今回は、旅を縦にしてみて、私の触れたヒンズー教のお話をしてみたいと思います。
(殺戮の神・カーリー)
今度の旅ではいくつかの宗教に触れました。ヒンズー教、イスラム教、仏教、ジャイナ教などです。ヒンズー教はインド人口の約8割を占め、インドの人々の信仰の中心です。イスラム教は約1割、仏教、ジャイナ教は少数派です。
今回の旅では、ヒンズー教の最大の聖地ベナレス(ヴァラナシ)や、お釈迦様が最初に教えを説いたサールナートを廻りましたから、当然のようにインドの宗教やその歴史には接しました。でもそのような聖地・観光地だけでなく、インドは社会そのものが宗教に深く関わっており、日常生活そのものが宗教なしには語れないところなのです。旅そのものがいやおうなしに宗教を見続けることになりました。
〈最初のヒンズー教の印象〉
インド最初の朝、ジャマ―マスジッドまで行った帰り道、通りから入った路地にヒンズー教の小さな祠を見つけたことは前回お話ししました。祀られているのは虎(?)に乗った小さな神像(女神像?)で、西洋人形のようにきれいに着飾られ、眼はインド人のように大きく、見つめるとこちらがたじろぐほどの畏怖感を感じるものでした。
(ホテル近くのヒンズー教の祠の女神(?)像)
ホテルの傍まで来ると、辻になっているところにお堂がありました。中は10畳ほどの広さがあり、ヒンズー神像が数体祀られています。最初外から覗いていると、お堂の脇の花売り露店の人が中に入ってもいいと言うので、入って見ることにしました。靴は必ず脱がねばなりません。建物は石造りで、裸足で入るとひんやりしてとても気持ちのいいものでした。神像の高さは1mほどあり、サフランやその他の花で飾られています。向かい側にも別の神像が祀られています。
ヒンズーの神像は、何と言ったらいいのでしょうか、おそらく日本人なら最初は何とも言えない「異様さ」を感じてしまうと思います。眼が大きくてきつく、装飾もけばけばしく、何よりもとっつきにくいのです。日本の仏像に見られるような慈悲深い眼差し、すっきりとした容姿、温和な雰囲気とは全く異なるのです。仏像であっても顔だけはヒンズー神と同じで、異様さを感じます。
(殺戮の神・カーリー)
30年前の時は私は好奇の目で見ていました。そして慈悲心を求める日本人と比較して、インドの人たちは別種の感情を求めているのではないか、私たち日本人には理解できない宗教心ではないか、これは文化表層の違いではなく、信仰の本質的違いに根差しているのではないかと思ったほどでした。
(ベナレスのヒンズー寺院の前で、後ろは真っ赤なヒンズー神、21歳のとき)
〈アグラでの出来事〉
デリーのつぎに行ったアグラでの出来事です。着いた翌朝、渡船で裏からのタージマハルを見るためにヤムナー河のたもとまでらぶらと歩いて行きました。
(ヤムナー河から見るタージマハール裏)
川からタージマハルを見終わった後、船を下りますと、目の前にお堂があります。近寄って行くと、お経を唱えるような声が聞こえ、覗いてみると、数人の男女が神像を前に座ってお経を唱えています。皆私ぐらいの年齢の人たちでした。
彼らは私に気付くと「中に入ってこい」と言います。私は靴を脱ぎ脇に座らせてもらい、しばらくそのお経を聞いていました。お経はマントラと言うのでしょうか、リズムがあって不思議な響きがあります。
しばらくすると、皆は右側にある3対の男女神像の方へ移って行きます。「お前も来い」というのでまた一緒に座りました。神像の前のカーテンがすべて開けられ、導師のような男の人が賛歌のような歌を謡い始めました。それに合わせて全員が手を叩き唱和するのです。私も意味は分からないながら真似して謡いました。
5分ほど幾種類か謡ったでしょうか、その間に人も増えてきます。どうやらこれは近在の人たちの朝の勤行のようです。10代の高校生ぐらいの少年も混じっていました。
