(イタリアの旅、その2)

 

 ヴェローナはミラノとヴェネツィアの間にある。私たちのバスは高速道路をヴェローナに向かって走って行った。

 

〈バスの車窓から〉

 バスの車窓からは左手に低い山々が見え、ヨーロッパアルプスの近いことが感じられた。バスは2時間ほど走ってヴェローナに到着した。

 

〈ヴェローナの風景〉

(アディジェ川のほとりに発達したヴェローナ。ネット写真)

 

 ヴェローナの町並みは「ヴェローナ市街」として世界遺産に登録されており、ガイドブックには「どこを歩いても絵になり、古きイタリアの良さを体感させてくれる」と書いてある。この街が有名なのは、あのシェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』で、その舞台となっていることである。

 

(ヴェローナの観光地図、黒い点線が歩いたルート。水色の〇印が見たところ)

 

 バスはアティジェ川の橋を渡ったところで私たちを下ろし、私たちはそこから川に沿って歩き、左に折れて旧市街に入って行った。最初に訪れたのはジュリエットの恋人ロミオの家、モンテッキ家である。

 

〈川べりを歩き、旧市街に入る〉

 

〈ロミオの家の前に着く〉

 旧市街に入ってすぐに「ロミオの家」の前に到着した。ここは14世紀に建てられた古い屋敷であったが、個人の所有地であるため、中に入ることは出来ず、外から眺めるだけだった。

 

 興味深かったのは、ロミオの家の上部に見えた垣(狭間)のデザインで、「M」の字の形をしていることだった(下の左の写真)。ガイドブックでは「ロミオとジュリエット」両家の対立をよく示しているのだという。

 「M」字のデザインの有無は、14世紀当時のヴェローナを取り巻いていた2つの政治勢力(神聖ローマ帝国勢力(皇帝派)とローマ教皇勢力(教皇派))の対立を象徴するのだという。「M」字のデザインは神聖ローマ帝国寄りの「皇帝派」であること意味しており、ロミオのモンテッキ家はその皇帝派であった。一方ローマ教皇側の「教皇派」は上の右側の写真ような凹みだけのデザインだというが、ジュリエットのカプレティ家は教皇派だったので・・・。このあと「ジュリエッタの家」を訪れたが、残念ながらそれは確認しないでしまった。

 

 ヴェローナは、神聖ローマ帝国とローマ教皇勢力との間に挟まれた位置にあり、両勢力の境界にあったことが「ロメオとジュリエット」の悲劇の背景にある。

 

〈スカラ家の霊廟〉

 ジュリエットの家に着く前に行ったのは、中世ヴェローナで最も権力をもったスカラ家の霊廟である。添乗員さんから霊廟の塔を指示されたが、その上部に彫られたゴシック様式の精巧な彫刻は圧巻であった。

 

〈シニョーリ広場〉

 つぎに行ったのはスカラ家の傍のシニョーリ広場である。「シニョーリ」とは「紳士たち」という意味で、中世都市を構成した市民のことである。フィレンツェなど各地に同じ名の広場がある。そこにはあの有名な詩人ダンテの像があった。

 

 ダンテは、「教皇派」の中心地のフィレンツェで、反対派の皇帝派・「聖堂騎士団」の幹部だったが、両派の抗争で1301年にフィレンツェを追われ、その後の半生をイタリア各地を放浪して送ることになる。このヴェローナのスカラ家に庇護された時期もあり、『神曲』の一部もここで書かれた。ダンテの像がシニョーリ広場に立っているのはそういう理由があった。『神曲』には、ロミオのモンテッキ家とジュリエットのカプレティ家の対立も記されており、シェークスピアの『ロメオとジュリエット』はこれに着想を得ている。当時のダンテの政治的立場が両家の対立を記した背景にあった。

 

〈ラジオーネ館〉

 シニョーリ広場の前に見えた「ラジオーネ館」は12世紀の市庁舎だったが、その左側の路地に入って進んで行くと、そこはもう一つの広場の「エルベ広場」だった。

 

〈エルベ広場〉

 エルベ(Erbe)とはハーブ・野菜の意味で、野菜がここの公共市場で売られていたことから付けられた名前だという。現在でもいくつか露店が並んでいた。背後にある「ランベルティの塔」は市庁舎であるコムーネ宮と一緒のもので、ヨーロッパの中世以来の広場には、このように自治を行う市庁舎と塔が付属しているのが一般的である。この後に行くヴェネチアやフィレンツェ・シエナでも同様であった。高さ84mある。

 エルベ広場の中央には「市場の柱」という四本柱の大理石の石柱があった。昔この広場では市民たちによる政治集会や裁判・処刑が行なわれており、柱はその名残であるという。市民の自治を象徴している。

 

〈ジュリエッタの家〉

 つぎに広場から「カペッロ通り」(Via Capello)を歩いて「ジュリエッタの家」に行った。家の入り口のプレートには"Casa di Giulietta"(「ジュリエッタの家」)と書かれており、ジュリエットのカプレティ家の入り口であることを示していた。

 カプレティ家の中庭は多くの観光客でごった返していたが、その奥には「ジュリエッタの像」が立っていた。この像には胸を触ると幸せになるという俗信があり、その部分だけ金ぴかになっていた。中庭の右側になる屋敷の2階には小さなバルコニーが張り出していたが、カプレティ家は一般公開されているため、中を見学している人がバルコニーに出て来ていた。映画「ロメオとジュリエット」のバルコニーよりかなり小さめであった。

 

 ジュリエッタの家を見終わった後、私たちは古代遺跡の「アリーナ」に向かってカペッロ通りを歩いて行った。

 

〈アレーナ〉

 街巡りの最後に、ローマ時代の「アレーナ」(円形闘技場)のあるブラ広場までやって来た。アレーナは、紀元前30年に完成したもので、ローマのコロッセオよりも古く、より完璧な形で残っているそうだ。ここには入らず、外から眺めるだけだったが、ここでは毎年夏6月から8月の夜に野外オペラが上演され、多くの観客がオペラを楽しむのだという。8月末のこの日も上演されたのかもしれない。

(アレーナ(円形闘技場)

 

 以上、定番のヴェローナ巡りであった。次は午後ヴェネツィアに向かうことになる。

 

(続く)