しゅしゅして改めざる者あり | 拾い読みあれこれ

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江戸時代の儒者、猪飼敬所の伝記を、その子の彦績が記したのが『於多満幾』ですが、その巻四に

「凡経説は、人心不同如面(引用者注記:人心同じからず面の如し)、天下の人をして盡く己か説に同しからしめんとする所を述て、後の君子を俟つなり、世間或は父師の説也として、其心に非なるを知りなから、猶守株(引用者注記:しゅしゅ;旧習を守り進歩なきをいう)して不改者有り、是れ是に非す、本居氏(引用者注記:本居宣長)嘗て其弟子に謂て、吾説非なる所有れは、早速に改むへし、必す師の説也として、枉(まげ)てこれに従ふへからすと云、余(ほ)か意は唯道を明に為さんと欲す、故に誰れにも有れ、善き説有れは必すこれを取る、又自身前説の非を知れは速にこれを改む、・・・」

と父の語るところが記されています。

マチガッタ考えだと気づいても頑迷で改めない傾向は人間、歳を取り、いっちょう上がりで仕上がっていってしまうと強くなるようです。自らの非を知る柔軟な思考力も衰えてくるのでしょう。非を知ればすみやかにあらためるどころか、非を非と認識できなくなっていきたくはないなあ。古人の説くところ忘れず、自省を心がけたいと。