京セラの創業者・稲盛和夫さんは、その『生き方』という本の中で、企業人でありながら、自己の利益よりも他者への利益を優先し、それが回りまわって会社の向上にもなるということを述べている。人生の目的は「利他」による「徳」を積むことで、「人格の形成」が「仕事の目的」だとも言っている。

(稲盛和夫さん)

 稲盛さんは60歳を過ぎてから、仏門に入り、京都市内で托鉢行もやったが、一番感動したのは、貧しい身なりをした年配の清掃人の婦人が、稲盛さんを見かけると、さっとやってきて、稲盛さんの頭陀袋に500円玉を入れていったことだという。稲盛さんは、周囲の見知っているどんな地位の高い、優秀な人たちよりも気高く、崇高であったという感想を述べていた。 

 

 久しく娘の車をガレージに置いたままにしておいたので、バッテリーが上がってしまった。私のハイブリット車から娘の車へケーブルをつないでエンジンを駆動させる方法が分からなく、さてどこかで見てもらおうと考え、買った販売店か車検をやってもらっている大手の店かと考えた。でもバッテリー上がり程度なので、近くの自動車整備工場に頼んでみようかと昼頃に出かけてみた。ケチな性分なので、4・5千円で済めばいいなと思っていた。

 

 社長さんに、事情を話し、いくらで出来ますか、というと、「いらねえよ」という返事で、やっていた仕事を中断して、私の車に道具を積み、一緒に家まで来てくれた。娘の車のエンジンはすぐに動くようになった。「でもこのまままじゃまた上がってしまう。3時間ほど充電すれば、大丈夫だ」ということで、今度はその社長さんは「夕方5時ごろ取りに来てくれ」と、娘の車を運転して帰っていった。

 

 私は狭量な性格なので、タダで見てもらった上に、工場まで持って帰って充電までしてくれるということに、有難くもあり、どうお礼をしたらよいか、と複雑な気持ちになってしまった。突然訪ねて行って、忙しいのに時間と手間を取らせてしまったわけである。

(バッテリー上がりを直してもらった自動車整備工場と社長さん。後ろ姿)

 

 5時に行って社長さんに「おいくらですか」と、やはりお金を払う旨を言ったら、「いらねえよ、金なんかもらったら、また見てやれなくなっちゃうじゃないか」という返事だった。「あー」という感情が私の心の中で響いていた。恥ずかしくもあり、有難くもあった。金より情を知らされた。稲盛さんの本のままである。「金」本位の社会に慣らされた私にとって、大げさに言うと、市井の崇高さが身に染みる思いだった。

 

 ときどき歴史の講演を頼まれたりして人前で話したりすると、終わった後に「勉強になりました」などとお褒めの言葉をもらい、いい気分になって帰ってきたりする。エラくなったような気分である。

 

 過ぎ去った過去など研究してどれほどの意味があるのだろうか、と思う。社会教育になっても、また資料保存や文化財保護につながっても、たかだかそれだけのことである。本質は面白いからやっているのであり、いつも「利己」である。社長さんのようになれないのである。志の低い人間である。