(雪国)追記・・ 銀幕の女優① 岸恵子さん・ 1957年度作品  豊田四郎監督 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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日本の女優①の岸恵子さんの(雪国) パート2

 

 

 

こんにちは。

 

いつもご訪問いただきましてありがとうございます。

 

日本の銀幕の女優さんシリーズのスタートは岸恵子さんでした。

 

作品は(雪国)でしたが、ほぼ岸さんの紹介で終わってしまい

 

作品雪国の紹介がなんだか中途半端で、気になっていました。

 

で、本日は改めて雪国パート2ということで

 

もう少し掘り下げてみようと思います。

 

まず、キャスト・・・

 

この頃のどの作品もそうなんですが脇役の素晴らしさ!!に改めて感動します。

 

この 雪国でも 脇役陣が要所要所で素晴らしい名演技を見せます。

 

 

島村=池部良 
駒子=岸恵子 
葉子=八千草薫 
佐一郎(葉子の弟)=久保明 
おたつ(温泉宿の女中)=浪花千栄子 
宿の主人=加東大介 
宿の女将=東郷晴子 
伊村(県会議員)=森繁久彌 
駒子の母=浦辺粂子 
番頭=東野英治郎 
万吉=多々良純 
女給 花枝=中田康子 
芸者 菊勇=万代峯子 
芸者 勘平=市原悦子 
駅長=若宮忠三郎 
按摩さん=千石規子 
 

さて、

 

国境の長いトンネルをぬけると雪国であった。夜の底が白くなった。

 

信号所に汽車が止った…

 

と言う有名な書き出しで始まる川端康成の小説「雪国」。

 

昭和9年~12年の戦前の越後湯沢を舞台にしたこの作品は

 

監督:豊田四郎、主演ーー島村ーー池部 良、駒子ーー岸 恵子で

 

東宝が(1957年)に映画化した。

 

作品の舞台となった上越線の風景(昭和31年~32年の)が

 

ふんだんに取り入れられており、また懐かしい車両もふんだんに登場します。

 

 

国境(私はくにざかいと読むほうが好きですが・)の 長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった--

 

その雪に深く埋れた(越後湯沢であろう)温泉場に

 

小説家の島村は、昨年知り合った駒子が忘れられずに訪れるところから映画は始まる。

 

 

車窓から見える真っ白な大きな山、山並はことのほか凛として美しい。

 

列車の中で出会った少女は島村の目を引いた。ガラスに映る少女の顔を見て

 

島村は何を思ったのか・・・

 

駒子は養母とその息子行男の治療費を稼ぐため芸者になっていた。

 

宿の廊下で島村を待っていた駒子に島村は寄ってきて

 

駒子の胸の辺りをそっと指で撫でながら懐かしさを表現した。

 

部屋でコタツに入りながら島村の指を加え甘えてすねてしなる駒子に

 

島村は駒子の日本髪にそっと口を寄せ匂いを嗅ぐ。

 

見事な色っぽいスタートである。

 

 

岸・・駒子の立ち姿はまるで竹久夢二の絵のような柳腰のたおやかな色っぽさが

 

溢れている。

 

ドラマのストーリーだけを描けば一時間もあればいいんだけれど

 

雪見障子のある部屋で飲みつ語りつ愚痴り甘えてすねて怒って泣いて

 

そんな時間の流れをゆったりと描いているので

 

134分と長い作品だ。

 

彼女の養母の娘で義妹にあたる葉子は島村と駒子の仲を憎しみの眼で瞶めた。

 

だが、二人の胸にはもう押さえきれない感情が燃え上がっていたのだった。

 

妻子ある島村が一年に一度やってくるのを楽しみに待つ駒子。

 

それが生きがいとなっているが駒子には養うべき家族がいて

 

そのための旦那もいて自分の身を自分の好きなようには

 

生きられない事情もあった。

 

だが一年に一度の逢瀬が駒子には大切なひと時だった。

 

島村と二人きりになる夜は

 

思うようにはならない二人の運命の切なさに身もだえするのであった。

 

その冬島村が帰京する日、駒子が駅に見送りに来ていると、

 

葉子が行男の急変を知らせに来た。

 

行男は駒子が習っている踊の師匠の息子で、

 

駒子と幼馴染。港町で生まれ、東京の夜学に通っていたが、

 

腸結核を患い帰郷してきて寝付いていた。

 

駒子の許婚という噂だが、駒子は否定している。

 

人の死ぬのを見るのはいやだ と、

 

家とは逆の方向に歩いていった。

 

東京へ帰っていった島村の乗った列車を追いかけ泣きながら、わめきながら

 

雪を投げつける駒子。

 

冷たくひたすら走る列車との対比が美しい。

 

 

次の年、約束より遅く島村は来た時は、すでに養母も行男も死んでいなかった。

 

