昭和の初期に生まれた父は、見た目が浪平さんで、しかも会社から帰ってくると着流しに着替えてテレビを見ながら晩酌をする姿は今思い出しても昭和そのものといった感じだった。

そんな父の趣味は、釣りとパチンコで、元来寡黙な父は一人で黙々と何かをするのが好きだった。

その父に新しい趣味が増えたのはまだ私が小学校低学年の頃だ。

田舎の一軒家だった我が家には結構広い庭があったのだが、父は突然そこに池を作りたいと言い出したのだ。適当に色んな木が植えられた庭の手入れは父がしており、他の家族は庭に対して何の思い入れもなかったため、反対意見が出るわけもなく週末になると父は池づくりに没頭するようになった。大きなスコップで地面を掘り、セメントを流し込み、いつの間にか我が家の庭に小さな池が出来上がった。そこに夜店の金魚すくいで貰ってきた赤い金魚を入れるとそれらしい池に見えて、それまで全く興味を示さなかった私たちも、その池を褒めちぎった。しかし、それも長くはもたず、すぐに私たちは池に興味を失ったのだが、そこに救世主がやってきた。車で家族旅行に出かけた時に道の真ん中にものすごく大きな亀が歩いていたのだ。家の池で飼うのだと父がその亀を車に乗せた時にはビックリしたが私たちは亀とともに帰路に就いた。昔は、珍しい生き物を捕獲すると学習教材としてなんでも学校に持っていくという風習があった。私も当然のように、亀を学校に持っていった。皆が亀を囲んで盛り上がっていて私も鼻高々だった。その日は教室に亀を置いて帰ったのだが、次の日に学校に行くと、結構な数の卵が教室中に産み落とされていて、先生がものすごく困っていた。

すぐに親が呼び出され亀は自宅へ強制送還となった。卵はウミガメの産卵のイメージしかない当時の先生達によって花壇に埋められたので孵らなかった。

今思えば亀は卵を産む場所に移動するために道路を歩いていたのだと思うと申し訳ないことをしたなと思う

小学校ではアイドルになり損ねた亀だが、家では父が亀を池の近くに放してご満悦だった。

亀もまた日々魚肉ソーセージなどをもらいご機嫌な様子だった。

亀が来て、池はまた人気を取り戻した。

ところがこの話はめでたしめでたしでは終わらなかった。

 

「なんか、金魚の数が減っている」

しばらくして父が妙な事を言い出した。浅い池だから飛び出したんじゃないの?と私たちはとりあわなかったのだが、その原因は割とすぐに判明した。

暇があれば日がな一日金魚と亀を眺めて過ごしていた父の目の前で、ある日、池の外で甲羅干しをしていた亀がやおら起き上がってのそのそと池まで歩いていくと、池の中にゴトンと入った。そして、パクンと目の前を泳ぐ金魚を食べたのだ。

父はすぐに亀をもとの場所に返しに行った。

そんな色んな思い出のある父の池、それから何年か後に鬼門にあたるとあっさり埋められてしまい今は跡形もないのであった。