H子と子猫を拾ったのは、私がまだ20代の頃だ。

同じ会社の同僚だったH子と会社からの帰り道で公園に捨てられている子猫を見つけたのだ。数匹いる子猫のうち一匹の茶トラだけが、ひどく小さくみすぼらしかった。

私はH子に

「他の子は元気やし可愛いからきっと飼い主がみつかるけど、この子は誰にも飼ってもらわれへんかもしれん。あんたが飼ってあげなよ」と言った。

私のマンションはペット禁止だが、H子の家は3階建ての一軒家だ。

しかも、H子は無類の動物好きだった。

H子はウーンとうなったあと

「あんたが一緒に家までついて来てくれたら連れて帰るわ」と言った。

子猫と離れがたかった私は二つ返事でOKし、そのまま二人でH子の家に帰ったのだった。

 

実は猫を連れて帰っても他人がいれば、それほど怒られることはないだろうとH子は考え私を家に誘い、私も他人の自分が怒られることはないだろうとたかをくくっていた。

しかし、そんな私達の予想を裏切りH子の旦那さんは、猫を連れて帰ったことが分かると

「二人ともそこに正座せぇ」と言った。

H子の旦那さんは12歳年上のH子の元上司だ。破天荒なH子には色々苦労したようで、子供がいなかった事もあり、H子の事は妻というより子供のような感覚で日々接していた。

当然、妻と同じ年の友達という位置づけの私は、子供の友達であり、私達はとっくの昔に成人式を迎えた大人であるにもかかわらず、猫を拾ってきたという理由で正座をしたまま怒られるというまさかの事態になったのだった。

それでも茶トラの猫はなんとかH子の家で飼ってもらえる事になり、可愛がられて育った。

小さくみすぼらしかった姿も毎日、H子と同居している義理のお父さんが競争で餌を与えたためドンドン成長し、次に私が再会を果たしたときには、びっくりするほど巨大化していた。

 

それから私もH子も転勤して職場がバラバラになり、会うのは1年か2年に一度となった。

なかなか茶トラの近況を聞くことも難しかったのだが、ある年

「やっぱり年齢が年齢やから腎臓が悪くなって毎日点滴せなあかんようになってん」と

H子が近況を話してくれた。茶トラはもう17歳になっていた。

「病院の先生からも老い先短いですから好きなものを好きなだけ食べさせてあげてくださいって言われてさー。高級でおいしいごはんをあげてんねん。」

茶トラと一緒に暮らせる時間もあとちょっとしかないとH子はしんみりしていた。

それから2年後にH子にあった時、驚く事に茶トラはまだ元気だった。

「ちっちゃい袋やのに100円するおやつを毎日あげてるんやけど、それを5袋も食べて、まだ普通のカリカリを食べるねん!うちの家の中でエンゲル係数が一番高いねんけど!」

前回しんみり茶トラの事を話していた時とはうってかわってH子は

「いつ死ぬかわかれへんって言われてからもう2年たってるんやけど、めちゃめちゃ元気やねん。いつまで生きるつもりや?もう19歳やで」と笑っていた。

その後茶トラは周囲の想像をはるかに超えてなんと23歳まで生きて通っていた動物病院が所属する団体から表彰までされた。あの時、H子とともに正座までした甲斐があったというものだと私はその話をきいて一人感慨にふけったのだった。