ゆらぐ | 拾い読みあれこれ

拾い読みあれこれ

きょ~も適度に息抜き、よいかげん。ゆっくり歩いて遠くまで

「わしは最初は疑ったが、しかししまいには信じてしまった。・・・」
(国枝史郎、『銅銭会事変』)

疑っていたことを信じるように変わる、逆に信じていたものを疑うようになる。なにがきっかけか、どうしてそうなるのか。

信じ込ませようとする働きかけは多い。だからついには信じるようになっているものがたくさんあったのだろう。しかし、信じていたことが実はたしかならざることを気づかせてくれる親切にはあまり出会わない。だから、信じていたものに疑いを挟んでいくには社会で過ごす時間の長さが必要だ。歳を重ねるほどに信じていたことがひとつひとつ揺らいでいく。そうではなかったんだ~、そういうことだったのか~、と揺さぶられる。信じていた期間の長さを考えると辛いものがある。

加齢を辛いものにしている一因に、それがあるのかもしれない。やり返すことのできない人生の時節を迎えて信じきたことを失うのはたえられないことだろう。