2回に渡って遍路のことを話しましたが
本日3回目は
「何故遍路を人はするのか?」について
私的なコメント
しようかなと思います。
遍路をしていると、不思議な感覚になることがあります。
まず初めに「なんでこんなことしてるんだ?」感覚。
僕の場合、しょっちゅうでしたwww
遍路をしていると、あまりの非日常的行動の為
人は、ほとんどこの感覚になることがあります。
理由は様々。
疲労、眠さ、足腰の故障などなど。
どれも、通常の生活なら間違いなく正当な理由です。
こんなときに、僕は「原点の考え」に戻ることをなるべくしてました。
「なんでこんなことしてるんだ?」「俺が来たいと思って着たからだ」
単純ですwww
この単純な考えが
遍路中は
あさくらみなみ 36歳 最近イライラする!
ばりに、かき消されるのですwww
そんなときに大切なのが
「仲間」です。
この仲間も、完全に好みが分かれます。
ある仲間は
「修行が足りん!邪念が多い」と豪語しw
ある仲間は
「がんばろう!」
と声をかけます。
どちらも正しい答えです。
がしかし
よーく考えると
ちょいと違うことがあります。
遍路は空海の歩いた道を
昔は、その考えを信仰する者たちが
歩いた道です。
信仰的に言えば
この道で「修行が足りん!」とお説教できるのは
空海でも誰でも発言できません。
この道をあるけば
どんな偉い人もそうでない人も
一遍路であることに変わりないからです。
私的な見解になりますが
妙な説教、妙な信仰的な入れ知識は
空海の教えそのものに対しても
異議を唱えることになりがちですwww
なんで僕的には
遍路も
人生も
なにしてもいいけど
人が困っていたなら
手を差し伸べて
人がくじけていたら
足を止めて、支え
人が苦しんでいたら
苦しみを和らげ
共に笑い
共に歩むこと
そんな仲間がいいな、と思ってますw
昔は遍路道を歩く人の中には
白装束を身につけ
そのまま他界する人
歩き疲れて倒れて、世を去る人がいたそうです。
白装束自体が
死を覚悟した証だったのでしょう。
これは武士道でも共通しています。
戦において、死を覚悟したものは
修羅となり戦場に赴くといいます。
武士道において
甲冑は白装束同様。
だとするならば
遍路道で倒れることを
美化せずに
「生きる大切さ」
を学ぶことこそ
現代に残された
日本唯一の修行の場が
辿るべき道ではないのか、と思います。
数多くの武士が、この地で生き倒れた歴史を
深く噛みしめるのであれば
その者たちが本当に目指した道
「人々が平和で住みよい国」を
我々は築く義務があるのではないか?
と勝手に妄想してますwww
遍路道を歩くと
たくさんのお接待を受けます。
僕はこのお接待で受ける
「やさしさ」が大好きですwww
かつて生き倒れする遍路を
見守った祖先?とも思える
「お接待」
ここに、人は
「ひとりでは生きていけない」
という答えを見つけられると僕は思います。
「ひとりでは生きていけない」
この言葉は、僕的には
この四国で見つけた大きな言葉でした。
あれは最初の遍路のときに
空港から一緒だった
とある遍路の言葉がきっかけでした。
兄が他界し
生前絶対本人の前では
笑顔でいる、と決めて
他界後
遍路に来た時のこと
焼山寺を登っているときに
「もう疲れた、なんで登っているんだ」
と思ったときに
先に登っていた外国人である彼が
下山してきて僕に一言だけ
Your brother proud of you
と残して又、登っていったのです。
この言葉に心底救われました。
「ひとりではない」
「精一杯生きることこそ、人生」
彼は大きな僕の恩師です。
そんな仲間との出会いも大きな遍路の醍醐味。
空海はそこにいなくても
同行に必ず
誰かがいます。
そんな人のありがたさや
出会いがあるからこそ
遍路はやっぱり醍醐味があります。
宗教的なことを除いて
私的に語りましたが
この修行道には
お金では手に入らない
大きな宝物がたくさん埋まってますwww
ほーら
だんだん
行きたくなってきたでしょー?wwww