子供の頃、弟と二人でお地蔵さんに道端で咲いているお花を供えて
「今日はお習字のお稽古を早く終わらせてください」とお願いしたら二人そろってその日書いた文字があまりにもうまく書けて一発でお稽古が終わったことがある。
不思議だったが、神様や仏さまを信じるのには分かりやすい出来事だったため、ちゃんとお願いすれば叶えてもらえるし、いい事があればご褒美なのだと単純に喜ぶ癖が私にはついていた。逆に夫は人生の運は決まっていて、ラッキーな事があれば、それと同じだけアンラッキーな事があると考えるタイプだった。なので何もおこらないのが一番いい事だと常日頃から言っていた。
ある年の元旦。そんな夫と二人で近くの氏神様に初詣でを済ませ、晩御飯を食べに行こうと歩いていた時の事だ。前から紙切れが飛んできて私の体にひっついた。よく見るとその紙切れはなんと一万円札だった。
「すごい!一万円やん!神様からのお年玉やー!」
私は狂喜乱舞して万歳をしながらその場でくるくると回転した。
だが夫は
「ゲッ!元旦から縁起悪い!何か悪い事が起こったらどうすんねん」と言って、私の襟首をつかんだ。
「何?なにすんの?」
「そこの交番に出頭や!」
目の前には確かに交番があった。
「なんで悪いこともしてないのに交番に出頭せなあかんの!」
「お金を拾ったら交番に届けるのは常識や!」
「お財布やったらいざ知らず、名前も書いてないお札を届けてどうすんの!?」
ギャーギャーいいながら、私はそのまま交番に引っ張っていかれて夫の手で警察に突き出された。
警察官も私が渋々出した一万円札を見て微妙な表情だった。
それはそうだ。だって、この一万円札は風に乗って飛んできたのだ。どこで落としたかは不明だしそれを自分のものだと証明する手立てもないのだ。絶対の落とし主が出てこない一万円札は不幸にも元旦に出勤になった人の仕事を増やしただけに違いない。
半年後、夫いわく禊をすませた一万円札が手元に戻ってきた。今考えると夫も縁起が悪いと思ったのなら警察ではなく神社にお賽銭として返せというべきだったのだ。
しかし、俗世にまみれた私達は結局何も考えずにめったに食べられないステーキを食べてしまったのだった。
こんな使い方しかできない私達にはもう一万円札が空から飛んでくることはないと思う。