≪黄色い星の子供たち≫・・封印された事実が50年ぶりに明かされた・ 2010年作品 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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     ≪黄色い星の子供たち≫
        

        戦争を考える・・

 

こんにちは。いつもご訪問くださいましてありがとうございます。

 

監督  ローズ・ポッシュ

 

出演者
     アネット・    メラニー・ロラン
     医師       ジャン・レノ
     ウイスマン    ガッド・エルマレ

 

製作  仏

 

     原題  La Rafle   (一斉検挙)

  

この作品は、メリーゴーランドのシーンで始まり、
     

       メリーゴーランドのシーンで幕を閉じる。

 

2時間20分の作品ですが、  最初の45分は

 

普通の子供たちが普通に 毎日学校に通い、狭い住宅地を駆け巡りながら

 

パン屋さんに挨拶したり、日向ぼっこをするおじいさんに声をかけたりと・・・

 

パリの自由区に住むユダヤ人の子供たちの楽しそうな日常が描かれます。

 

☆午前4時,フランス警察が一斉にやってきます。

 

住人のユダヤ人たちが、逃げる中で自殺する者4名を除いて全員検挙される。

 

その数13000人。そのうち

 

4051人が子供だった。

 

 

そして次の45分は

 

  ヴェロドローム・デイヴェール(冬季競輪場)に収容されてからの

 

辛い過酷な生活が本当に詳しく描かれていきます。

 

目を覆いたくなるようなシーンも多いです。

 

そして後半、そこから、

 

親と子供たちは別れ別れにされ、ボーヌ強制収容所に送られるのです。

 

そこから絶滅収容所行きの列車に乗せられるまでの日々。

 

母親のいない寂しさを看護婦アネットとの日々がつかの間癒してくれた。

 

赤十字社で働いていたアネット・モローは実在の人物。

 

ウイスマン家のジョセフも実在の人物。

 

一斉検挙の時に競輪場に看護婦としてやってきて以来、

 

ボーヌ強制収容所で別れるまで、ジョセフたちを見守り

 

母親代わりとなり強い正義の意思を示したアネット・モロー。

 

ジョセフとアネットの当時の証言を元に女性監督のポシュはシナリオを

 

書いたようです。

 

この事実はフランスでは封印されていたもので50年ぶりに事実が明らかになった。

 

 

監督の夫の家系はユダヤ人で、実在のウイスマンー家の近所に

 

住んでいたようです。

 

 

特に、競輪場の汚物の場面などは、結構時間を割いて描いています。

 

医師一人、看護婦6人・・・収容者数千人に対してですよ。。。

 

戦後、この現場の≪証言≫を増やさないために、看護婦志願者を

 

受け入れないのだと医者は吐き捨てるように言った。

 

医師も収容された中の一人だった。

 

  ストーリー

 

一斉検挙など思いもしないジョセフとその両親、姉のウイスマン一家。

 

 

登校途中、遊園地の近くのメリーゴーランドの前に立っていたジョセフは

 

フランス軍人からカメラを向けられた。だが、胸の黄色い星のワッペンを見ると

 

そのままカメラを他に向けた。

 

そこにはユダヤ人立ち入り禁止と立て札が立てられていた。

 

回る馬にはフランス人が乗っているのだ。もちろん彼らしか乗れないのだ。

 

複雑な思いでジョセフは眺めた・・・・

 

ジョセフの仲良し・・シモン・ジグラーとまだ、5歳の弟ノエル=ノノは

 

毎日学校から帰ると町中を駆け巡って遊んでいる。不安な・・空気の中

 

何家族かは仲良く毎日を送っている。

 

 

ユダヤ人の迫害を推し進めているヒトラーはナチス政権下の

 

フランス・ヴイジー政権に、ユダヤ人を引き渡すように命じ、パリ在住の

 

24000人の一斉検挙に踏み出したのだった。

 

1942年6月25日の朝、フランス警察は夜明けの闇を突き破るように、

 

各家に乗り込んだのだった。

 

お腹の大きい妊婦や、乳飲み子を抱えた夫人などは

 

アパルトマンから飛び降りた・・・

 

 

ジョセフたちは、シモン兄弟と共にヴェルド・ローム・ディヴエールで

 

身を寄せ合った。シモンとノノの母親は妊娠していたが、競輪場に

 

来る途中、出血多量で死んでしまっていた。

 

シモンたちにはまだ知らされていない。

 

ここには収容されている医師もいた。

 

