インドの旅

 

 ー終章・旅から20年、ブログ投稿の想いー

 

 

 ブログをお読みいただき、ありがとうございました。 

 最初の回(「序章・最初に」)にも書きましたが、投稿したこの50数回の旅行記ー30年ぶりのインドひとり旅ーは、今から20年前、北関東の、ある県立歴史系博物館に勤務していた当時、親しい友人たちに「メール通信」という形で送ったものでした。各回ごとの投稿内容だけ見れば、ずいぶん古い話じゃないかと感じられた方も多いと思いますが、20年前の記事を今回投稿したものだと理解していただければと思います。

 インドへ行くとなぜか旅行記を書きたくなります。インド社会が、自分の内面に深く影響を与える、特別なところだからだろうと思います。そこではやはり、根源的な「生」と「死」の問題が中心となってきます。

(生後10か月ごろ。筆者(左)と双子の兄(右))

 ブログのテーマを「30年ぶりのインドひとり旅」としましたが、30年前の最初の旅は、20年後の現在となっては、もう50年、半世紀も前の話しです。京都の大学にいたその21歳の時も「インドおたおた旅行記」と銘打って、大学の友人たちに封書で送りました。

 当時は貧しく、大学を数か月休んでアルバイトをし、それを旅費として出発しました。当時付き合っていた大学の後輩女性にさまざまな影響を受け、思い立った旅でした。

 その人は今でも忘れがたい存在です。旅に出るまでいろいろと支えてくれたこと、また、出発の羽田空港に見送りに来てくれたことなどを、昨日のことのように思い出します。小柄で黒目がちのかわいらしい女性でしたが、でも意思のしっかりした瞳を持っていました。

 看護系大学から入学し直した彼女は、親からの仕送りを受けずに、バイトで学費から生活費まで稼ぎ、働きながら大学へ通っていました。

 自立した彼女にとって、21歳の未熟な私は、とても相手となる存在ではなく、そのお付き合いも1年ほどで終わってしまいましたが、あれから50年、心の中ではずっと生き続けております。

 途中にも書きましたが(第44回、「日本の30年」)、この旅行に出かけた直接の契機は、県立高等学校の教員から博物館へと異動して8年目、難しい職場環境の中、今後どのように研究活動を続けていこうか、様々な葛藤があり、インドを再訪することで自分の心を整理してみようと思ったからです。

 そしてその後の20年、私は、旅から数年ほどしてまた学校現場へ戻り、60歳の定年退職の後は、専門分野(歴史学)を大学などで教えてまいりました。70歳の現在は年金暮らしの老人で、病気の家族の介護の傍ら、趣味(本職?)の家庭料理や、過去の著作をまとめ直す作業などをしております(山歩きが長年の趣味でしたが、今は介護があるため出かけられません)。

 老齢となって、「人生のまとめ」の一つであり、また「自分史」でもあるこの旅行記を、多くの人に読んでもらいたいと投稿いたしましたが、やはり、想い浮かんでくるのは、先ほどの女性です。

 これは、学生時代に送った「インドおたおた旅行記」の、半世紀の時を経た、続編です。「あなたはあなたの生き方をすればいい」と言われたあの時から、すでに50年。今も元気でいらっしゃるのか、どこで暮らしていらっしゃるのか、どのように生きてこられたのか、心の中ではいつも想いますが、この旅行記を知らせる術はありません。 

 人生も残り少なくなると、「死」の想念とともに、「生」の最も輝いた時代がしみじみと思い出されます。とくにその時代に大きな影響を受けた人のことが、なつかしく心に甦ってきます。彼女が、今も元気でいらっしゃるならば、このブログが、何かの機会に眼に触れてほしいと、「青春の遺書」の想いで投稿いたしました。

 今回、20年前の旅行記を、なぜ今頃ブログにして投稿したのか、シリーズを終えるにあたって、秘めた心の裡を、恥ずかしながら吐露してみました。

  (令和6年8月、了)