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Anniekです(^^)/
5月に三峯神社、6月に武蔵御嶽神社に行ってからというもの
ヤマトタケルさんのことを
をますます好きになりました。
三峯に一緒に行ったちえさんが
「今回ヤマトタケルさんにはすごくお世話になったから、ブログでヤマトさんがどんな人かを書いた方がいいと思う、結構みなさん、何をした、どんな方か知らないと思うよ。」
と言ってたので、それで、書かねば!って思ってたんです。
ヤマトタケルさんって、多くの日本人がそのお名前は聞いたことがある、かと思います。
でも
で?何をした、どんな方?
っと、聞かれると、意外とみんなはっきりとは答えられない。
ググってみても、
どこも難しい漢字と、長い文章で書いてあって、なんだからよくわからない!![]()
で、
歴史上のヤマトタケルとはどのような人で、何をした人なのかをなるべくわかりやすくご説明いたします。
まず、お名前の「ヤマトタケル」
実は、幼少の頃は違う名前でした
生まれて幼少期は
小碓命(おうすのみこと)
というお名前
双子のお兄さんがいて、名前は
大碓命(おおうすのみこと)
ヤマトタケルは、幼少の頃から、気性が荒く、武芸に秀でていて、頭もよく直感も冴え、美少年だった、とも言われています。
(古事記と日本書記では性格が少し違う雰囲気に書かれています。)
Wikiより(大鳥神社)
出生は不明ですが、お父さんは、第12代景行天皇、そして、第14代仲哀天皇は息子さんなので、ヤマトタケルは今でいう、皇族にあたります。
少年の頃(16歳といわれている)、ヤマトタケルは、ある悪いことをした兄を「お仕置きしなさい」と父に言われ、お仕置きをするはずが、兄を殺してしまうんです。
(そんなことあるかい!w)
お父さんは、そんな狂暴なヤマトタケルを恐れ、敵対勢力を倒すための、遠征に行かせます。
お父さんは、ヤマトタケルが戦死をすることを想定したと言われています。(所説あり)
まずは、九州へ。
ヤマトタケルは、熊襲建(くまそたける)と仲間の三重の軍勢を一人でやっつけます
その際に、
「日本書紀」では日本武尊
「古事記」では倭建命
と名乗りだした、といわれています。
宮に戻ってきたヤマトタケルは弟橘比売(おとたちばなひめ)と出会い、やがて二人は結ばれます。
しかし、休む間もなく、父は,東国12国(伊勢:尾張:三河:遠江:駿河:甲斐:伊豆:相模:武蔵:総:常陸:陸奥)を平定するように命じたのです。(東征)
出発前に、ヤマトタケルは叔母の倭比売(やまとひめ)から,須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲で倒したヤマタノオロチの尾から出てきたとされる、天叢雲(あめのむらくも)の剣を受け取ります。
(天叢雲(あめのむらくも=後の「草なぎの剣」)
実は。。。ヤマトさん
東征の際の尾張で豪族の娘の美夜受比売(みやずひめ)と出会い,東国の平定後に結婚すると約束しちゃったりしますw
(ま、このころ奥さんが複数いても問題ないのかw)
その後
相模の国に入る前で弟橘比売(おとたちばなひめ)と合流。
土地の役人から「草原の神が従わないから成敗してほしい」と罠にかけられ、ヤマトタケルのいた周りの草原に火がつけられ炎に囲まれます。
あわや弟橘比売とともに焼かれる寸前だったが、天叢雲(あめのむらくも)の剣でまわりの草を刈り向きを変え難を逃れることができ、
ヤマトタケルは罠に陥れようとした役人たちを斬り殺して焼いてしまいます。
難を逃れたヤマトタケルはこの剣を「草薙(くさなぎ)の剣」と改名。
「草薙の剣」は三種の神器の一つで有名です。
(熱田神宮の御神体)
その後
三浦半島沖と房総半島に船で渡る際に、激しい雨と風に襲われ、
弟橘比売が「海神の祟(たた)り」だと言って、その怒りを静めようと海に身を投げてしまう。
すると海は静まり,ヤマトタケルは上総(千葉)に渡ることができたのです。
海岸でヤマトタケルは弟橘比売のクシを見つけ悲しんだと言われています。
そしてさらに東へ進みます。
今日はここまで。
霊視できる、ちえさんは、三峯でもヤマトさんから沢山メッセージをもらっていましたが、そこから感じるヤマトさんの雰囲気も、おっとりした感じではなく、強く、少し厳しめな雰囲気でした。
強さの中に慈愛がある、という感じです。
でもそのお人柄にちえさんは惹かれていました。私もです![]()



