インドの街角の雑踏は凄まじくて、とても言葉には言い表せないものでした。でも、私にとっては「インドらしい」と感じさせたものでもありました。今回は少しその話をしてみようと思います。
〈ホテルの朝食〉
ジャマーマスジッドからの参道をブラブラとホテルの方角へ向かって歩き、どうにかホテルに帰りつくことが出来ました。時間は7時半になっていました。
その時間から1階のレストランで朝食が食べられると言うので、行ってみるとバイキング形式の朝食です。大皿に南インド料理のマサラドーサ(薄い小麦のプレートにジャガイモなどを入れ包んだもの)や、ゆで卵、ナン(インド式パン)、スープ状のカレー、それにパンと紅茶も取り、調味料の使い方が分からなかったのでそこにいたボーイさんに聞き、インド風朝食を済ませました。
(ホテルでの朝食)
ホテルブロードウェイのレストランは夜はデリーでも有名なカシミール料理の店となります。ですからこの朝食も美味しく口に合います。30年前の旅では安食堂しか入らなかったので、インド料理は油濃く日本人の口には合わないものだと思い込んでいましたが、本当はこんなに美味しいものなんだと、感じ入りました。日本のインド料理専門店で食べる味と同じです。
さて今日一日どうするか、何も予定は立てていません。名所旧跡はあまり興味ありませんので、ブラブラと足の向くまま気の向くまま歩き廻ってみようと考えていました。唯一の目的は前にお話ししたクルタピジャマを買うことです。
(ジャマ―マスジッドからの参道の店先、この商品は?)
〈再び雑踏へ〉
ズボンにはき替え、まずは朝ジャマ―マスジッドから帰ってきた通りをまた行って見ることにしました。時間は9時近くになっており、かなり人の数が増えています。早朝でも上野のアメ横程度の賑わいがありましたが、今度は新宿アルタ前の人出です。前を注意していないと人にぶつかってしまいます。
人だけではありません。この狭い通りをオートリキシャやサイクルリキシャ、さらにはバイク、スクーター、自転車などが間断なく行き交います。それだけでなく、荷物を満載した大八車や普通の荷車も何人もの男たちに押されて頻繁に通ります。ぼやっとしていると間違いなく轢かれてしまいます。
(ジャマ―マスジッドからの参道。たむろする牛)
また牛も至るところにたむろしています。野良犬もやってきます。ロバも山羊もいます。上から黄色いシャワーのようなものが降ってきます。上を見ると電線にサルがいます。サルの小便です。ありとあらゆるもので通りはものすごい混み様です。
(街中の野良山羊)
また凄い音です。リキシャやバイク、自転車はクラクションやベルをジャンジャン鳴らしていきます。「そこのけ、そこのけ」と自己主張を続けます。半端な音ではありません。音の洪水、いや繰り返す音の津波です。
埃も凄まじいものです。道は舗装されていますが、日本の道路のような清潔なものではありません。リキシャやバイクが埃を巻き上げて行きます。道の脇にはゴミや牛の糞など汚物が散乱しています。注意しないと踏みつけてしまいます。とにかく「凄い」のです。
(ジャマ―マスジッドからの参道)
これだけ書いても、日本の感覚ではおそらく理解できないと思います。この「凄さ」は実際に見た者でないと分からないはずです。
オールドデリーはデリーの中では庶民の街ですから、この猥雑さは美しいニューデリーのオフィス街にはありません。でもこの「凄まじさ」はオールドデリーだけではありません。私が行ったアグラもベナレスも、古い歴史を持つ商業地区(旧市街)は皆同様でした。
(小学校へ通う子供たちを乗せるオートリキシャ)
アグラでは自転車を借り、サイクリングを楽しんだのですが、でも「楽しさ」「快適さ」とは程遠いものでした。後で詳しくお話ししたいと思いますが(第25回「恐怖のサイクリング」)、道はトラックから自動車、大八車、荷車、バイク、リキシャ、自転車などでぎっしりです。アグラフォート駅前では、その汚さと共に、バスや乗降者も加わって「この世の混雑・混乱はここに極まれり」と心底思ったほどでした。心身とも身動きできないのです。
〈雑踏に思う〉
30年前も同じだったな、こういう世界を見たな、と昔を思い出していました。そして日本の人たちのことを思い浮かべていました。家内はまず間違いなく1時間で「日本に帰る」と言い出すと思いました。きれい好きの○○さんは発狂するのではないかとも思いました。大袈裟ではなく、清潔な環境に慣れた我々にとってはそれほどのものなのです。
私はと言うと、感じ方は日本の皆さんと同じです。でも辛さに耐えていたのでもありません。面白がっていたという一面もありますが、それよりもどこかに「懐かしさ」を感じていました。30年前を懐かしがっていたということもありますが、でも少し違うのです。心の内側から「懐かしい」のです。郷愁のようなものを感じていたのです。前世ではここに暮らしていたのかなと思ったほどです。今考えれば、人間社会の本質、生の「生」(せい)がそこにあると感じたのではないかと思います。インドの人々の生きる強烈なエネルギーに、「生きる、生きる、人は何があっても生きるものだ」と、人間の本質を感じ取っていたのではないかと思います。
(青空床屋)
私の子供時代、父母や祖父母の生き様はまさにこうでした。教養もない貧しい暮らしでしたが、懸命にその日その日を生きている姿がありました。だから何とも「懐かしかった」、郷愁のようなものを感じていたのだろうと思います。
皆さん、機会があれば是非このインドの雑踏を経験してみてください。私がインドに惹かれる理由の一つがここにあります。
ただ斯くも 老若男女は 群れ動く 生きなば生きよ
死なずば生きよと
混沌・猥雑・多種雑多 言いて尽くせぬ ヒンドゥの街
(続く)






