(平将門の乱、その2)
ものごころがついてから、もう60年以上もたってしまった。
ぼんやりしている人間でも、私たちの世代の者は、この間の、とてつもない社会の変化、とくに身近な情報機器など技術の変化には驚いているはずである。
私の家に電話が入ったのは小学校の高学年であり、それまでは隣の家に電話を借りに行った。それが今はケータイであり、諸機能を持ったスマホである。大学生の頃に論文をコピーしたのは、青焼きで、コピー機が入ったのは就職し、教員になってしばらくしてからだ。試験問題を作るのは、当初はガリ版・鉄筆を使っていた。20代の後半になったころに『書院』というワープロ機で作成し、その後はパソコンで作るようになった。パソコンの機能は、このブログのように、今はインターネットで世界に情報を発信できるようにもなっている。
世界は近くなった。経済のグローバル化で、マグドナルドもスターバックスもどこの町にも見受けられる。アマゾンで海外の珍しい商品も手に入る。交通の発達によって、大谷選手の活躍をアメリカまで行って直に見るのも特別なことではなくなった。
これら驚くほどの社会の変化は歴史とどのような関係にあるのだろうか。
(科学的社会主義・階級闘争史観を唱えたマルクスとエンゲルス)
私たちが大学で学んだころには、歴史の変化は「階級闘争」によるものとする見方が主流であった。その根拠となっていたマルクス・レーニン主義は、「勤労大衆」が歴史を作る主体であり、彼らを率いた「前衛」によって「革命」が起こり。歴史は変化する、と説いていた。正義感に燃えていた私はそれを素直に信じていた。しかしあれは「信仰」だった、と今は思う。実際には、歴史はそのようにはならず、上のような変化を社会にもたらしただけだった。
私は、技術の革新(イノベーション)とグローバル化、それが歴史を変化させる主要な要因であると、今は思っている。
(イギリスの産業革命)
(産業革命の象徴の紡績工場と労働者)
(帝国主義国家の世界侵略。イギリスが黄色、フランスが青)
よく言われるように、現代社会を形作ったものは、18世紀の後半からイギリスではじまった産業革命である。動力機械による大量生産と大領輸送が始まり、世界は一つに結びつき、欧米列強による、世界規模の植民地化と帝国主義支配が始まった。それに反対する民族自決運動、労働運動、社会主義運動も始まったが、その理想から出来た最初の社会主義国家・ソ連は、70年後にはそれとは全く逆の姿をさらして崩壊した。現代社会は、インターネットに代表される情報化革命を経ているとはいえ、やはり産業革命の延長線上にあるのである。
(労働者を搾取する産業資本家の風刺画)
(独占資本家が議会を支配している風刺画)
(イーロン・マスクとトランプ)
歴史を進める主体については、私は、それら、技術革新に成功し、経済を飛躍させ、それをグローバル化していった人たちなのだろうと思っている。産業革命では、産業資本家と言われる人たちだ。新興の中間層といってもよい。それが政治権力と結びつき、帝国主義段階には独占資本家として、その世界政策決定に大きな影響力を持っていった。最近の、アメリカ大統領選挙での、112憶円もの献金をしたIT経営者イーロン・マスクとトランプとの結びつきも、これからそれに結果するものであろう。多様な産業分野での、その新興中間層の在り様が歴史を見ていくうえでの一つの鍵であり、彼らこそ歴史を推し進めたキーパーソンなのだと思う。
(NHK・「英雄たちの選択」)
テレビの歴史番組では「英雄史観」が盛んである。NHKの「英雄たちの選択」などは、タイトルと違って必ずしも「英雄が歴史を作った」などとの浅薄な史観には立脚していないが、タイトルに使われるほど、歴史上の人物を、歴史を進めた「英雄」として見る見方は一般的である。私たちが学生時代に学んだ階級闘争史観とは真逆なものである。
(NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」(1976年))
私が少し研究した「平将門の乱」についても、昔NHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」(1976年)で放映されたように、将門を英雄とする見方は一般的である。過去の歴史研究においても、また現在の地元でもそれは根強いものがある。そもそも将門を描いた『将門記』が英雄譚なのである。
私は、これら個人的な価値観に根差した見方を否定するものではないが、歴史を推し進める主体は何であるのかという学問的視点から見れば、そこには注意深く検討すべき問題があるのではないかと思っている。平将門ではなく、それと結びついた新興中間層の問題である。アメリカ大統領選挙で言えば、トランプではなく、イーロン・マスクからの視点である。
少し前のブログ(「平将門の乱(その1、安倍忠良という人物」)で、平将門の敗死の情報を、合戦場の北山から京都へ伝達するときに中継した「安倍忠良」なる人物を紹介した。下総国猿嶋郡の郡司であろうと推測したが、このような「郡司」の立場にあった人たちや、その出身母体の地元有力者を、研究上では「郡司富豪層」と呼んでいる。
安倍忠良の猿嶋安倍氏は、もとは在地の有力農民の日下部氏で、奈良時代末期の安倍猿島臣墨縄が、桓武天皇の命令で、当時は「日本国」外にあった東北の蝦夷(エミシ)と戦い、一方ではその蝦夷の富を都へ運ぶ交易業にかかわっていたのではないか、と推測されている(樋口知志『阿弖流為』ミネルヴァ書房)。また、墨縄と忠良の間の時期には、当時の先端産業である製鉄業にも関わっていた(古河・川戸台遺跡、拙著『平将門の乱と蝦夷戦争』)。このような、在地に根差し、経済、それも「国外」との経済にも直接に関わる新興中間層=「郡司富豪層」の位置と役割から平将門の乱を見直していこうというのが私の視点である。詳しい話は次回以後にしてみたい。
(続く)