駒子は旦那とも手を切っていた。

 

そんな彼女に島村は、妻にも話したから一緒に東京へ行こうといった。

 

駒子は島村を呆然と見つめていたが、

 

゛あんたは年に一度来る人……よ゛と

 

いって突伏した。翌晩、

 

酔った駒子が島村の部屋に入って来た。

 

抱き寄せる島村に駒子はなぜか抵抗できなかったしうれしくもなかった。

 

翌朝、島村は駒子に、この雪国に二度と来ないと約束することが

 

君へのせめてもの謝罪だと言った。

 

愛の激しさ、厳しさ、哀しさ、切なさ、悔しさ・・・を

 

噛みしめながら二人は別れたのだった。

 

その夜、映画会をやっていた繭倉(まゆぐら)が

 

火事になって、葉子はその美しい顔半分に大火傷を負った。

 

ますますいじけていく葉子だった。

 

--島村は当然

 

次の年も、その次の年もやって来なかった。

 

駒子は葉子を一生の荷物として、だけども生きがいとして

 

モンペにゴムの長靴をはいて雪の中を今日もお座敷へ急ぐのだった・

 

美しいシーンが何ヶ所もある。

 

雪見障子のガラス越しに映る冬の花火

 

お酌をしていざご返杯・・・ついた紅を拭こうとする駒子に

 

その手をさえぎってこのまま注いでくれと島村・・美しい色だ・・・・とお猪口に

 

口をつける島村。

 

化粧台のちりめんの化粧ダレそっと上げる駒子ーーその鏡に映るのは

 

裏の雪山・・すると・・駒子の顔が鏡に入ってくる・・・うまい演出ですねえ。

 

冒頭の列車の中で右のガラス窓に映る美しい少女の顔(実は葉子であるが)

 

駅の待合室で島村を待つフードをかぶった駒子の後姿・・がアップすると

 

ガラス窓に駒子の美しい顔が浮かぶ・・

 

鏡とガラスを巧く使ったシーンがまだまだある。

 

直接的に映さずに間接的に映すことで画面に効果をもたらしている。

 

顔に火傷を負った葉子は部屋にこもることが多く

 

帯を結んでくれと駒子が電灯をつけると直接葉子を映さない鏡台の鏡に

 

まず葉子が映る・・そして駒子を見上げる葉子・

 

原作に忠実に・・・つまり川端さんと三島由紀夫がこの鏡を介しての

 

人物描写に関して論じたことがあったと記憶するのでうが

 

鏡の美学として・・・・

 

そして極めつけは

 

島村の羽織のかかった座椅子に向かって爪弾く・・・ではなくりっぱに弾きこなす

 

駒子の三味線のシーンだ。

 

 

風呂から戻った島村が黙って駒子の隣に座り、じっと聞きほれる。

 

そんな中でも駒子の表情はにまっとしたり、怒った顔をしたり

 

この演奏に自分の感情を噴出させているのだろう。

 

相当練習したものと思われる。これは間違いなくご本人が弾かれている。

 

長い滞在時の男女のやり取りの流れを見ていると

 

ああ秋津温泉も浮雲も雪国もみんな妻子持ちに惚れちまって!!

 

これらの作品のヒロインたちは

 

女性の強さやさしさ、激しさ、正直さ・・・うんと

 

ストレートに伝わってくるのにいつも男たちは煮え切らない・・だから

 

ヒロインが引き立つ!!理屈だ。

 

その駒子を実に魅力的に演じて素晴らしい。

 

良さんてハンサムだねえ。

 

まるで岸さんのひとり演技を良さんが上手に手のひらで遊ばせながら

 

演じさせているような印象でした。

 

相当な芸達者の脇役陣が何気に脇を固めてくれて

 

良さんも恵子さんもお芝居が楽しかったでしょうね。

 

八千草薫さんの義妹も気は強いが可憐でしかも美しい。

 

 

葉子の存在も二人の間に少し割り込んで微妙。

 

さて、かつて上越線には、この小説から愛称をとった急行列車「ゆきぐに」が運行

 

されていたそうだ。1959年から1965年まで。

 

人間性を徹底的に否定する世界。。。その残酷さが持っている美を

 

極限まで押し進めるとあの小説の世界になるのだと思うのですが

 

豊田監督は忠実に再現されていますね。

 

主人公の設定もそうですし、それから自然の描写ですね。叙情性文学の究めつけ。

 

ラストの雪に包まれた温泉の描写で島村が、美しい天の河を見た直後に、

 

雪国で最期に見た火事の虚しい光景は、

 

絶望や失意を秘めているが、島村の心の空洞に天の河が流れ落ちるよう

 

に感じたのは、そういったもの全てを超越し、全てを圧倒し、

 

包み込んでしまうような“自然の力”・・・が男女の愛を超えていたのだろうか・