もう10年以上通っている接骨院の先生は施術の間、いつもふんふんと相槌を打ちながら私の取り止めのない話を聞いてくれる。
そして時々「それは大変でしたね。」とか「すごいですね」と労ってくれる。
先生が私の手首を握って脈をとりながら
「すごく疲れてますよ。最近何かありましたか?」と言ってくれると、本当は喜ばしい事ではないのに元気ですよと言われるよりずっと嬉しいのだった。
幼少期に何かあると駆け込んでいた病院の先生は、田舎の小さな産婦人科だったが我が家は祖母の往診までしてもらっていた、いわゆるかかりつけ医だった。本当に優しさが滲み出る先生で、単なる生理痛であっても泣かんばかりに心配して
「そんなに痛いのか、可哀想に!どうする?どうしたい?」とオロオロし、「注射!注射打とうか⁉️注射も痛いけど大丈夫⁉️」となかなか決断できず、「先生、早くしてください‼️」と看護婦さんに一喝されるのだった。
私が大人になり、先生はおじいちゃんになった。
ある日、やはり生理痛で倒れた私の紫のマニキュアをした爪をみて「爪までこんな色になって‼️」と悲鳴をあげ、その時はいきなりモルヒネを打った。
一瞬で痛みが引きびっくりして先生を見ると、
「あぁ、良かった!顔色が戻ってきたね。」とホッとしたように笑った。
患者にとって一番嬉しいのは共感だと思う。
つらかったねと言ってもらえるだけでいい。
名医の条件はただそれだけだ。