なんであれ追々に発達し来たっている。衰退するものも次第にそうなってきている。
なかには一気に発達したり衰退するものもあるかもしれないが、そう多くはないだろう。
社会の行事や習俗につき、柳田國男はこう語っていた。
「今ある形は後々の発達でなくてはならぬのだが、妙に此点だけは御国自慢の人が取りちがへて居る。古いと言ひながら今の姿によつて、其の由来を説明したがる者がまだ多いのである。」
(柳田國男、「眠流し考」)
そうだな、この点、意外に間違えやすい。由来を尋ねて今の姿を説明するのが正解だろうが、逆に今によってその由来を説明し、納得してしまいがちかな。
そなると、どうしてこうなってきたかが見えなくなってしまう。社会の行事や習俗についてばかりではなさそう。
こ~なったのはあ~だったからというのでは、あ~だったのがどうなってこ~なったという事情を隠してしまいがち。失敗の正当化にはよい手ではあるが、結果が反省しなければならない場合はとくに、失敗に至るプロセスに教訓があるわけだから、考える順序を逆さまにしないほうがよいということだな。