(『二十歳の原点』新潮社)
私は『二十歳の原点』の著者の高野悦子さんと同じ京都の立命館大学を出た。それも高野さんと同じ史学科の同じ日本史学専攻にいた。出身も同じ北関東である。
(高野悦子さん、ネット写真)
(当時の立命館大学広小路学舎、正門)
私は、高野さんが在学中に亡くなってから5年後の入学となる。もちろん『二十歳の原点』は読んでいた。
50年前の、私が入学したころの立命館大学(文学部)は、今の場所とは違って、京都の東側、鴨川に近い広小路にあった。「立命館闘争」と言われた激しかった学生運動は終わっていたが、それでも学内はまだまだ騒然とした雰囲気にあった。当時は小選挙区制導入反対闘争や、京都で起こった八鹿高校事件などがあり、私も学内で、シンパのグループとともに、泊まり込みや支援の活動をしていた。学内グループの対立もあり、学友会室を占拠したり、抗議集会でグループの一人がナイフで刺されたりなどの事件も起きていた。
(50年前、私の在学当時の日本史専攻学生たちの自主公開講座)
大学の3回生の時、ゼミの教授から、学生のたまり場にもなっていた共同研究室の書架の整理を頼まれ、本の移動などをしていた時、昔の学生の個人カードのような綴じ込みが本の間に挟まれていることに気付いた。それをめくっていったら、高野悦子さんのカードが出てきた。日本史の共同研究室だったので、図書と一緒に置かれていたのであろうと思う。
一緒に作業をしていた後輩女性と、それを眺めて、驚きながらも不思議な感情を持った。カードに貼ってあった高野さんの写真は、『二十歳の原点』のあどけない表紙写真(上のもの)のものより、瞳が大きく、大人びており、何よりも美しかった。この人があの高野悦子さんかと、彼女の自殺という終わり方と重なって、「そうなのか」という不思議な感情を持った。
たいてい二十歳前後の時期には手痛い失恋をする。真剣であればあるほど、喪失感と、自己を否定された思いで、ただただ虚しさに捉われて自殺までも考える。それでもほとんどの人は生き続ける。
「独りであること、未熟であること、それが私の二十歳の原点である」。『二十歳の原点』の一文であり、表題はここから採られているが、高野さんの個人カードの写真は、「独り」「未熟」を抱えながらも生き続けるそれらの人たちとは、どこか違っていた、という印象が今も心に残っている。
「独り」「未熟」は二十歳のときに感じるだけではなく、40歳の働き盛りでも、70歳の老齢になっても同じである。40歳のときは家族があり、70歳の今は、近いうちに「死」が勝手に迎えに来てくれるだろうという思いで、自殺しなかっただけである。二十歳との違いは、耐えられる無神経さを身にまとっただけである。
高野さんは生きていれば70代の半ばである。日本史を専攻していたので、卒業し郷里の栃木に帰っていれば、研究者として私の知る人になっていたのではないか、と思う。一緒に仕事をしていたかもしれない。
(現在の宇都宮女子高、ネット写真)
毎月、診察を受けさせるため、車で家族を宇都宮の病院まで連れて行く。病院の近くに高野さんが卒業した宇都宮女子高があり、いつもその脇を通り過ぎる。その度に高野さんを思い出し、あの共同研究室で見た高野さんの写真が頭に浮かんでくる。そして、辛かった学生時代の失恋の思い出も、自らの未熟さと共に・・。