(西安の旅、その5)
「人はパンのみにて生くるにあらず」(モーゼ)という旧約聖書の言葉があるが、それが意味するような精神的な価値よりも、やはり、まずは「パン」なのではないかという思いを今は強くしている。今回は西安の街を歩いていて思ったことである。
〈鐘鼓楼へ〉
午後に青龍寺を見学した後、私たちは小雁塔近くの中華レストランで夕食を摂り、そのままホテルに戻った。時間は夜の7時過ぎになっていたが、二人で、近くにある有名な「鐘鼓楼」へ行って見ようということになり、ホテル前の東大街の通りを西の方に向かって歩いて行った(地図1)。ツアーではこのような自由時間が貴重である。
地図では鐘鼓楼はその東大街を進んだ先に在ったが、西安は碁盤目状の街区なので、しばらく歩いて行くとライトアップされた鐘鼓楼が遠くに見えてきた。
鐘鼓楼は3つの屋根がある木造建築の建物で、古く明の時代に作られたという。高さは36mもあり、上部には大きな鐘が一つ吊るされ、昔は人々に時を知らせていたという。東西の東大街と南北の北大街が交わる交差点の中央に建っており、その大きさと歴史性から西安の街のランドマークになっている。そこはロータリー式の環状交差点になっていて、ライトを点けたバスや自動車が弧を描いて行きかっていた。
ライトアップされた鐘鼓楼は幻想的であり、古都・西安を強く感じさせる趣があった。息子とそこの広場に立ち、「これはなかなかいい」と、しばらくその雰囲気を楽しんだ。
〈開元モールのマクドナルドで〉
ホテルに戻る道すがら、鐘鼓楼の近くで、来た通りの反対側に「開元モール」というショッピング街があり、そこにマグドナルド店があったので、一休みと、入ってみることにした。
店の表には中国語で「「麦当劳」とあったが、ドライブスルーとなっている日本のマクドナルドとは違って、店内は広く、洒落た作りになっていて、多くの若者で賑わっていた。私たちは夕食が済んでいたのでコーヒーだけ注文した。
(現在の開元モールのマグドナルドと店内、ネット写真)
(私たちが入った時のマクドナルド)
現在の中国のマクドナルドは日本と同じように、アメリカの本部と現地資本の店舗と言うフランチャイズ方式であるが、1978年からの中国の改革開放政策の中、最初は1990年にアメリカのマクドナルド本社が出資して香港近くの深圳市に第1号店を開業して始まった。私たちが行った2017年までには2千6百店以上を中国本土に開業していた。しかしその年に株の多くを現地企業に売却して、フランチャイズ方式に変わり、現在は、現地企業の中国マクドナルドが、280都市に7千店以上を営業しているという(2024年段階、ネットより)。
店に入っての印象は、装飾から働く人まで、何から何まで「お洒落だな」ということであった。来店している人たちには若者が多く、その姿は日本と全く変わらなかった。若者たちは今風のファッションに身を包み、ハンバーガーをほおばり、飲み物を飲み、楽し気におしゃべりをしていた。
しかし私には、日本に居るのと同じ感覚になりながらも、それは、幻覚に似たある種の奇妙な違和感を感じさせるものであった。「あれ、今の中国の若者はこんななのか」という感覚だった。それは社会主義の国家には「理想」があったはずなのにと言うことから来るものだった。
私の中学生の頃(1960年代半ば・後半)には、毛沢東が提唱する文化大革命で人民服を着た紅衛兵の若者たちが毛沢東語録を持って行進し、また政府を批判する側ではあったが、ちょうど息子が生まれた年(1989年)には、政治の民主化を求める学生・知識人たちが天安門広場で集会を開き、それに対し政府は人民解放軍をもって弾圧し、世界から批判を受けた。それらを知っている私にとっては、米資本で開店したマクドナルドの中で安穏と消費生活を楽しむ若者の姿は、幻覚にも似た不思議な違和感を感じさせ、「時代は変わったのだ」と寂寥感さえ感じさせるものであった。
〈青春時代の中国と現在〉
振り返れば文化大革命の頃の日本も、60年安保闘争や70年前後の学生運動があり、革命と理想社会の実現を目指してマルクスレーニン主義などのイデオロギーが若者の生き方を左右していた。私たちの青春時代は、経済的豊かさや生活の安定を求める以上に、どのような未来社会を作るかという激しい「政治の時代」でもあった。
(紅衛兵の若者)
(天安門事件で弾圧する人民解放軍の戦車に飛び乗る若者)

(1970年前後の日本の学園紛争)
毛沢東の大躍進運動や文化大革命の混乱で低迷した中国経済を近代化しようとして、鄧小平は1978年から改革開放政策を推進したが、それは、政治的には社会主義を維持しつつも「白い猫であれ、黒い猫であれ、ネズミを捕ればよい猫だ」と言って、現実を重視して資本主義的な市場経済を導入したものだった。四人組失脚や天安門事件などの様々な曲折はあったものの、以後の中国は驚異的な経済成長を遂げ、2000年代の実質経済成長率年10%以上を経て世界第2位の経済大国になり、現在に至っている。
現代の中国の若者は、理想やあるべき社会を目指すのではなく、生活そのものが価値観の中心になっていると言ってよい。これは70年安保闘争・学生運動が終焉して以降の日本の若者の姿と全く同じである。マグドナルドで若者たちの姿を眺めていて、そういう思いが脳裏をよぎっていた。
マクドナルドを出た後、私と息子はホテルへの東大街の道を歩いて行った。ホテル近くになったところに人だかりになっている路地があり、面白いのでそこに入ってみた。今調べてみると、北柳巷という場所あたりであったが、居酒屋や露店が並んでおり、老若男女がたむろし、恋人たちが肩を寄せあって歩いていた。私はこういう日常生活の場を見るのが楽しく、しばらく眺めていたが、そこにコンビニがあったので、息子にお酒と菓子を買わせ、ホテルに戻ることにした。卑俗でもあるこういう当たり前の生活こそが人生のほとんどなのだとも思った。
50年前の青春時代、マルクスレーニン主義こそが目の前の現実を把握できる理論であり、階級闘争こそが理想社会を実現できる方法であると私は信じていた。人間も理想に見合うほど高尚な存在だと思い、中国はそんな理想を実現しようとしている国だと思っていた。
しかしあれは一体何だったんだ,、なぜそう思っていたんだと、理想の結末であるこの西安の若者たちを見て、若い時の自らを省みてしまった。「人はパンのみにて生くるにあらず」というが、今は、人は思想や理念ではなく「まずはパンなのだ」と思っている。
(続く)








