もう新年になってしまったが、かれこれ20年近く暮れには蕎麦打ちをやっている。

 

(上田市の民宿、あずさ号の中で泊る)

(民宿の蕎麦打ち教室、ネット写真)

 覚えたのは、長野の上田市の民宿に泊まったとき、そこの家が蕎麦打ちを教えていたからである。面白い民宿で、中央線の特急あずさ号を家の中に置き、そこに泊まらせるというものであった。

 息子と二人で泊り、蕎麦打ちも教えると言うので、翌朝二人してそこのおかみさんから教えてもらった。十割蕎麦で蕎麦粉と水はもう用意してあり、こね方、伸ばし方、切り方の基本的なことを教えてもらい、その通りにやってみたら、どうにか食べられる代物になった。

 家には打ち台、こね鉢、麺棒があったので、家に帰ってから、さっそく近所のスーパーでそば粉を買って作ってみたが、十割蕎麦は難しく、ボロボロになってしまった。その後、近所の蕎麦屋さんが素人にも教えているということを聞き、そこで御主人に本格的に教えてもらった。これで一通り技術が身に付いた。

(近所の農家兼販売所「森ファーム」)

 茨城には「常陸秋そば」という銘柄があり、甘くて香りが強く、今は日本全国で食べられているようである。

 家の近所にオーガニック農作物を売る地産地消の農家兼販売店「森ファーム」があり、そこでは常陸秋そばも生産し、機械乾燥ながら新蕎麦の時期には「春蕎麦」「秋蕎麦」として販売している。毎年有名なそば打ち職人さんを招いて講習会もやるようなお店で、商品としては、実だけの「江戸風」と、殻の部分を少し挽いて入れた「田舎風」と、殻をそのまま挽いて入れた「山里風」という3種類の粉を売っており、遠くから買いに来る客も多い。

(森ファームのそば粉・田舎風)

(森ファームが主催するそば打ち会、有名な高橋名人が打つ)

 私は、昔祖母が打っていた黒みの強い田舎蕎麦には馴染んでいたが、少し野暮ったく、いつも「江戸風」と「田舎風」を半々にしたブレンドで打っている。つなぎの小麦粉は、蕎麦粉10に対して2の割合の「外二」で入れる。これは昔風の「二八蕎麦」で、普通の二八蕎麦より蕎麦味が強い。

 

 蕎麦を他人に御馳走するようになったのは、ちょうど博物館勤務から現場の高等学校に戻った時期で、年に数回ある先生方のリクレーションでは4・50人分も打ち、好評だった。額に汗して打っている教頭を見て先生方はどう思ってくれたか、いずれにしても単なる堅苦しい管理職ではないと思ってもらえたようである。

 現職最後の定時制高校の教頭の時は、生徒たちのために年に何回かは蕎麦打ちをやった。その高校は自校給食で、調理員さんが毎晩給食を作っていたのであるが、日替わりのメニューの中に「蕎麦食」が入り、その日は、教頭の仕事を放り投げて調理員になって蕎麦打ちをやった(校長には怒られたが)。生徒数は4年生までで5・60人ほどだったと思うが、その数だけ打った。「蕎麦打ち教頭」と呼ばれるようになった。

 

 また、昔の博物館時代の同僚や先輩たちとは、10年近くも年に数回集まり飲み会兼蕎麦打ち会をやっていたが、これは残念ながらコロナで途絶えてしまった。

 ただ、今でも暮れの大みそかには親しい友人たちに配って歩いている。昼頃から打ち始め、午後にはそれぞれのお宅へ持って行く。みなさん美味しいといい、毎年心待ちにしていると言ってくれる。一年の終わりの感謝の気持ちであり、良き新年となりまりますようにと思いを込めて、もう20年近くの行事になっている。ただここ7・8年の間に亡くなった人もいて、配る数も少なくなり、なんとも侘しい気持ちになる。仕方のないことである。

 

 来年も蕎麦打ちができるであろうか。ここ数年はそんな思いになることが多い。