(西安の旅、最終回)

 

 今日は旅も最終日、もうどこも寄らず帰国するだけである。

 朝の6時30分にはホテルのレストランで朝食を摂り、7時半には空港へ向かう予定となっている。

(朝食の風景、いつもの朝がゆの朝食)

 朝食はいつもの通りであったが、中国の旅行は朝食のメニューが豊富で、味も良くいつも嬉しくなる。ヨーロッパなどではパンとコーヒー程度の味もそっけもないものだが、中国旅行の朝食は対極にあり、楽しみの一つである。

 朝がゆがベースだが、このホテルではおかずの一つに上の左の写真のような蒸し餃子(?)を出していた。肉の入ったものではなく、中身は黄色い餡であり、ゼラチンの透明な皮で包んだものである。これは絶妙な味がして毎朝食べてしまった。ホテルの朝食に出されるほどだから特別の料理ではないのだろうが、帰国した後調べてみても名前すら分からなかった。何という餃子(?)なのだろうか。専門店にも行かないので、以後一度も食べていない。

(最終日の朝、ホテルを出発)

(ホテルから空港までのルート)

 バスは7時半過ぎには空港に向かってホテルを出発した。そのルートは上の地図のようなものであったが、西安城外へ出て高速道路に入ると現代中国の発展を示すような高層マンション群が車窓に見え、「これが今の中国なんだ」と、古都西安の夢幻から目が覚めたような感覚になった。

 しかし一方では、車窓から見える風景には頭をよぎる思いもあった。西安の街は見学したが、広い渭水(いすい)盆地全体は、到着した時には夜中であったので眺められなかったのである。この盆地は中国古代王朝が幾多の興亡を繰り返した場所であった。

 

 バスは間もなく渭水盆地を南北に分ける渭水(渭河)を越えた。さほどの川幅ではなかったが、これがあの渭水かと思った。

 

 黄河の支流である渭水(渭河)が作る渭水盆地は、北に黄土高原、南に秦嶺山脈が走り、東に広がる黄河中下流域の「中原」(ちゅうげん)との間を函谷関(かんこくかん)によって隔てられた盆地である(地図1)。古代には「関中」(かんちゅう)と呼ばれ、中国を支配する権力が絶えず掌握しようとする政治の中心地の一つであった。

 古く黄河文明の発祥の地であり、紀元前11世紀には、初期の王朝の周(西周)がここに起こり、今の西安の西側には都である鎬京(こうけい)が営まれた。周の衰えた春秋・戦国時代の前4世紀には、覇を競った秦によって都・咸陽(かんよう)が渭水の北側に営まれ、中国を統一した始皇帝によって全国支配のための王宮・阿房宮が造営された。前3世紀末にはその秦を滅ぼした劉邦によって漢の都・長安が今の西安の北側に造られた。古代中国の支配において、この盆地の掌握が重要な地政的要件であったのである(地図2)

(地図1、渭水の位置と渭水盆地)

 

(赤で囲ったのが渭水盆地に都を置いた王朝)

 

(地図2、渭水盆地の古代王朝の都の位置と空港までのバスのルート。漢の都長安と秦の都咸陽の上を通った(推定))

 

 それら古代王朝の都の跡を私は今走っているのだなと、車窓からの風景に栄華の夢を重ねていた。高校の授業でも教えてきた場所を目の当たりにしていることに感無量であった。バスは1時間ほどして9時前には西安国際空港に到着した。

(西安国際空港にて)

 上海に向けた国内線・中国東方航空機は予定通り11時ちょうどに離陸した。足掛け4日間の西安滞在もこれで終わりである。

(上海の浦東国際空港にて)

 約2時間のフライトで上海の浦東国際空港に到着。時間は午後の1時過ぎになっていた。成田行き国際便まで4時間の待ち時間があるのでビールを飲んだりしてしばらく時間を過ごすことにした。

(上海・浦東国際空港から成田へ向かう)

 上海からは午後4時55分発の中国東方航空機で成田へ向かうことになっていた。上の写真は搭乗する時の様子である。その後4時間のフライトで成田へ着いたが、旅の記録はここまでしか撮っていなかった。以上で4日間の息子祐輔との西安の旅は終了ということになる。

 

 障害はあるが歴史好きの息子に中国の古い歴史を見せてやりたいと思ってこの度に参加したが、私にとっても特別の意味を持った旅であった。

 

 西安の旅は、今まで訪れた外国への旅(ーインドやイタリア、ギリシア・トルコ、エジプトなどー)での共感や異文化理解とは異なって、日本との直接の関係も考えさせられたものであった。

 空海の学んだ青龍寺の出土遺物(三鈷杵)から私の地元の古河市小堤の円満寺の唐請来品・密教法具二品の問題を考えたり(ブログ「空海の学んだ青龍寺」)、大薦福寺などに見られる天台僧・円仁の長安での活動が帰国後の天台教団の東北布教にもつながっていくのではないかと、研究してきた地元の川戸台遺跡にも関わらせて考えたこと(ブログ「唐の都長安と日本僧・円仁」)、また大興善寺の伽藍配置と古河市関戸の宝塔の梵字(種子)の共通性から唐代中国密教と成立期東国武士の信仰との関係を考えたこと(ブログ「大興善寺へ」)などである。その点では今までの海外旅行とは異なる意味があった。

 

 旅から帰ってもう8年にもなったが、この間息子はグループホームに入り家族と離れて暮らすようになった。私は毎週日曜日には訪ねて行って、午後の時間を外に連れ出し、一緒に趣味の競輪をしたり、歴史博物館を廻ったりして遊んでいる。もう海外旅行は出来ないが、思い出であるこのブログを見ることが楽しみの一つとなっている。

 

(了)