(アグラの村のお堂と導師、朝の勤行を司る、奥に二体のヒンズー神)
さらに幾種類かの賛歌を謡い、一区切りついたと思ったその時です。導師のような男の人が私に神像の前に来いと言うのです。最初は何事か分からなかったのですが、どうやら私のために経文を唱えてやるというようなのです。
私一人神像の前に座り、その経文の後を追い唱和しました。もちろん言葉通りではないし意味も分かりません。3分ほど唱えたでしょうか、唱え終わると導師は、私の額に赤い染料で丸い印を付けてくれるのです。インドの人たちがよく額に付けているあの印で、ティカと言います。そして私の掌に角砂糖と3センチほどのバターの塊(ギーと言ってました)を載せてくれます。食べろと言うのでしょう。それを口に含みますと、また何か呪文のようなものを唱えてくれます。
近在の老若男女が集う朝の勤行に紛れ込んだ外国人の私を、このようにもてなし、私のためにその一日の安寧を祈ってくれたのです。
(朝の勤行のあと、額にティカを付けてもらった私)
偶然覗いていてこのような機会に恵まれたのですが、この経験は忘れがたいものとなりました。写真も撮らせてもらい、私は丁重にお礼を述べその場を後にしました。
〈ヒンズー教に感ずるもの〉
私が出会ったインドの人たちは皆親切で人懐こい人たちばかりでした。外国人ゆえのこともあったのでしょうが、拒まれるということは全くありませんでした。でも、このような宗教行為の場においてもインドの人々と同じように扱ってくれるとは夢にも思っていませんでした。観光地なら寺院の金儲けということもあるでしょうが、どこにでもあるこのようなお堂で、額に印(ティカ)を付けてくれ、経文を唱えて私の一日の安寧を祈ってくれたのです。オールドデリーの街角の寺院バブダルディスライでも老女たちが気さくに親切にしてくれました。何よりインドの人たちの大らかさが私の心に沁みました。
(ヒンズー寺院パブダルディスライの老女たち。神への賛歌を謡っていた)
またそれとともに感じたことは、ヒンズー教の性格です。
インドのもう一つの大きな宗教であるイスラム教のモスクを訪ねたときは、一同が礼拝している場には私はどうしても入れませんでした。異教徒であることを意識させられ、また拒まれている感じがするのです。キリスト教でも同じでした。イタリア旅行でアッシジの教会で偶然礼拝の場に出くわしましたが、場違いな雰囲気で、私はそそくさとその場を離れました。
(デリーのイスラム教寺院の礼拝風景)
ヒンズー教の汎神教的な性格とイスラム教・キリスト教の一神教的な性格の違いも背景にあるのかもしれません。ヒンズー教は、神と厳密に向き合って自らを律するというイスラム教・キリスト教とはどこか違うのです。異教徒の他者に対してもそれを理由に排除するということはないようなのです。ヒンズー教そのものが経典もなく開祖もない宗教です。インドの在地の神々を取り込み、中心の神ビシュヌとシヴァはそれらの化身として信仰されます。何でも融合する神々です。日本の諸神・諸仏と同じなのです。
(ビシュヌとシヴァ)
(ヒンズー教の行者(サドゥー)と、デリーのヒンズー寺院で)
ヒンズーの神像は見た目には怖ろしい感じを受けます。人によっては嫌悪感を持つと思います。30年前の私がそうでした。でも、30年前に、インドの人々と日本人では信仰心が本質で異なっているのではないか、と思ったのは、おそらくは誤りであったろうと思います。
宗教的な場においても私は受け入れられている、「心」という人間にとって最も重要な部分においても排除されていない、これは正直すごく心が休まりました。何か大きなものに抱かれているという安心感です。何よりも30年前と異なった今回の旅の大きな印象となりました。
ヒンドゥの 朝の勤行 招かれて 嬉しや嬉し 母に抱
かれて
(続く)










