≪殺陣師段平≫ 黒澤明脚本 マキノ雅弘監督 1950年度 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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≪殺陣師段平≫   1950年度

 

こんばんは。いつもご訪問いただきましてありがとうございます。

 

初期の新国劇の頭取であり殺陣師であった実在の人物、市川段平をモデルに

 

長谷川幸延が戯曲に書き下ろし、

 

1949年3月に新国劇自身が有楽座で初演を行いました。

 

翌年、この戯曲を黒澤明が脚色し、マキノ雅弘監督で映画化。

 

大映でも、1962年に黒澤明脚本のものを瑞穂春海監督で映画化しています。

 

 

新国劇出身の役者さんといえば緒形拳さんを思い出します。

 

とても好きな役者さんでした。辰巳柳太郎さんにあこがれて付き人となるが

 

島田正吾さんに素質を見出されたんですね。

 

澤田正二郎亡き後、新国劇の二本柱として正吾さんと柳太郎さんが

 

屋台骨を背負うわけですが、このおふたりはとても対照的で

 

王将は辰巳さん、講道館の嘉納治五郎は島田さんと

 

前者はやんちゃ坊主、後者は冷静で且つ人物といわれる人柄。

 

入れ替わったら多分半減しますね。

 

 

映画のいわゆるチャンバラといわれる分野の作品はほとんど

 

新国劇が原点ではないでしょうか。

 

柳太郎さんと正吾さん・・・わたしはどちらかというと

 

島田正吾さんのファンです。晩年のテレビ放映、≪十時半睡事件帖≫という

 

白石一郎さん原作のこののんびりした隠居の推理物が大好きでした。

 

このとき御年88歳、主演役者としては最高齢だそう。

 

彼も殺陣師段平を演じてるんですね。澤田正二郎役はもちろん辰巳柳太郎さん・

 

さて、映画では市川雷蔵さんの澤正と中村鴈次郎さんの段平もあるのですが

 

今夜は月形龍之介の凄みのある段平で、

 

澤正を市川右太衛門、脚本黒澤明、監督マキノ雅弘の

 

1950年度版で取り上げてみます。

 

黄門様ではない月形龍之介さんのシリアスな演技がとても良かったのです。

 

 

あの当時、新派は女性ファンが多く、新国劇はやはり男らしくて男性ファンが

 

圧倒的に多かったように思います。

 

 

監督マキノ雅弘

 

 脚本黒澤明

 

原作長谷川幸延

 


キャスト
市川右太衛門        沢田正二郎
月形龍之介         段平
山田五十鈴         段平の妻
月丘千秋          お手伝い
進藤英太郎         倉橋       

 

 

      簡単なストーリー

 

新国劇で頭取と呼ばれる市川段平(月形龍之介)は無学で

 

字も読めない人でしたが、殺陣が三度の飯より大好きで、

 

今日も若手を集めて立ち回りの稽古をしています。

 

ある日段平は調子に乗り、立ち回りのことになったら我を忘れ

 

橋の欄干でとんぼ返りをやって川に落ち、風を引いて寝込んでしまうという

 

始末。

 

女房は髪結いをしているお春(山田五十鈴)。

 

いつも女房には減らず口ばかり言っているがそれほど二人は仲が良いのだ。

 

奉公をしているおきく(月丘千秋)は段平が京都で拾ってきた娘でした。

 

 

熱を押してまでも稽古に出向こうとする段平。それにはわけがあった。

 

今度の狂言は新国劇がのるかそるかの初めての髷もんなのだ。

 

段平は必死だ。行友李風(座付き作者)が書いた  赤城山・・・つまり国定忠治・・・の立ち回り。

 

 

これが当たれば天下の段平の時代が来るんやで。。。。

 

 

うれしくて思わず女房おきくに自慢げに話した段平。

 

 

 

ところが、

 

澤田正二郎(市川右太衛門)は、歌舞伎のまるで舞のような

 

型を重んじる殺陣ではなく、

 

リアリズムのある殺陣を求めていました。剣の激しさが劇全部であってもいいと

 

思うと澤田は言う。””剣の劇というものが新国劇の目的のひとつであってもいいと

 

思っている。そんな激しい剣劇・・・こういった強い言葉で言える殺陣・・

 

立ち回り・・・がつけられるような殺陣師が欲しいんだ。””

 

 

段平の殺陣は否定されてしまいます。

 

形ではない立ち回りが欲しい澤田と形こそ立ち回りという段平は

 

意見が食い違ってしまう。

 

あくまでもリアリズムを求める澤田と形、美しさを見せようとする段平。

 

 

がっくりきて酒に酔った段平は喧嘩をしてしまいますが、

 

そのときに編み出した殺陣が『国定忠治』で採用され、

 

皮肉にも 関西では人気を博しました。

 

 

ところが、東京ではさっぱり売れず、

 

劇団は殺陣のない『月形半平太』や

 

『桃中軒雲右衛門』を上演するのでした。

 

おもしろくない段平は澤田と衝突してしまいましたが、

 

そのとき女房・お春が死んだという知らせが届きました。

 

それから5年の月日が流れ、酒浸りの生活が続いた段平は中風となり、

 

寝たきり状態となっていました・・・。

 

動けぬ身体でなんとか芝居小屋まで、国定忠治を身に行く段平。

 

帰って寝床に入ってからも殺陣が気になり

 

木刀を持って転げ転げて殺陣の形を生み出そうとする。

 

その顔は鬼家迫る。

 

澤正も悩んでいた。

 

土蔵の前での忠治の召し捕りの場面の立ち回りがどうしても納得いかない・・・

 

段平ガあれを見たらフンと鼻で笑っているような気がするんだ。

 

僕たちは死に物狂いでやろうとする古い立ち回りを滑稽だと思って

 

馬鹿にしていたところがあったが、

 

その死に物狂いさが大事なんじゃないかって近頃思うのだ。

 

段平に会って見たい・・・と澤田は台本の倉橋に言うのだった。

 

再会は思いのほか早くやってきた。

 

”忠治は最後中風になる、わいも中風や。だから忠治の殺陣をつけるのは

 

わいしかおらんのや。一世一代のワイの殺陣をつけさせてくれと

 

娘のおきくに動きを教え託して澤田の元へ行かせるのだった。

 

そして芝居のラストを幕を降ろしてそこでおきくから見聞きして澤田は

 

即座に演じるのでした。

 

 

中風で動けない身体になりながらも、

 

死ぬ直前まで殺陣のことを考え続けた段平。

 

おきくに身体を張って教えようとする

 

鬼気迫る演技の月形は、やはりすごい役者でした。

 

ここが一番の見せ場でした。

 

 

この作品を見てからテレビ時代劇の再放送などを見るにつけ

 

殺陣師は誰??と気になりはじめ、

 

鬼平と剣客商売は宇仁貫三、通称うにかん。

 

立花登青春手控えの清家三彦さんなど

 

ああと改めて意識しました。

 

うにかんさんは「用心棒」「椿三十郎」など、黒沢明監督の作品で

 

斬られ役から始め、その後、

 

殺陣師として黒沢作品や三船敏郎の主演作などに出演。

 

今年の一月にお亡くなりになってるんですね。享年78歳

 

宇仁貫(うにかん)さんの殺陣が鬼平も剣客も面白さを倍増させているのだなと

 

思いました。清家三彦さんのアクション的な殺陣と比べてみるとその違いの

 

面白さもまた一興ですね。

 

因みに  月形龍之介さんの若い時って

 

   野村萬斎さんにそっくり。

   

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