(イタリアの旅、その4)
バス駐車場近くの船着き場から船でサンタマリア・デラ・サルーテ教会近くの船着き場までやってきた。船着き場から大運河のゴンドラ乗り場までは小運河に添う道を歩いて行った(地図1)。
(地図1、茶色の点線が船着き場から小運河の脇を歩いて行ったルート)
(小運河の私。この運河に添って大運河のゴンドラ乗り場まで歩いて行った)
〈ゴンドラ巡り〉
ここがゴンドラ乗り場で、サンタ・マリア・デラ・サルーテ教会の隣になっており、大運河に面している。
同じツアーの千葉から来たご家族と一緒に同じゴンドラに乗った。
まずは大運河に乗り出す。左手に大運河に架かるアカデミア橋が見えた。そちらへは向かわず、対岸の小運河網のところにゴンドラは入って行った。
運河めぐりをしたのは、下の地図2にあるように大運河の北側の、アカデミア橋とサンマルコ広場の間の地区となる場所だった。
(地図2)
詳しく見てみると、下の地図3にある青色の点線のルートだった。以下の写真を載せた場所を記しておいた。
(地図3)
最初に運河網に入ると、まず船から荷揚げ作業をしている様子に出会った。船しか交通手段のないヴェネチアらしい。
進んでいくと、2つの橋が続けて見えてきた。
さらに進んでいくと、右側に大きな建物が見え、ゴンドラーナのオジサンは「パレス」と叫んでそこを指さした。今はフェニーチェ劇場になっている辺りで、昔には宮殿があったのだろう。
さらに進んでいくと、底の土砂を浚渫している船とすれ違った。海まで運ばれた上流からの土砂を日常的に浚渫しないと運河の維持が出来ないのだろう。
(浚渫船の前の私)
さらに進んでいくと、ゴンドラーナのオジサンが「モーツァルト!」と左手の建物を指さして叫んだ。かつてヴェネチアを演奏旅行で父と訪れたモーツァルトの宿所のようである。
壁には説明版が掲げてあった。そこには「15歳のモーツアルトが1771年のカーニバル時期にこの家に滞在した」と書かれてあるということであった。
モーツアルトは少年時代に、父親に連れられて3回にわたって長期海外演奏旅行を行っているが、イタリア旅行は、1769年12月に故郷ザルツブルクを出発し、1771年3月までの大遠征だった。その最終場面でのヴェネチア訪問だった。
ゴンドラはレストラン街の脇を抜け、大運河に戻ってきた。サンタマリア・デラ・サルーテ教会が目の前に見えてきた。
大運河をジリオ・ゴンドラ乗り場まで向かい(地図3)、そこで私たちのゴンドラ巡りは終了した。
(続く)













