はスチューデントです。あなたは何処から来ましたか」と一人の若者が声をかけてきました。客引きで、もうそれにはうんざりしていて相手にしなかったのですが、うっかり「ポストオフィスは何処だろう」と漏らしてしまったのです。彼はここぞとばかりそこまで連れて行ってくれました。でもこれは助かりました。ポストオフィスは場末の古ぼけた建物の2階に在って、他人に聞いただけではとても分からない場所だったのです。
(ポストに投函する)
(しつこい客引きの「スチューデント」君)
彼は私をものにできると思ったのでしょう、その後土産屋に連れて行こうとします。あまりにしつこいので、「学生がこの時間に学校に行かなくていいのか」などと屁理屈を言って見たのですが、離れようとはしません。ちょっとでも対応するとしつこく付きまとうのです。でもしばらく放っておくと、やっと離れていきました。
でも数分もしないうちに次の若者です。ほっとする暇もありません。「私はスチューデントです。安心してください。あなたを案内します」。前の彼と同じフレーズを言って寄って来ます。こちらも「学校はどうしたんだ」と同じフレーズを繰り返します。彼が言うには大学は午後から始まるんだということでした。今度の彼は前の「スチューデント」君より手強く、どこまでもどこまでも付いてきます。パハールガンジから数キロも離れた同じニューデリーのコンノートプレースまで付いてきました。1時間近く離れようとしなかったのです。
この二人のスチューデント君にはほとほと疲れましたが、この経験は結果的に私に幸運をもたらしたのかもしれません。パハールガンジは雑踏としての面白さはあったのですが、本当に疲れる場所だという悪印象が私には強く遺ったからです。
この旅はデリーからアグラ、そしてベナレスを廻り、最後にまたデリーに戻る予定でした。最後の7.8日目はまたデリー滞在だったのですが、その7日目に起こったのが当時驚かれたインド最初の同時多発テロ事件です。皆さんの中にも覚えていらっしゃる方がいるかと思いますが、デリー市内の3か所で同時に起こり、60人以上が死亡した事件です。実はその場所の一つがこのパハールガンジだったのです(とくに死亡者のほとんどがパハールガンジだった)。結果的には私はその時刻ににはいなかったのですが、この悪印象がなければちょうどその時刻に、間違いなくこのパハールガンジにいたと思います。それについては後で詳しくお話ししたいと思います。
傍 ら に 若 者 ら ゐ て 喧 し き 「 傍 若 無 人 」 の
文 字 を 思 え り
(続く)