赤十字社から派遣されている看護婦のアネットは献身的に働いていて子供たちにも

 

好かれていたし、頼られていた。

 

 

ヴェルド・・・での数日間を終えて、ウイスマン一家、シモン兄弟

 

そして、医師もボーヌ収容所に送られてきた。

 

そして、また移送・・・その前に貴金属を出さねば・・

 

ウイスマン夫人たちは外した貴金属を便つぼの中に捨てた。意地だ・

 

検査が終った後、女性と子供たちと男性は分けられた。   が、

 

警察は移送車が足りないため、子供たちは今日は乗せられないと言って

 

子供たちだけ残された。

 

ジョセフは泣き叫ぶ母と、悔しい別れをしたのだった。

 

気力のなくなった子供たちは、毎日ぼーっと過ごした。

 

ジョセフは脱出を決意。シモンを誘うが、シモンはヘルニアという持病を

 

 

抱えていて走れない。   一人で逃げるんだ!!出発は10日後だ・・と

 

ジョセフを説得。

 

アネットは高熱を出していたが寝込むことなどできず、一所懸命に子供たちの

 

世話をしている。

 

ジョセフとシモンは便つぼに手を突っ込んでお金をつかむ。

 

そして・・逃亡・・みんなで、もちろん、アネットも協力してジョセフと

 

もう一人男の子を逃がした。

 

 

そして、残ったシモンたちは親たちのいる収容所へ送られる日が来た。

 

 

何が起きているのかまだ理解できないノノはママに会えると喜んで一番に

 

走った。列車が待っていた。不穏な空気に異変を感じたノノは

 

アネットのところに帰してと泣き叫ぶ。。

 

とうとうアネットは高熱でダウンしてしまっていた。

 

今、起きた出来事を知らされたアネットは重い身体を持ち上げ

 

ボーヌから来ていた医師の止めるのも聞かずに駅へと急いだ。

 

 

 

レイル・ウエイを歩いていた少年ふたりに、ノノやシモンの乗った

 

列車が汽笛を鳴らして向かってきた。

 

ジョセフは隠れもせずに列車が前を通り過ぎるのをじっと見送った。

 

1945年のパリ・

 

アネットは赤十字社の病院にいた。

 

戦争の傷を受けた子供たちを看護していた。

 

階下の広間にはユダヤの子供たちの写真が貼られ、人々が肉親を

 

捜し求めていた。

 

すると、”アネット!あなたを探している子が!!”と  呼ばれて

 

振り向くと、そこに元気なジョセフが立っていた。

 

 

行き着いた駅で、夫婦に助けられ養子にしてもらったんだとうれしそうに

 

懐かしそうにアネットに語った。

 

顔をくしゃくしゃにしながら喜び、涙を流すアネット。

 

両親も姉さんもみんな見つからないよとジョセフは言った。

 

2階には親とはぐれた子供たちが100人位いるけど

 

あの時、列車に乗ったヴェル・ディヴの子供は一人も戻らなかったわ・・・

 

とアネットは悲しそうに話した。でも・・・見つけたわ あなたを!”

 

 

当分ここにいるから手紙を書いてね。早くご両親のところに行きなさいと

 

ジョセフの背中を押した。

 

 

ホッと笑うアネットの目に、ガラスの向こうであの  シモンとノノのママの

 

写真をみんなに見せて回っている夫婦が映った。

 

写真に近づくと  そこにノノがいた。

 

あの時、誰かがこの子を列車から降ろしたんでしょうね!とその夫人が言った。

 

可愛くてお喋りだったノノだが、ショックの後遺症で口が利けないのだそう。

 

無表情なノノはそれでも膝を折り曲げているアネットの肩に

 

顔をうずめて来たのだった・安心したように。泣いて泣いて抱きしめるアネット。

 

 

ジョセフは遊園地のメリーゴーランドの前に両親といた。

 

もう、ユダヤ人立ち入り禁止の立て札はない。

 

回るメリーゴーランドをいつまでもいつまでも見つめていた。

 

冒頭にも書きましたが、列車に乗った4051人の子供はほとんど

 

生き残らなかった。

 

ヴィジー政権とドイツ軍は24000人の検挙を計画したが、あの朝

 

 

勇敢なパリ市民たちは10000人のユダヤ人たちを匿ったそうだ・

 

同じ状況下で日本人にこの行為が出来ただろうか??

 

 

子供たちにぜひ見て欲しい反戦映画の代表作です。わかりやすく丁寧に

 

作られています。

 

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