(ギリシアの旅、その6)
若い時の衝撃的な事件で、今もって忘れられないのが三島由紀夫の割腹自殺である。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に「盾の会」の若者たちと押し入り、バルコニーで演説したが、聞き入れられず、切腹の作法をもって介錯された。その事件は高校二年のある秋の日の午後、教室の中で聞いた。平凡な日常の中、突然、底知れぬ大きな穴の中に落ちたような感覚になった。
(昭和45年11月25日、市ヶ谷駐屯地バルコニーで演説する三島由紀夫)
その後の長い年月の中で、この事件と古代ギリシア彫刻は私の中では微妙につながっていった。それは三島の肉体を通してである。
1月2日。アゴラの見学を終わってつぎに行ったのは、地下鉄ビクトリア駅の近くにあるアテネ国立考古学博物館である。時間は午後1時になっていた。
(アテネ国立考古学博物館)
(アガメムノンの黄金のマスクの展示の前で)
(アガメムノンの黄金のマスク)
(他にも同じ黄金のマスクや装身具が展示されていた)
事前に調べていて、そこには、世界史の授業で教えたことのあるミケーネ文明の有名なアガメムノンの黄金のマスクや、ギリシアの古典時代(前5世紀)・ヘレニズム時代(前4・3世紀)の「ゼウス」像(あるいはポセイドン像)や「馬に乗る少年」像があることは知っていた。とくに教科書に載るゼウスの裸体像の写実性には目を見張るものがあり、ミケランジェロなどイタリアルネサンス期の彫刻家がそれらギリシア彫刻を再発見し「人間性」の復興を志向したことで、是非とも見たいと思っていたのである。
(ゼウス(ポセイドン)像の前で撮影)
(ゼウス像、ネット写真)
(ゼウス像の上半身を撮る。肉体の美しさがリアルに表現)
(ゼウス像の後ろから)
ゼウス像自体は高さ2メートルほどのもので、高い台座の上に立っていた。槍(実際はゼウスの持つ雷霆(らいてい)という武器らしい)を投げるように、顔を横にして両手を伸ばし、腹部から胸、そして両腕と、若い男性の無駄のないしなやかな肉体が、まさに生きているかのように彫り上げてあった。背後に回って臀部から背中も見たが、どの部分にもリアルな肉感があり、ただただ感嘆するばかりであった。
ゼウス像は20世紀に入り、アテネより北のアルテミシオン岬の海中から発見されたもので、美術史的にはアルテミシオンのブロンズ像と言われる。
前5世紀にこれほどの見事なブロンズ像が作られていたとは、と、当時日本ではまだ縄文時代の最末期であったことを想えば、ギリシア文明の先進性と芸術性の高さには驚き入るばかりであった。以前にフィレンツェのアカデミア美術館でミケランジェロのダビデ像を見たことがあったが、それとさほど違うものではなく、「ルネサンス」(文芸復興)とは言っても、それは古代ギリシア芸術の単なる模倣ではなかったかとさえ思ったほどである。
(ダビデ像、フィレンツェのアカデミア美術館で撮影)
この博物館には同じような男性裸体像に「マラトンの少年」像があり、写実性と躍動感では先の「馬に乗る少年」像もあった。
(「マラトンの少年」像、前4世紀後半。マラトン沖で発見された。ネット写真)
(「馬に乗る少年」像、前4世紀後半、アルテミシオン岬の海中から発見)
(ビーナス象に見入る息子)
私の中で三島事件とギリシア彫刻がつながっていったのは、三島が、その生来の貧弱な肉体をボディビルによって鍛え上げていったことにある。その訓練は30歳になったころに始めたと言うが、理由は、書斎に閉じこもる文学者を嫌悪し、自身の文学を肉体でも表現しようとしたとも言われる。
三島はその少し前に世界を周遊し、とくにギリシアを訪れたことが作家活動に多きな影響を与えた。ギリシア神話のモチーフとエーゲ海の明るい海と太陽の印象から、帰国後間もなく名作「潮騒」を発表し、自身はギリシア彫刻のような肉体に鍛え、死ぬまでそれに執着した。
(三島由紀夫の裸身像、ネット写真)
「潮騒」は、「金閣寺」「仮面の告白」のような自意識に苦しむ心理や「憂国」のようなバイオレンスを描いた作品とは異なり、唯一「平和で静穏な小説であり、この作家としては例外的に、犯罪も血の匂いも閉め出された世界なのである」と解説される(新潮社「潮騒」第5版解説/ 佐伯彰一・重松清)。新治と初江の物語はギリシア神話の『ダフニスとクロエ』を下敷きとしたとされ、三島が理想としたのは神話の残り香がただよう古代ギリシアの世界であったという(同上)。
三島にしては自身の本質(ニヒリズム)とは異なる「明るく健康な世界」であり、それはギリシアでの経験が、一時であっても自身を変えるほどの特別なものであったことを意味している。
三島が肉体を鍛えたこととギリシアの彫刻がどう関係していたのか、自身も語っていないし、それを評論したものも知らないが、間違いなくギリシアの裸体像を見た経験があってのものであろう。ギリシア彫刻はルネサンスだけではなく、三島の文学活動にも明るい光を投げかけたのである。
しかし人間が、肉体の美しさを「自らの体」で表現しようとした場合、そこには表裏一体の関係で「ナルシズム」が伏在している。別に言えば、自意識の生む「いやらしさ」であり、生の肉体ゆえに潜む「心の暗部」である。見る側は無意識のうちににそれを見抜いている。肉体の美は、血肉を持たない「像」でしかその純粋性を表現できないのではないかと、私は思っている。
(映画「憂国」)
三島が市ヶ谷駐屯地を襲い、自衛隊の決起と天皇中心の日本の復活を訴えたのは、もちろん政治的主張などではなく、本質は自身のニヒリズムとナルシズムに発した文学者の幻想と思い上がりの産物であったと、私は思う。作品的には「金閣寺」「憂国」などで描く主人公の心理に通ずるものであり、「暗い自意識」が生んだ行動と見た方が理解しやすい。「潮騒」に見る「明るい健康な世界」とは無縁であり、その点で「潮騒」は三島にとって一過性の光でしかなかったのである。
アテネ考古学博物館の裸体像を見て、今改めて思うのは、三島事件が当時の日本人に(私の心にも)大きな穴の中に落ちるほどの衝撃を与えたとはいえ、その行動は後の社会に普遍的な価値を与えるものではなかったということである。仮に「潮騒」やギリシア彫刻に通ずるものがあったとすれば、その行動はルネサンスのように一大文化運動へ向かうべきものであり、正統にはミケランジェロのように、作品の中でこそ昇華されるべきものであったと思う。そうならなかったのは「切腹」という特異な行為によく象徴される。事件は、なによりも三島の個人的資質(ニヒリズム、ナルシズム)と分かちがたく結びついていたのである。
若い時分に、心を混乱させられた三島の死と、それと微妙につながっていたそのゼウス像を見終わったあと、私は、博物館近くのケバブ料理の店で息子と遅い昼食を摂り、夕方には地下鉄でアテネ国際空港に向かった。つぎのイスタンブールへ移動するためである。
(博物館近くのケバブ料理の店で息子と昼食)